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感想です。

映画「彼らは生きていた(2018)」/第一次世界大戦の記録フィルムが甦るドキュメンタリー

2021-06-26 | 映画

原題:THEY SHALL NOT GROW OLD 
ジャンル:ドキュメンタリー/戦争
製作:2018年
監督:ピーター・ジャクソン
上映時間:99分 R15+

概要:イギリス帝国戦争博物館に保存されていた2200時間を超える第一次世界大戦(1914-1918)の記録映像を修復、再構築したドキュメンタリー。第一次世界大戦終結100周年事業として制作された。無音映像にBBCが所有していた600時間以上もある退役軍人200人のインタビューや読心術のプロが解析した兵士の言葉、効果音を加える。
監督の祖父が第一次世界大戦に従軍している。この大戦で大英帝国軍の兵士100万人が戦死した。

見所:バラバラの速度で撮られていたフィルムを統一し、映像の修復とカラーリングされると、撮り直したのかと思うくらい生き生きと鮮やかに兵士の顔が映し出される。ナレーションはなく、元兵士が代わる代わる語る話を聞いていると、さまざまな思いで戦地に赴いたひとりひとりの存在を感じる。爆撃で無残に死んだ若者の映像は衝撃的だ。作り物ではなく本物の人の死体だ。彼らの笑顔をみたばかりなのに。

私の評価 ★★★★★(5点満点)
お家観賞

※【以下ネタばれあり】

 

戦争がどのようなものか知らない10代の若者たちが参加。

従軍するのが当たり前のような風潮の中、我も我もと志願した。19歳から35歳が志願資格であるのに、それよりも若い者が年をごまかして、採用する方もわかっていて合格させる。6か月の軍事訓練を受け、海を渡り西部戦線に送られた。敵と向かい合う塹壕線に配置される。不衛生、劣悪な環境であっても休憩時や食事の風景など仲間と過ごす日常の様子は楽しそうである。いつ死ぬか分からない状況で頑張れるのは仲間がいたからではないだろうか。戦場であっても彼らの青春なのだ。滑稽な話も飛び出してくる。

前線で最初にするのが紅茶を飲むこと

優雅に聞こえるが、しばしば紅茶を淹れたり、いよいよの時はラム酒を飲ませてもらうのは厳しい戦地で正気に保つためなのだろう。みんな人を殺すような怖い顔なんかしていない。むしろ幼さの残る顔がたくさん見られる。悲惨な状況を受け入れて、与えられた仕事を真剣にこなし生き延びようとしている。
死と隣り合わせの戦場で運良く生き抜いた元兵士たちの言葉は重い。なぜ隣の友人が撃たれ、死ななければならなかったのか。誰にもわからない。生き残ったのは運がよかっただけという極限の経験だ。不思議なことに彼らから戦争への嫌悪は感じられない。戦地の赴いたのを悔いていない人もいる。それは生きて帰ってきた人の話だからである。無残な死体は話ができない。
終戦前の戦いなどは死にに行けといわれているようなものだ。引き返すことはできず、引き返そうともせず、前進する。残酷きわまりない。戦えと指示されたから戦っているだけなのだ。敵のドイツ兵は案外いいやつで向こうもそう思っているのだから。

「全くもってこの戦争は無意味だと」

終戦後、互いの兵士の意見が一致した。恨み合っておらず、おなじ思いであったことは救いである。イギリス兵とドイツ兵が一緒に終戦の記念写真におさまるのがこの戦争を物語っている。

命をかけて戦っていたのに、市民生活は戦場とはまったく別の世界だった。帰還した兵士は労をねぎらわれることもなく、英雄視どころか居場所がない。故郷にもどり社会に必要とされないのがつらかったと言う。戦争の話を聞きたがるものはいない。従軍した兵士が行かなかった人から強烈なことを言われる。

「ところでおまえはどこに行っていたんだ?」

我々の周りで何が起きているのか無関心であってはいけないのだと思う。尊い犠牲があったから国が守られたのだと言えば、戦争を肯定するように聞こえてしまうが、戦わなければどうなっていただろうか。無力だったらさらに大きな犠牲を生んだかもしれない。だれもが自分や自分の大切な人が悲惨な目にあって欲しくない。敵であってもケガをして倒れていれば救いたいと思う。ひとりひとりはやさしいのになぜ平和でいられないのだろう。悲しいが人間は戦争をする動物なのである。
いつのまにか戦争がはじまっている状況を生まないために、知ることや考えることを止めてはならないと強く感じた。いつの間にか戦争がはじまっていることがないように。繰り返さないように。

 「and in memory of 彼らを忘れない」

 

OGPイメージ

映画 彼らは生きていた (2018)について 映画データベース - allcinema

 「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズのピーター・ジャクソン監督が、イギリス帝国戦争博物館に所蔵されていた第一次世界大戦の激戦地、西部戦線で...

