監督 トッド・フィリップス
映画館鑑賞
クリント・イーストウッド主演監督の西部劇である。
列車強盗や殺人で悪名を轟かせていたガンマンのウィリアム・マニー(クリント・イーストウッド)は11年前妻と出会ってから改心し農民になっていた。妻は3年前に他界し、今は子供二人と貧しい生活している。そこへ若者が賞金首を一緒に撃ちに行こうと誘ってくる。
(以下ネタバレあり)
賞金稼ぎがバンバン銃を撃ちあう世界は恐ろしい。
日本でも日本刀を持った侍が問答無用と切りつける時代があった。現代に生きていてよかったと思う。暴力がはびこる世界では、従わす者従わされる者がいる。娼婦たちは従わされ、ひどい扱いを受けている。狙う賞金首は娼婦に烙印を押そうとし深い傷を負わせた牧童たちだ。とんでもない輩なのに社会は懲らしめようとしない。それにひどく怒った娼婦たちが賞金稼ぎを雇う。やられたらやり返さなければなめられる自分たちを虐げる社会への抵抗のためだ。法を守らせる保安官は社会そのものであるが、いきすぎた正義を振りかざす「許されざる者」だった。マニーも今は改心しているが、酒浸りの残忍な札付きの悪党で「許されざる者」だ。
「許されざる者」とそうでないものの違いはなんだろう。
五人殺したことがあると大口を叩いていた若者が賞金首の一人を銃で撃ち殺す。本当ははじめて人を殺したと告白し、自分は人を殺せない人間だと悟る。賞金はいらないとまでいう。いうとやるのでは全く違う。「許されざる者」とは「人を殺せる人間」でその反対は「人を殺せない人間」だろうか。足を洗った老ガンマン・マニーはまったく殺し屋の雰囲気がないが、女子供も容赦なく撃ち殺す残虐なならずもの伝説がある。ガンマンの伝記を執筆している文筆家の本は出鱈目で嘘が多く、物語や噂はどこまで本当かわからないものである。
マニーがどんな人物なのかがこの映画の見所になっている。
私はマニーは冷静な男なんだと思った。撃ち殺せるか撃ち殺されるかは、冷静にどれだけ早く銃をぶっ放せるかにかかっていると保安官は分析していた。決闘の場面になったとき、マニーは大声で自分がどんなに残虐かを印象づけ、周りを威圧しひるませる。動いたら容赦なく撃つと言って、全方向を警戒している。圧倒的にマニーは勝つ。拍手喝采は起こらず、娼婦たちは事の成り行きを息を潜めてみている。悪が滅び善が栄えるのではなく悪が悪を懲らしめたのだ。その後マニーは商売で成功したと説明される。そこで理解した。これは勧善懲悪の映画ではない。どうりでスカッとしないはずだ。
アカデミー賞受賞作品なので感動を期待したのにそんなものはない。
西部時代の暴力を暴力で解決する話にすぎない。マニーの妻の母親がやさしい娘がどうしてならずものと結婚したのか分からないと語っている。映画を観る者にもわからないだろう。正義とは存在するのであろうか。
原題 Dog Day Afternoon
製作国 アメリカ
製作年 1975年
上映時間 125分
監督 シドニー・ルメット
脚本 フランク・ピアソン
出演 アル・パチーノ、ジョン・カザール、チャールズ・ダーニング、クリス・サランドン
私の評価 ★★★★☆ 4.0点
お家観賞
映画館のスクリーンで見たかった。
映画の中の人物が見分けられなくて混乱することがある。だがアル・パチーノは一度見れば記憶に残る。大きな目が語りかけてくるようで、きれいな顔に見とれた2時間だった。あの大きな顔は見応えある。
※(以下ネタバレあり)
なんでそんな杜撰な計画を立てたんだ。
映画は1972年に実際にあった銀行強盗を元にして作られている。主犯格のソニー(アル・パチーノ)と、相棒のサル(ジョン・カザール)が銀行に押し入る。手際の悪さと人の良さから逃げ遅れ、いつの間にか警察に包囲されている。人質を取って籠城という犯人にも人質にも誰のためにもならない状況に陥る。頼りない強盗なので随所に笑える要素がある。喜劇のようなやり取りなのに、アル・パチーノの昂揚と緊迫感、ジョン・カザールの感情を押し殺したような不安定さで、いつ暴走するかわからない緊張が続いた。
ロックスターのようでかっこいい。アル・パチーノ。
夏のうだるような暑さで膠着状態のまま緊迫の時間が過ぎていく。人質たちは犯人との間に親近感と情が生まれてくるストックフォルム症候群になっていく。臨場感がたっぷりだった。警察を挑発するように「アッティカ」と叫ぶソニーに呼応して、野次馬たちが熱狂する。
