東京に行かせていただく度に、ビックリするのは「人の多いこと」。
一般に名前の知られている街なら、新宿でも、原宿でも、渋谷でも、目黒でも、品川でも、新橋でも通りは人で溢れている。
その誰もが、仕事をし、当たり前のようにお昼には食事をして、排泄をして、また仕事へ。
コンビニであろうが、ファーストフードのお店であろうが、ファミリーレストランであろうが、行列のできる人気のレストランであろうが、それぞれに完成されたレシピで、それなりの美味しい食べ物で溢れている。
身体に善い、悪いは別にして・・。
飽食日本は、便利にできている。お金さえ出せば、食べる物に困りはしない。
いまだに発展途上にある第三世界では、これほど多種多様な食材は揃わないし、満足に腹を満たせない子供たちで溢れているというのに。
いつから、美徳とされていた「一汁一菜」の食文化は変化し、度を超して贅を求めるようになってしまったのか。グローバル化が問題視される世の中で、「食文化」だけは、グローバル化が完璧に仕上がっている。
これを書いている間にも、無意識のうちに、晩ご飯は何を食べようかと考えている自分自身に驚いてしまう。
以下のURLをクリックされて、映像をご覧いただきたい。これから食事をされる方、されて間もない方は少し時間をおかれてからをお奨めします。
気分が悪くなられた方も、多いでしょう。畜産や養殖に携わられている方々にとっては、当たり前の光景だそうです。
豚をするとき、電気ショックをしたのち動脈を切って殺す。
牛においては眉間を撃ち抜いて殺す。
酷いと感じられるかもしれませんが、出来るかぎり、苦しめずに殺生しているのです。
羊は子羊の時に尻尾を腐らし落とすそうですし、牛は玉を潰し、去勢し、角を切り落とし焼き印します。
ペットショップから我が家に来た、愛犬のマーブルは、最初から尻尾が短く切断されていました。そして、獣医によっての去勢も済ませている。
すべて、人間の都合のために・・。
しかし、畜産の動物やペットたちはそれによって種を繋げている。
医学の世界でも動物は実験動物としても各方面で使われ、女性が使う化粧品は開発される段階で身体に影響ないか、生きたウサギの目に入れて確認するそうです。
食品のみならず、生活で使っているものも多くの命の上に 成り立っています。
全ての命の仕組み、営みのなかに無駄な殺生はないのだろうか?!といま一度。
ライオンやトラ等の肉食動物、鷹や鷲のような猛禽類も、さらに草食動物でさえも、生きていく分だけの殺生で命をつないでいる。
「最後は自分自身の身体も、小さな動物や微生物の為に土に還る」という、自然のサイクルを乱しているのはわれわれであるという自覚。
せめて、手を合わせ「いただきます。ありがとう。ごちそうさまでした。」の気持ちを忘れないでいたいと思うのです。