いただきもの、クラブハリエのバームクーヘンを食べた。
いつもながら、まわりの砂糖菓子と中のフワフワした生地のバランスがすばらしい。やさしい味の中に、また食べたくなる。ヴォーリズさんから受け継いだ歴史の重みだろうか。
和菓子屋のご主人が、近所の外国人に習ったバームクーヘンが、いまも日本の地に根付かせた珠玉のお菓子。ぜひ。
■元は江戸時代に材木商を生業とした家系で、のち近江国蒲生郡八幡池田町で、穀物類・根菜類の種子を商う「種屋」を創業した。1872年(明治5年)、7代目山本久吉が京都の和菓子店「亀末」で修行を積み、栗饅頭と最中を製造販売する和菓子店に商売替えし、屋号を「種屋末廣」とした(のち「種屋」に改称)。1921年(大正10年)、東京「塩瀬総本家」で修行を積み宮内省大膳寮に2年奉職していた8代目山本脩次が種屋2代目を継承。物資不足の太平洋戦争直後には栗饅頭が人気を博し、たねやの基本づくりとなった。
明治末期から昭和初期にかけて、種屋の近所にはアメリカ人実業家のウィリアム・メレル・ヴォーリズが住んでいた(池田町洋館街)。ヴォーリズの勧めで脩次は1951年(昭和26年)10月に洋菓子の製造を開始し、これがのちのクラブハリエの基となった。
1958年(昭和33年)8月に種屋は有限会社「たねや菓舗」に改組し、脩次が代表取締役社長に就任した。脩次は1966年(昭和41年)9月に死去し、長男の傳一が有限会社たねやの社長に就任。その後、1967年(昭和42年)2月の近江八幡駅前への出店を皮切りに、1972年(昭和47年)8月に株式会社「たねや」を設立、次男の徳次が社長に就任した。1976年(昭和51年)6月に大津西武に百貨店初進出、1984年(昭和59年)には東京営業所(現・東京支店)を開設して日本橋三越本店と銀座三越に県外初進出を果たすなど、滋賀県を代表する菓子メーカーに成長し、2011年に株式会社は徳次の長男・昌仁が代表取締役社長に就任している。徳次は代表権のある会長に就任。
1979年(昭和54年)7月の洋菓子部門株式会社「ボン・ハリエ」(1995年4月にクラブハリエに改称)設立以降、グループ会社化が進み、2006年(平成18年)にはグループ本部を近江八幡市から愛知川町(現・愛荘町)に移転している。
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