本と映画とわたしと

感想です。

孤独な私が観た映画「おみおくりの作法」

2015-03-24 | 映画
ネタばれあり。
予備知識なしで観ることをおススメしたい。

「孤独でも笑って死ねる 勇気をくれる傑作」
という紹介文に心が動き、映画館へ向かった。

主人公のジョン・メイは、
ロンドンの民生係。
仕事は身よりなく亡くなった人を弔うこと。

死ぬのはまだ先のことだろうと思っていても、
「お葬式をあげてくれる人はいない」という現実に襲われ、
時折、猛烈に悲しくなるひとりものの私。

冒頭のお葬式で、
参列者がジョン・メイひとりきりという場面から、
孤独死する側に感情移入したため、大泣きして、
体力を使ってしまい、中盤で頭痛になってしまったのが、
悔やまれるほどいい映画だった。

なによりも主人公のジョン・メイがかわいいのだ。

ジョン・メイは
故人の親族、知人を探しだし葬儀に参列をお願いする。
葬儀にふさわしいBGMを選び、
弔辞を書いたり、
故人のために誠意を尽くしている。

彼の仕事ぶり、
おみおくりぶりを観ているうちに、
心が落ち着いてきたのは、
ジョン・メイのような人がおみおくりしてくれるから、
孤独死しても大丈夫だと思ったからではない。

邦題の「おみおくりの作法」なので、
孤独死をした人の弔い作法が描かれていると思いそうだが、
ちょっと違う

原題『STILL LIFE』は、静止画という意味。

故人の部屋に入り、
死者が残したハンドクリームの指の跡、
寝ていたことをしめす枕の凹みを見る。
静止したものを見つめることによって、
動いていた時間を感じ、
故人の人生に思いをめぐらし、
みおくる準備をするジョン・メイ。

静止しているように見えても
すべての物の上には時間が流れ動いているのだなあ。

みおくった人の写真をジョン・メイは自宅のアルバムに貼る。
身よりのない死者の写真(静止画)たちは、とても切ない。
しかし、その静止した画を見続けると、
生きていた(動画)感じられ、心を揺さぶられた。

この映画は、静かに淡々と描かれている。
些細なところで、
クスッと笑えるユーモアも効いていて、
だから、生きるって楽しいんだと思える。
人生で何が大切なのか考えさせてくれた。

ある日、
ジョン・メイは解雇を言い渡される。
理由は、
ひとりひとりの故人に時間をかけすぎ、
コストがかかっているから。
22年間誠実に勤めた44歳。
ひどい話である。
私と同年代だし、
器用に生きられないのは私も同じなので、
この辺りから、ジョン・メイのことが、
他人事とは思えなくなってきた。

ジョン・メイのアパートの向かいの部屋で
孤独死をした人の担当が最後となる。
こんな近くで、自分と同じように
家族はなく、友人も訪れない人がいて、
ひっそり死んだことに気づかなかったなんて、
ジョン・メイも多少なりともショックを受けたのではないかと思う。

ジョン・メイはひとりで生きていても
孤独だとは感じないようにに生きていたように見える。
それでも最後の仕事に今まで以上に取り組むことによって、
人と関わりを深く持ち、心が変わっていく。

今までとは違う行動をするようになる。
それまで不満を持って生きてきたわけではないと思うけれど、
新しい経験をして、少しずつ心を解放していくよう見えた。

彼女が家に来るかもしれないと思って、
犬の絵のついたマグカップをふたつ買ってしまうところでは、
私もうれしくなった。
観ている私も浮かれたように、
ジョン・メイも浮かれて注意不足になったのかもしれない。
今までなら車がいない横断歩道でも左右しっかりと確認して渡る彼が、
そうしなかったばかりに、大変なことが起きる。