別の映画が出来そうなくらい興味が尽きないキャラクターだ。そのソニーの奥さんが太っていてびっくりしていたら、男の人とも結婚しているという。男と結婚していたのがショックの奥さんは電話で「私がデブだからダメだの?」って問い詰める。
アメリカの社会の構造が見える。
夫婦問題、LGBT、ベトナム帰還兵、DV、母親からの虐待、貧困、人種差別、雇用不安などいろんな問題が垣間見える。誰もがどこか共感するのではないだろうか。メディアに誘導されるかのように観客があおり立てて、事件がショーのようになる。犯人はもとより人質、警察、メディア、観客、何もかもが変に思えてくる。
サルは「成功か死ぬか」だとソニーに詰め寄る。刑務所に入るくらいなら死ぬけれど、健康のためにたばこを吸わない。死に急ぐ行動をしながら健康に気遣うという矛盾を抱えるサルに孤独を感じる。「逃亡先はどこの国に行きたい?」と聞かれ、「ワイオミング」と教養のないサルが答える。「ワイオミングは外国じゃないよ」とソニーが教えるのがせつなかった。
ソニーのサルを哀れむような表情がいたたまれなかった。
逃走用のバスに乗ったとき、危ないから銃を上に向けてくれという警察官に素直に従うサルは根のいいやつなのにどうしてこうなったのだろう。サルだけが撃ち殺されてしまう。人質からお守りのネックレスをもらったのに誰からも悲しまれない。さっきまで連帯感を持って行動していた人質たちは一変して、振り向きもせず去って行く。人質に何かを強いたわけではない。むしろやさしくした。それでも銃を向けた犯人と向けられた人質以上でも以下でもなかった。ソニーのすべてを傍観しているかのような目が印象的だった。最後のソニーの表情が映画のすべてを色づける。全体がむなしさで包まれた。結局何も変えられなかったのだ。
蒸し暑かった。ひどく汗をかいた『Dog Day Afternoon』
邦題は『狼たちの午後』なので、狼たちを待っていたのに出てこなかった。原題は『Dog Day Afternoon』のDog Dayとは盛夏という意味だそう。猛暑の午後といったところだろうか。終わってみれば「ただひどく暑い日だった」。人間がひとり撃ち殺されただけだ。
(映画館観賞)
大変評価が高い映画なので映画館に足を運んだ。
前半うとうとしてしまったのは、観る前から眠気に誘われていたからで作品のせいではない。しかし眠気を飛ばすほどの刺激はないので、体調を整えて観てほしい。美しさを感じるには耳や目を研ぎ澄ませる必要がある。さて、ぼーっと観てしまった人間の感想を書く。
(以下ネタバレあり)
私の目が覚めたのは、男が、真っ裸で武術家を気取っているところである。
家政婦は自分の家族とは疎遠になっており、ひとりだ。雇い主に大切にされてはいるけれどやっぱり家政婦に過ぎないのだと話の所々で気付かされる。子どもたちも慕っている。それでも家政婦の立場を充分すぎるくらいわきまえている。妊娠したら男は逃げるし、無口な故に腹の中にいろいろため込んでいるのがよくわかる。どうしようもない状況だ。雇い主の母親は夫が愛人の元へ行ったので離婚し、仕送りはなしで子供4人を養う決意をする。くだらない男ばかりであった。誰かが誰かを心から思って助けているわけではない。
だからこそ荒れ狂う波の中、命がけで雇い主の子供を救う場面が尊かった。
今日は映像を感じ取る力不足だったので、次回は観るときはするどい感覚で臨みたい。心の調子がよかったら見えるものがまた違うだろう。昔を懐かしめる余裕ができたら観たい。
(映画館観賞)
主人公ニックを演じるティモシー・シャラメは美しい。
ポスターも美しい。薬物依存の話なのに、ビューティフルで大丈夫だろうかと心配したがビューティフルだからこそ考えさせられた。
(以下ネタバレあり)
「覚醒剤やめますか? それとも人間やめますか?」
私が子供の頃、強烈なテレビCMが流れていた。薬物は絶対手を出していけない恐ろしいものなのだと心に刻まれた。この映画の最後にアメリカの50歳以下の死因で最も多いのは「薬物の過剰摂取」と映し出される。人間をやめた人がこんなにも多くいるのかと驚愕した。 映画「ビューティフルボーイ」は薬物依存の息子とそれを立ち直らせようとする物語で、音楽ライターの父親と息子ニックとの実話である。タイトル「ビューティフルボーイ」はジョンレノンが息子に向けて歌った同名曲から取られている。ビューティフルボーイとは父親の息子への愛情を表す言葉だった。
