昨日は疲れていたからなのか、少しお酒が入っていたからなのか、ブログの記事もコメントへの返信もシャープさが足りなかったと反省してます。
なので今日は、返信コメントの書き直しという形でブログを書きます。
さて、僕はネットの中でも小説のうえでも、リアルの世界においても微妙な言葉というものを好んで使います。つまり、とり方が複数ある云い回しを好むということです。さらには、相手の思い込みも利用します。
例えば昨日、僕はこういうコメントを書きました。
『女性としての魅力を感じる』
このコメントですが、39歳バツイチ男性の台詞としておかしなところはないですよね?
では、20歳の女子大生の台詞としてはどうでしょう? 違和感ありませんよね?
僕が使っている一人称は『僕』です。これを使う女性はいるはずない。なんて皆さん思いませんよね。そういう人だって世の中いますよ。その可能性があるから『僕』なのです。
そして、先のコメントが『異性』でもなく『同性』でもないのも同じ理由です。
性別に関してはどうとでも取れるようにこれまで書いています。性別以外のことでも色々な見方が出来るような幅を持たせています。
これはブログ以外のところでもそうすることが多いです。
理由の第一は相手の想像力を刺激するためです。いや、刺激は正確ではないですね。想像力を働かせる余裕を作るといった方が近いんじゃないでしょうか。
想像力は使わなくてもいいです。目の前のものをありのままに受け止めてくれるだけでもいいです。それだけでも充分満足いくものをお出しします。
もし、色々考えてみたいというのでしたら、それもまた良しです。
全てにおいて隙が用意されています。隙間をあなたなりの方法で埋める事が可能なはずです。もちろん、広げることも自由です。
これは遊びの一種でもあり、互いに理解し合う手段のひとつだとも思います。
僕の投げたボールをあなたがどうするのか?
その答を見た僕がさらにどう返すのか?
このやり取りの果てに最終目的のひとつがあることに、今日僕は気づきました。
いつか僕はあなたに云わなければならないことがあると思います。
それは『愛している』かもしれないですし、『大っ嫌いだ』かもしれません。
どの言葉であったとしても、そこには言葉では表現しきれない様々な意味や想いが含まれているでしょう。
それらのことをより正確にあなたに伝えるために、こんな面倒なコミュニケーションの方法を選んだのかもしれません。
なんて、上手く言葉になりましたかね。昼間思いついたときはもっとシャープな文章だったのですが、書き始めると途端に野暮ったいものになってしまいますね。
残念ながら今回のブログも失敗だったようです。
まあ、それはそれとして大事な話です。
このブログにおいて嘘は存在しません。ただし、真実の全てがここにあるというわけではありません。ここに書かれていない事実もまた存在するのです。
こういうことはネットの中では常識で、聡明な皆さんには周知の事実かもしれませんが、今回蛇足の極致というべきことを書いたような気がするので、はっきりと明記しておきます。
なので今日は、返信コメントの書き直しという形でブログを書きます。
さて、僕はネットの中でも小説のうえでも、リアルの世界においても微妙な言葉というものを好んで使います。つまり、とり方が複数ある云い回しを好むということです。さらには、相手の思い込みも利用します。
例えば昨日、僕はこういうコメントを書きました。
『女性としての魅力を感じる』
このコメントですが、39歳バツイチ男性の台詞としておかしなところはないですよね?
では、20歳の女子大生の台詞としてはどうでしょう? 違和感ありませんよね?
僕が使っている一人称は『僕』です。これを使う女性はいるはずない。なんて皆さん思いませんよね。そういう人だって世の中いますよ。その可能性があるから『僕』なのです。
そして、先のコメントが『異性』でもなく『同性』でもないのも同じ理由です。
性別に関してはどうとでも取れるようにこれまで書いています。性別以外のことでも色々な見方が出来るような幅を持たせています。
これはブログ以外のところでもそうすることが多いです。
理由の第一は相手の想像力を刺激するためです。いや、刺激は正確ではないですね。想像力を働かせる余裕を作るといった方が近いんじゃないでしょうか。
想像力は使わなくてもいいです。目の前のものをありのままに受け止めてくれるだけでもいいです。それだけでも充分満足いくものをお出しします。
もし、色々考えてみたいというのでしたら、それもまた良しです。
全てにおいて隙が用意されています。隙間をあなたなりの方法で埋める事が可能なはずです。もちろん、広げることも自由です。
これは遊びの一種でもあり、互いに理解し合う手段のひとつだとも思います。
僕の投げたボールをあなたがどうするのか?
その答を見た僕がさらにどう返すのか?
このやり取りの果てに最終目的のひとつがあることに、今日僕は気づきました。
いつか僕はあなたに云わなければならないことがあると思います。
それは『愛している』かもしれないですし、『大っ嫌いだ』かもしれません。
どの言葉であったとしても、そこには言葉では表現しきれない様々な意味や想いが含まれているでしょう。
それらのことをより正確にあなたに伝えるために、こんな面倒なコミュニケーションの方法を選んだのかもしれません。
なんて、上手く言葉になりましたかね。昼間思いついたときはもっとシャープな文章だったのですが、書き始めると途端に野暮ったいものになってしまいますね。
残念ながら今回のブログも失敗だったようです。
まあ、それはそれとして大事な話です。
このブログにおいて嘘は存在しません。ただし、真実の全てがここにあるというわけではありません。ここに書かれていない事実もまた存在するのです。
こういうことはネットの中では常識で、聡明な皆さんには周知の事実かもしれませんが、今回蛇足の極致というべきことを書いたような気がするので、はっきりと明記しておきます。
本当にすごいのは、ありのままのことをありのままに表現できる人ですよ。僕はひねくれているだけ。
それを思えば、僕なんかはまだまだです。
イトウさんへ
メアドを登録してないのは全然問題ないのですよ~。このブログのカテゴリーの一番下に乗っているので、そこに送って下さい。ただ、以前イトウさんがメール送れないと云っていたので、今回も駄目な場合はブログのコメントに書き込んでください。お手数お掛けしますが、よろしくです。
馬鹿みたいなこといってごめんなさいね、何いっていいんかわからんかった(あれま最後にはちょっと方言入ってきたわよ)。私今日めちゃくちゃ疲れてます。明日復活できるようもう寝ます。おやすみなさい
はい、そう思います。
単純な考え、文章しか書けない私には、kouさんが崇高に思えてきましたよ。