私はここで映画に置いて行かれた。
すぐには状況を受け止められなかった。

人生は本当に思いがけないことが突然やってくる。
彼は受け入れられただろうか。

ジョン・メイが最後に担当した人は、
悪い人ではないけれど、
真面目に生きてきたジョン・メイとは正反対の生き方をしていた。
どんな生き方がいいか簡単には言えないけれど、
ジョン・メイと、最後の担当の人の葬儀が
対照的になっていて、胸に痛かった。

仕事の成果が出たから、彼は喜んでいるだろう。
それでもやっぱり悲しい。

映画を観終わった後、
「報われたんだ」と思おうとしたけどだめだった。

わかりやすいハッピーエンドではないので、
人によって正反対の想いになるかもしれない。
私は切なくて苦しい想いが消えない。

故人を偲ぶと、
ジョン・メイはとてもいい人だった。
器用に生きている人よりも
ジョン・メイのような心を持った人が私は好きだ。

後扉を開けたまま走りだしたトラックを追いかけて行って、
トラックに追いつけるはずないのに知らせようとするジョン・メイはいい人。
それでやっぱりトラックには追いつけずに、
荷物のアイスクリームが路上に落ちたのを拾って、
家で食べている姿がかわいらしかった。

お土産に生の魚をそのままもらって帰っても、
きっとジョン・メイは焼けないんだから、
困っているんじゃないかなと思っていたら、
やっぱり家で焼いて焦がしたりするのもかわいかった。

ズボンのベルトの強度を確かめて、
窓枠に引っかけた時は、嫌な予感がしたけれど、
4階からベルトを口で咥えてぶら下がっている時間で
寄附金がつり上がっていくイベントで、
3分半も頑張ったという故人の行動を真似しようとしただけだった。
44歳のいい大人の男性が、
亡くなった人の気持ちを理解しようとしてそんなことをするのもかわいい。

本当にいい人なのだ。

「よくいい人そう」という言葉を聞くけど、
私は本当にいい人にあったことはない。
本当にいい人は、ジョン・メイみたいな人で、
きっと突っ込みどころが満載で楽しい。
いい人だからこそ断れなかったり、
無駄にみえることに一生懸命になったり、
計算してないからかわいらしいんだと思う。

ジョン・メイのような人が報われてほしい。

私が気付かないだけで、
ジョン・メイのような人は周りにもいるのかもしれない。
人の心を見て、生きていきたい。

現代社会は人間関係が希薄となり冷たくなりつつある。
だからこそ、
わかりやすい欲望に左右されるのではなく、
心ある生き方をすることが大切なのだと強く思う。

気付かれないやさしさは切ないけれど、
あたたかい。
この映画を観て、胸に残ったのはあたたかさだった。





人間の本質とは。映画「カジュアリティーズ」を観て。

2015-03-02 | 映画
(ネタばれあり)

原題 Casualties of War (日本語訳、戦争の被害者たち)

ベトナム戦争で起きたアメリカ軍兵士による戦争犯罪に焦点をあてた戦争映画。
1989年制作。

実話をもとにしている。

この映画の一番の戦争の被害者は、
拉致、強姦、暴力の末、殺害される農民の娘。
さらに、娘をさらわれた娘の家族、
戦争に加担していないのに、被害にあった人たち。

アメリカ軍兵士は、
農村で暮らしていたふつうの娘を誘拐し、
ベトコンの娼婦だと言い放ち、強姦し、
隠滅のために、無残に殺害する。

娘の受けたあまりの痛ましさ、むごさが胸に突き刺さった。
身が震えるほどだった。

娘の拉致を支持したリーダーの軍曹は、
映画の冒頭では、
新米兵を命がけで、救う英雄でもあった。
それが、、
ベトナム兵の奇襲にあい、仲の良い黒人兵を殺されたことにより、
倫理観を失い、非道な行為に走るようになる。