父親は息子ニックにマリファナを勧められて、息子がドラッグをしていると知る。戸惑いながらもよい理解者であるのを示すかのように一緒に吸う。父親は自分も吸ったことがあるしマリファナを気晴らし程度ならいい、吸い過ぎるなと注意をするにとどまっている。ここがターニングポイントだったのではないのか。父親がマリファナを認めたことでひとつのハードルを軽々と超えてしまった。父親はドラッグにのめり込まなかったけれど、息子は堕ちていった。より依存性の高い強い薬物クリスタルメタルに手を出し抜け出せなくなる。あんなにかわいくいい子だったいとしい息子がなぜ薬物中毒になってしまったのかと父親は自問自答し続ける。あのときマリファナを許したのが間違いだよと私は思いながら、薬物をやめられない恐ろしさを感じた。
everything(すべてを超えて愛している)とハグする姿はどんな父子より絆が強かった。
愛情に包まれて育っても薬物依存になる危険はある。薬物中毒の悲惨さに焦点を当ててはないが美しいティモシー・シャラメの演技は素晴らしく、美しい彼が演じることで際立ったのはドラッグはいとも簡単に人を虜にして抜け出せなくするということだ。本人の責任ではあるけれど誰もが陥る危険性があると伝わってきた。両親の離婚で心に満たされないものがありドラッグにはまったとは感じなかった。問題はあったのだろうが、ニックのことを家族は気にかけ愛している。私はドラッグが近くにあった不幸を思う。お金がありドラッグがすぐ手に入る状態がいけない。
薬物依存のミーティングで薬物依存の娘を亡くしたばかり母親が「喪中ですが私はもう何年も裳に服しているのです。中毒だった娘は生きている時から死んでいました。生きている娘の裳に服すのはつらい。そういう意味では今の方が楽かもしれません」とスピーチする。助けてやりたくてもどうすることもできなかったという現実に胸が締め付けられる。本人の意志が強ければやめられるとか、家族の愛があれば救えると簡単には言えない。
何があったんだと問う父に対し、これが本当の僕だと訴える息子。
十代の多感で不安定な時期の父子のぶつかりがドラッグから抜け出せない原因だとは思えなかった。突き放すことも大切だと考える父親に対し「絶対諦めない」という母、どちらが正しいかわからない。治療と再発の繰り返し、抱きしめたり突き放したりあらゆる事をしても息子は戻ってこない。ドラッグにはまる人とはまらない人の違いは分からない。ただドラッグが身近にあってはいけないのだと思うばかりだ。本人は 薬物をやめられないことが苦しい。家族は心配でたまらないのに救えない。互いが苦痛の中にいるとわかり合えたとき、治療へのようやくスタートが切られた。間に合って良かった。なぜドラッグにはまってしまったのかという背景は語られないのは、特別なことがあったから薬物依存になったのだと理由付けを観ているものに与えない為だと考えた。
映像終了後、ニックは家族や支援者の支えもあり8年間ドラッグを断ち、現在は脚本家として活躍していると語られる。依存症から立ち直った。死んでいてもおかしくなかったのに8年も生きられたのは運が良かった。
クレジットが流れる最後に、ティモシー・シャラメが5分に渡りチャールズ・ブコウスキーの詩「Let it Enfold You」を朗読する。最後にニックの思いが少し分かった気がした。平穏や幸福がなんだというのであろう。つまらない幸福感からのトリップしたい。現実の世界が虚しいく感じてしまう時期だったのかもしれない。私も冷めた心で何も感じなくなる十代があった。特別なことではない。しかし虚無が続くわけではないと、この詩から読み取ることができる。チャールズ・ブコウスキーは放浪と酒浸りの人生で、裕福な家庭で愛情を注がれたニックとは全く違うのにニックのお気に入りの作家の一人であるという。ニックの気質がドラッグにはまった原因のひとつかもと感じる。
回復は時間をかけ子供の成長を待たなければいけないのかもしれない。命の危機を脱することができたのは本人の意志に加えて家族と支援者から十分なサポートがあったからである。それでも運がよかったと言いたい。どんなドラッグでも危険がある。手を出してはいけないと強く思う。
薬物依存者への十分なサポートと、なによりも薬物のない社会を願う。
(映画館観賞)
稲垣吾郎、長谷川博己、渋川清彦3人の40歳前の男たちの話で、3人は仲のよい同級生だけれど、同窓会的な学生時代の友だちっていいなという話ではなかった。
吾郎ちゃんが、冒頭で田舎のおじさんに見えて一気にリアリティが出た。台詞が多すぎると思うところもあったが、笑いどころ、じーんと感動どころもあり、最後には自らの人生を考えさせられ、見応えたっぷりの映画だった。
※(以下ネタバレあり)
40歳といえば人生の半分だ。
人生に挫折し故郷に戻る。故郷の親友たちもそれぞれ絵に描いたような幸せではないけれど、どうにかやっていた。自分の人生に責任を持たなければならない年齢に達したのだと感じたとき、立ち止まり考えさせられる。自分のせいだと思わなければいいのかもしれない。誰かのせいにできれば楽になれるかといえばそうではない。誰も自分をわかってくれるはずもなく、自分の居場所は自分が見つけなければなならない。助けてもらうことも助けてやることもできない。それでもあいつも頑張っているから俺もがんばろうと思えるのが友だちだ。相手の苦しみを理解できた時、本当の繋がりができる。人は結局ひとりなのだとしても強く生きられるのだと感じた。
「なるようにしかならない」
悪い方に向かわないでほしいと願いながら観たが、心配したことは起こらなかった。もしかしたら私たちはすんでのところで踏みとどまって生きているのかもしれない。踏みとどまることができる強さや優しさ繋がりを持っているのだと信じられた。それなのに予想もしなかった事が起こってしまう。半世界を突きつけられた気がした。
私は40歳になった頃から「こんな人生になるとは」思うようになった。どんな人生を自分は歩もうとしていたのかさえ分からなくなった。振り返っても戻れはしない。自分の思っていたとおりになる人なんてそういない。努力をするしかない。日々を生きていく。今がよければいいという意味ではない。明日のために今をよくしていく。明日どうなるか分からないから明日のために生きる。
半世界が続く。
映画『半世界』公式サイト→http://hansekai.jp/
映画館観賞(ネタバレあり)
気持ちが良い。心が洗われて映画館を出た。
ナイトクラブの用心棒トニーはイタリア系で、粗野で無学だけど腕っ節が強くトラブルの解決能力がずば抜けている。一方著名なピアニストのドンは黒人で物静かで知的だけど人を寄せ付けない雰囲気がある。この二人のロードムービーだ。
大人になってからでも人は変われるんだなと信じられた。みんな仲良くできるよ。
トニーは黒人が使ったコップをゴミ箱に捨てるような人間だが、黒人ピアニストの運転手を務めることになる。ドンはトニーのこれまでの仕事の成果を認めて良い条件を提示して雇った。お互いの利益が一致した仕事の関係のみで旅にでる。行き先は黒人差別が色濃く残る南部で、ドンは覚悟の上でコンサートツアーを決めた。下品な男と上品すぎる男の組み合わせではじめはうまくいかないけど心を通わせるようになる。お互い大人なので必要以上に立ち入らない。熱くなりすぎない。助けるべきところは助ける。それがよかった。
ケンタッキーフライドチキンで感動するとは思わなかった。
油で手がベトベトになるのを嫌がって食べなかったフライドチキンを トニーに勧められてドンが食べるところが最高だった。私も食べにくいから今まであんまり食べようと思わなかったけど、ドンみたいに気取らずに食べたくなった。ユーモアは心を救う。こちこちに堅くなった心をほぐす。おいしいものもね。
成功した黒人は白人の仲間にも黒人の仲間にも入れない。ドンの孤独を知ったトニーは「さみしい時には自分からドアをノックしなければいけない」と云う。簡単じゃないことを行動に移したドンに涙が出た。トニーの奥さんも素敵。
グリーンブックとは黒人用のホテルやレストランをまとめたガイドブッグのこと。