戦争がなければ、軍曹は、
残忍な行為をするような人間ではなかったろう。
ふと、
娘を殺したアメリカ兵たちも
戦争の被害者であるかもしれないと思う。

それでもやはり、私は、
「すべて戦争が悪い」と、すまされることではないと感じた。
最も悪いのは戦争をはじめた国であるのは当然だが、
個人も罪を負うべきだ。
戦争という極限状態に置かれたことのない私が、
言えることではないのかもしれないが、
兵士たちの蛮行は、絶対に許せないことだ。
私には兵士が精神が病んで、狂気に走ってしまったようには見えなかった。

映画の主人公の上等兵は、
軍曹に命令されても娘の強姦に加わらなかった。
加わらなかったことで、
命を狙われる危険があるとわかっていても
拒否した。

この上等兵は、
拉致された娘を助けようと、軍曹に訴える。
「(黒人兵の)ブラウンが生きていたら、
こんなことは許さなかった」と。

軍曹の友だちというだけではなく、
黒人兵は陽気で、人を引っ張っていく雰囲気もあった。
彼のいうことなら、ついていく人がいたろう。
だが、悲しいことに上等兵は体も小さく、
意見が全く通らない下っ端であった。

私は、強くなりたいと思った。
自分に力があれば、
暴力を止めることができるかもしれない。

リーダーが暴走すると、集団も暴走してしまう。
強いもの正しくなる。
正しい行いをするためには、
自分に強い力がなければだめなのだと、
現実を突きつけられる思いがした。
人を助けたいのなら自分が強くならなければならない、
力を持たなければならない。
それが現実である。

娘を助けられなかった上等兵は、
見殺しにしてしまったという思いから、
苦しみを抱えることとなり、
彼も被害者となる。

上等兵は、こんなことを言っている。

「おれたちは間違っていないか。
 何か勘違いしている」
「いつ(爆撃され)吹き飛ばされるかわからない。
 だから何をしていいと何も構わなくなる。
 大切なことは反対だ。
 いつ死ぬか分からないからこそ、
 よけいに考えるべきなんだ。
 きっとそれが大切なんだ」

兵士たちは、戦地で殺し合いをしているうちに、
社会のルールが壊れていると気付き、
自分のルールで判断するようになったように見える。
「ここでは何も構わない。悪いことをしてもいいんだ」
「ここでは何も構わない。自分だけが生き残ればいい」

仲間の裏切りや、口封じのために殺されそうになっても
考えることをやめなかった上等兵と、
何も構わなくなる人との違いはなんだろう。

平和な集団社会で生き抜くためにみんな仲良く、
「殺してはいけない」がふつうの状態。
戦争で、生き抜くため
「殺してもいい」という異常な状態になったのが、
この映画で描かれている状況。

状況に合わせて、人間は変わってしまうのか。

群衆心理的要素があったとしても影響されない人もいるし、
戦争が人を変えるのではなく、
もともとあった邪悪な心が強くなってしまうのではないかという気がする。
秩序のある社会の中で、
おさえられていた悪や弱さが表に出てきてしまう。
個人の本質が強く出てしまうのではないか。

暴力傾向のある人、
優柔不断なひ弱な人。
考えのない人。
人種差別的な考えが表に現れたり、
自分の身を守るだけの人。

すべてを戦争のせいにすることによって、
思考が止まることのおそろしい。

私は戦争の現実を知らないので、
偉そうには言えないが、
この映画に関して言えば、
もともと持っていた本質が行動をさせたと思える。

戦争での行為を反省する人間性があれば、
精神的後遺症に悩まされるのかもしれない。
難しい問題ではあるが、
やはり兵士たちの蛮行を許してはいけないと強く思う。

この映画を観て、被害者になる恐ろしさと同じくらい、
加害者になる恐ろしさを感じる。

私の本質を冷静に考える。
加害者になるとしたら、
弱いために、自分の身を守るためリーダーに、
従ってしまうかもしれない。

不正義が行われ、不正義が隠される。
「世の中はこういうものだから諦めろ」に従うことなく、
「良心」持ち続けられる人間でありたい。

戦争被害者はいつでも弱い立場の人たちである。