白人と黒人を分けることが親切だと思っているところに根深さが見える。観終わってしばらくして映画のあたたかさが冷めてきた頃、あんなにうまくいかない、もっと大変だったはずと思いはじめる。それでもこの作中のユーモアと人のやさしさを信じたい。心の大切なところに置いておきたい映画になった。
『ロード・オブ・ザ・リング』でアラゴルン役をしていたヴィゴ・モーテンセンはトニーの役作りのために20キロ増量したという。かっこいいアラゴルンの見る影もなかったのも笑いどころかな。さすがだ。マハシャーラ・アリもよかった。
原題 Hacksaw Ridge
製作国 アメリカ=オーストラリア
製作 2016年
上映時間 139分
監督 メル・ギブソン
脚本 ロバート・シェンカン、アンドリュー・ナイト
出演 アンドリュー・ガーフィールド、サム・ワーシントン、テリーサ・パーマー、ヴィンス・ヴォーン、ルーク・ブレイシー、ヒューゴ・ウィーヴィング
お家観賞
※【以下ネタバレあり】
「あと一人助けさせてください」
戦地ハクソーリッジに赴いた衛生兵の勇気と信念の実話である。ハクソーリッジとは沖縄の高田高知のこと。アメリカ軍はここを落とし沖縄を制圧し、さらに沖縄から日本を落とそうとしていた。
主人公デズモンドは人を殺すのではなく、ひとつでも命を救うため兵に志願した。訓練のため銃を扱うのさえ拒否するので除隊の圧力をかけられる。デズモンドがなぜ信念を貫こうとしているのか子供の頃からのエピソードが丁寧に描かれているのでよくわかった。しかし戦いを拒否して大事な人を守れるのか。戦争は殺し合いだ。自分の身を守る武器を持たないなら行くべきではないと私なら説得する。
彼の願いは叶い、戦闘地ハクソーリッジに派遣される。
「奴ら(日本兵)は死を恐れない」
戦闘シーンはすさまじく残酷だった。やられる敵が日本人なので複雑な気持ちになった。
ひとりまたひとり助けていくデズモンドの行動は神様に守られているようで祈りたくなるが、奇蹟ではなく彼の身体能力の高さが可能にしたに違いないとこれまでのエピソードが教えてくれる。よくできていると思う。よくできているのにおしいところもある。中途半端に日本人的なシーンはなくていい。監督メル・ギブソンの日本人はこんなイメージなんだなと思うくらいにしていおくけど、デズモンドにスポットを当てた映画なのでそれに集中したかった。
武器を持つだけが戦う方法ではない。人を殺したくないなら人を助ける側に回ればいい。人を殺さず戦った。命がけで助けた。ものすごいことだ。彼こそ英雄だ。結果としてデズモンドは75人もの命を救ったのである。日本兵も助けようとした。ああ救われる。
最後は出兵前と顔が違った。バイブルが彼を守ってくれたのだろうか。
映画「ハクソー・リッジ」公式サイト|6.24 Sat. ROADSHOW
〈本年度アカデミー賞 2部門受賞〉本年度アカデミー賞 作品賞他6部門ノミネート!映画『ハクソー・リッジ 』6月24日(土) TOHOシネマズ...
映画「ハクソー・リッジ」公式サイト
【ネタばれあり】
「キングスマン」とは、どこの国にも属さない最強のスパイ組織。表の顔はロンドンの高級テーラー。品のいいイギリス紳士たちがスーツ姿で切れ味鋭いアクションと粋なスパイ道具を使って戦う。続編である本作は謎の組織ゴールデンサークルからのミサイル攻撃で本部が壊滅する。二人だけになったキングスマン(タロン・エガートン、マーク・ストロング)はアメリカに渡る。敵に挑むため同盟機関「ステイツマン」と組む。キングスマンがスマートスーツなのに対し、ステイツマンはワイルドカーボーイハット。
前作『キングスマン』ではがっしりと心を掴まれた。スタイリッシュで刺激的な映像でとくに師匠コリン・ファースの紳士然とした戦いぶりがかっこよかった。ありえないスピードと技で繰り広げられる大量殺人は残酷きわまりないのだが、現実味がなく痛みを感じないので目を背けずみていられた。終盤クライマックスでは人の頭がポンポンと飛び死んでいき悪ふざけがすぎていると一瞬思ったが、カラフルなポップさと音楽による昂揚で人が殺されているのに笑ってしまう自分に驚いた。度肝を抜かれここまでめちゃくちゃなら楽しもう。とにかく「かっこよかった」と大満足だった。
本作もキングスマンのかっこよさは健在。しかし後味悪さもあった。あんなふうに死にたくないし殺したくもない、血(ミンチ)の色が脳裏に残った。無邪気に楽しめなかった。しばらくハンバーガーは食べられない。
悪の組織ゴールデンサークルの女ボス(ジュリアン・ムーア)が仲間をグロテスクな方法で惨殺するように命令する。現実で起きている猟奇的な殺人を思い出し、吐き気がする気持ち悪さだった。それでも自ら悪事に手を染めた人だからろくな死に方ができなくても当たり前自業自得だと言い聞かせて、映画を見続けたのだが、悪人が殺されるのは仕方ないという考えが成り立たなくなった。善悪でことを分けられるほど単純ではなかった。ゴールデンサークルがばらまいたドラッグに仕込まれたウィルスに感染をした人たちが解毒剤を打たなければ、むごたらしい死を迎える事態になる。ドラッグをするのが悪い。救わなくてもいいと切り捨てることもできる。大統領の命令で発症した人々が隔離される風景は身の毛もよだつ恐ろしさ。これを機会に麻薬使用者を一掃できると考える大統領の方が悪人と思えてくる。
どんな理由があろうと犯罪に手をだしたらいけない。でも私は正しく生きている人間だろうか。たまたま平和な日本で暮らしたからまっとうに生きているつもりだが、犯罪が近くにあったらあちら側にいってしまわなかっただろうか。悪人だから殺してしまえ、むごたらしく死んでも仕方ないと考えるのはろくでもない人間ではないだろうか。殺戮満載の映画を楽しいなんと言えるなんて、死に対して麻痺してしまっているのかもしれない。でもやっぱりおもしろかった。セレブ代表役で出演しているエルトン・ジョン役のエルトン・ジョンが楽しそうだった。一番笑ったのは殺人ロボット犬からのエルトン・ジョンの「お友達」判断。ロボットとはいえ犬好きの私には人を襲う犬の姿を見るのはつらかった。命令されているだけでロボットは悪くないんだ。簡単に善悪はつけられない。
今回もスパイガジェットが魅力的、二人の紳士がスーパーハイテク傘を盾にしてスマートに戦うのが笑えてかっこよかった。スパイガジェットがほしくなったので黒地に金のキングスマンマークのパンフレットを買った。
カントリーロードで泣いた。死んだと思われた人がまた生きていますように。
「あの男が現れるまで、私たちは家族だった」この映画コピーに惹かれて映画館へ行った。
なんか違った。鑑賞後に知った監督提案コピー「さよなら家族、こんにちは人生」こちらが合っていると思う。
※【以下ネタばれあり】
「やっぱりそうだったんだ」と不思議に気持ちが楽になる映画だった。
孤独は当たり前なのだと言われた気がした。家族といえどもそれぞれが様々な事情や思いがあってバラバラだという前提で生きているのだなあと。
今まで私は壊れそうで壊れなかった家族の中で暮らしてきた。壊れなかったのがよかったのかどうかわからなかった。この映画でますますそう感じた。 きっと家族、夫婦、親子などの人間関係は努力があってこそよい関係が築けるのだろう。夫婦は他人のだからなおさらだ。同時に私は努力ができない人間かもしれないと考える。なぜならこの映画を観ていて「ああすればよかったのに、そうしたからいけない」なんて簡単に言えなかったからだ。
「この人は何を考えているんだろう」映画のなかで人の心の奥を覗き込む怖さを始終感じた。善人が悪人になり悪人が善人になる。それは自分にとって良い人か悪い人かというだけのことだと私は考えている。私にとって悪い人ではないはずだと信じているのは、人の闇を感じないように距離をとっているにすぎないのかもしれない。闇がいつ露わになかもしれない怖ろしさを孕みながら映画は進んでいく。胸の鼓動が落ち着く暇がなかった。生は常に死と隣り合わせで、動物的感で死を避けながら生きているのだろうとも考えた。
観賞中「死の淵」を感じ、終了後「心の淵」を考えた。ラストの川の場面での父親が家族を助ける行動に出る。私ならそんな動きはしないと思いながら見守った。誰を助けられるか誰を助けたいか。彼には彼の状況があり考えがある。彼でない私には彼の心がわからない。覗き込む。淵から心を覗きこむ気持ちになった。
最後があまりに衝撃だった。実際に起こった事件だったら絶望しただろう。物語として受け止められることで私は様々なことを考えた。ものすごい映画を観たのだ。こわかった。
製作国 日本
製作年 2016年
上映時間 120分
脚本・編集・総監督 庵野秀明
監督・特技監督 樋口真嗣
準監督・特技統括 尾上克郎
出演 長谷川博己、竹野内豊、石原さとみ
ゴジラを初めて見た。とてもおもしろい大人の怪獣映画だった。もしゴジラが出現したらを仮定して、国としての自立、防衛のあり方、原発等などを考えることができる。
以下【ネタばれあり】
ゴジラが都心を進む。這い進むだけなんだけど巨大だから建物は粉々、人々は逃げまどう。甚大な被害がでる。ゴジラを倒すしかないかなあ。自衛隊が武器使用すればいいのだけれど、日本では簡単にいかないから、えらい人たちのやり取りがなかなか興味深くて笑えた。
現在の日本の状況をリアルにあらわしているようでひきこまれたが、真剣になりすぎず素直に楽しめたのは、子供のころに観たウルトラマンなどの怪獣登場映画と重なったからかも(イー◯ン石原さとみも許すよ)
無人の新幹線がゴジラに突っ込んだりまさに総力戦。日本人が日々真面目に働き、力を蓄えてきたから対応できたんだと考えると胸が熱くなった。日本には底力がある。頑張ろう。
自衛隊のみなさんありがとう。民間も頑張る。
私もいざというとき役にたちたいと気持ちが高ぶった。防災意識も高まった。
いい作戦だった。どろくさくてよかったよ 。日本らしくておもしろかった。倒れたゴジラの口の中に直接液体を流し込むのには参った。何台ものポンプ車でホースを伸ばして、なんとも地味な作戦だ。「現実には無理」なんていったらおしまいで、怪獣映画だからおもしろがればいいのだ。
危機が去り。過去の反省がはじまる。
ラスト凍結されたゴジラがまるでモニュメントのようにそびえたちおそろしい美しさだった。ゴジラを殺すことは正義だったのだろうか。ゴジラは悪いことなんてしてない。それでも人間の命と生活を脅かす存在で、害獣であるから駆除するしかなかった。しかもゴジラは生体原子炉で放射物質を放出しているからますます放っておくわけにはいけなくなった。それでもゴジラが悪いんじゃない。意思疎通できない。制御できない生き物は殺すしかないそうするしかないということに怖さを感じた。追い込まれて特別な行為をせざるおえなくなったとき、日本人は人間は正しい選択ができるだろうか。今回はうまくいったもののいざとなったら超法規的処置でというのは怖い。
抑止など効かない世界がやってくるかもしれない。人間は地球のあらゆる物をコントロールできる気でいる。そもそも支配している気でいるのが間違っているのではないだろうか。ゴジラを殺すことは正義ではない。だから最後勝利の喜びに沸き立つのでなく、未来への覚悟を感じるものになっているのだと思う。地球は人間だけのものではない。あんまり人間の好き勝手にしちゃいかんよ。
エンドロールの長さにまた胸が熱くなった。結集をここでまた見せるとは。
「お前こそ落ち着けよ(ボトルどん)」
名台詞がたくさんある。見逃したらもったい。
できたら予備知識なしで観賞をお勧めしたい。
私はチラシをパッ見ただけのイメージで映画館に行った。最初はよくわからない。それが登場人物の気持ちがわかったと途端、「そうだったのか」と人を見る目が変わり一気に映画に入りこんでしまった。物語が現実と地続きになり感情を震わされて泣いた。
※【以下ネタばれあり】
「大丈夫?」とすれ違った女性から、私は声かけられたことが何度かある。死にたい気持ちがほんの少し浮きあがる。ほんの少しでずいぶん救われる。そうやってなんでもない人にちょっと助けられながら私はどうにか今日も生きた気がする。
この映画もどうにか生きている人たちの話だ。心に痛かった。やりきれない思いをどうにかおさえこんでいる人たちの感情が自分にめりこんできたからだ。
映画の恋人たちにくらべたら、私の人生なんてたいしたことは起こってないけれど、彼らの絶望がわかってしまって、悪気のない悪意がトゲトゲ刺さった。
他人の気持ちが想像できない人がなんでこんなに多いんだろう。家族や恋人、職場の同僚にはいい人でも自分の大切な人以外には薄情。その人がいつも悪人じゃないからやっかい。理不尽なことも起こる。こんな自分たちのことしか考えられない日本で生きていくのは大変だ。他人の気持ちなんてどうでもいいから、思いが通じないところか日本語も通じなくなってしまう。イヤになる。肝心なときには誰もいなくなるしね。「無理に助けてくれなんて言ってるんじゃない。気持ちをわかってほしい」だけなのに。
でもそんな人ばかりじゃないと、安心しほっとできたのは、主人公アツシの気持ちに触れてくる人がいたからだ。いつもひとりでうつむいている男(アツシ)に突然飴をあげて、「職場に暗い人がいるんだよと話したら、うちのお母さんが一緒にテレビ観たいって言っていた」なんて話し出す事務の女の子。仕事を休んだ同僚(アツシ)を心配してお弁当持って家を訪ねる先輩。思いつめている気持ちをほんの少しずらすやさしさってあるんだと思う。私もこんな少し相手の気持ちに触れられる人になりたい。私も助けられてきたもの。
なんでもない他人からほんの少し気持ちというものを受け取りあって、どうにか今日を生きて明日も生きるんだろうな。声を押し殺して泣いた。結局は自分ひとりで立つしかない。
「おいしいものを食べて笑っていられたらいい」若い頃無茶したせいで片腕を失った人がいう言葉だから深みがあった。「食べるしかない=生きるしかない」
映画のラストの陽光がまぶしかった。「どうにか頑張るよ」という気になれた。自分は暗いとこにいても空は見えるからね。
とにかくすごかった。文句のつけようがない。
今作は『マッドマックス』4作目である。私の旧作の記憶は「昔、メル・ギブソン主役の映画があったな~好みの映画ではなかったね」程度だ。1作目は1979年公開。3作目は1985年だからさすがにメル・ギブソンは難しかったのだろう。主役のマックスはトム・ハーディに代わった。
新作「マッドマックス」昨年の公開時には私の興味をひかなかった。しかし評価がすこぶる良いのを耳にし、どんどん観たくなった。遅ればせながら、映画館(2D版)で観賞した。
期待を裏切らない出来栄えだった。アクション映画は私の好きなのジャンルではないのに、これはいい。むちゃくちゃ狂っていて、「なんだこれは」と驚いているうちに話が進んでいき、全場面見どころという凄まじさだった。
【以下ネタばれあり】
水も石油も尽き果てた世界。どこまで行っても砂漠で、無法者がのさばる。家族を奪われたマックスは本能で生き残ろうとしているだけだった。資源を独占し民衆を支配するイモータン・ジョーに反逆し逃げる女戦士フィリオサ(シャーリーズ・セロン)たちにマックスは出会う。彼らは成り行きで手を結ぶ。逃げるマックスらを追いかける無法者集団。容赦ないカーバトル。爆走爆破爆音バイオレンス。絶望的な世界がリアルすぎる。狂いすぎている。まるで北斗の拳の世界。それもそのはず北斗の拳はマッドマックスを参考にしているそうだ。こんな暴力的な世界は恐ろしいばかりだから観るのも嫌になってしまいそうなところだが、女戦士フィリオサの説得力のある強さに希望を感じられひきこまれた。生き残れ。希望を捨てるな。
荒野を暴走し逃げるだけだからストーリーは単純。しかし浅い話ではない。最台詞は少なくてもそれぞれの人物の想いが伝わってきて、感情移入した。女戦士フィリオサは片腕がない。それを見るだけで大変な人生を歩んできたんだろうな、彼女の「ホーム(故郷)」への思いがせつなくてたまらなかった。ホームがあることの幸せや強さを考えて目頭が熱くなった。悪者のウォーボーイが無知で純粋なヤツだったしね(涙)最後らへんで泣きましたよ。
人生どうにもならないこともあるけど(マックスは助けると約束した家族を助けられなかった)諦めなければ変わるかもしれない(フィリオサは新しいホームを作るだろう。年配の女性が大切に持っていた種は受け継がれる)。
弱い立場でも最初から負けを認めるなと熱いメッセージを受け取った。闘争好きな男だけに世界を任していたらいけない。ひとりで悪ボスの妻を連れて逃走したフィリオサほどにはなれなくても 砂漠で軍団を作り生き残ってきた年配の女たちくらいにはなりたいわ。
シャーリーズ・セロンを讃えるし大絶賛もするけど、好みの映画ではない。私には刺激が強すぎた。かっこいいなんて少しも思わなかった。「とにかく生き残って」と祈る気持ちで観た。こんな映画のような世界にしたらいけない。
まじめに書いてしまったけど、まともな映像じゃありません。まともな車ないしまともな戦い方じゃないし変なのいっぱいでてきる。そのどれもがデザイン性がすばらしく目を見張った。とにかく狂っていた。ぜひ観てください。
映画館で観賞できてよかった。