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映画『理由なき反抗』/24年しか生きられなかったジェームズ・ディーン。生きていたら90歳なのに、

2021-06-22 | 映画

原題 Rebel Without Cause
製作 1955年
公開 1955年10月26日(アメリカ) 1956年4月18日(日本)
監督 ニコライ・レイ
脚本 スチュワート・スターン、アーヴィング・シュルマン
原作 ニコライ・レイ
出演 ジェームズ・ディーン、ナタリー・ウッド、ジム・バッカス、アン・ドーラン
上映時間 111分

本作公開1か月前にジェームズ・ディーンは交通事故により死去する。24歳没。2021年の今生きていたら90歳である。早くに亡くなり永遠の青春スターになったが、年を重ねた姿も見たかった。かっこいいだけじゃなく、彼にしか表現できない繊細さと演技への情熱は、すばらしい作品を生み出しただろう。

自分の評価 ★★★☆☆ 3.0点
お家観賞

※【以下ネタばれあり】


ー写真は映画と関係ありません

10代のエネルギーと反抗心。
映画の彼らと同じ歳の頃、教師が「なぜ高校生がバイクに乗ったらいけないのか」という質問に「バイクで事故して死んだら悲しいからだ」と答えた。自分が死ぬなんて思わず暴走する若者がたくさんいる。大人とぶつかる理由なき反抗の時期があったことを思い出した。

同じ夜に補導された高校生3人。
ジム(ジェームズ・ディーン)は強い母親の言いなりになるふがいない父親に反抗し、ジュディ(ナタリーウッド)は大人扱いされ、かわいがってくれなくなった大好きな父親に反抗し、プレイトウ(サム・ミネオ)は離婚した両親が家に寄りつかず、家政婦に育てられ反抗する相手もいない。ジムもジュディも大丈夫、反抗期が過ぎれば落ち着いて、親との関係は修復できる。問題なのはプレイトウで、子犬を撃ち殺して注意を引こうとしても親は現れない。

根はいい子たち。
ジムと対立する不良たちも限度をわきまえていて、やりすぎない。ほほえましくさえある。ジムとバズ(ジュディの彼)の喧嘩はナイフで刺すと大けがをするので、皮膚の表面を切りつけあうだけというルールを決めた決着をつけるためのチキンレースもケガがないように終わるはずだった。対戦前バズはジムに本音を吐いた。「おまえのことは好きだ。だがやらなきゃいけない」仲間や彼女の手前やらざるおえなかっただけなのだ。

集団になると周りで煽ったりそそのかしたり、やりすぎて悲劇が起こる。
ジュディがスターターを務め、スカートがなびきとてもかっこいいが感心しない。高揚感に飲まれ心配していない。アクシデントで車ごとバズが崖から落ち、死んでしまう。仲間や彼女の前でかっこよく威厳を保つため命を落とすなんてやりきれない。しかもみんなちりぢりに逃げてしまう。若者にとってこれまで生きてきたよりもはるかに長い人生がこの先あるのだからしかたないのかもしれない。命をかけても周りはそんなものなのだからチキンレースなんてしないことだ。

ジム、ジュディ、プレイトウで家族を作るけど、疑似家族はすぐ破綻しそうだった。
後半プレイトウが気になった。ジムとジュディに依存しはじめる。ジュディもジムに寄りかかっている。会ったばかりであまり知りもしないプレイトウを必死で助けようとするジムを見直した。悪ぶっているけれど、芯からよい人間なのだ。ジムだけはバズが死んだ責任をとろうとしていたし。ジムはわかっていただろう。乱暴者と言われる不良グループよりも銃を撃つプレイトウのほうがよっぽど問題があった。救おうとした。プレイトウを落ち着かせようとするジムは本当にやさしかった。それなのに助けられなかった。

ジムは父の和解できたのはよかったが、友人の死はあまり大きい代償だ。
ジムはプレイトウの銃に弾は入っていないから大丈夫だと伝えようとしたのに話を聞いてもらえなかった。家族に対する反抗は解決に向ったとしても、世間に対し反抗する理由を持ってしまったのかもしれない。単なる青春映画ではなく、深く考えたくなるのはジェームズ・ディーンの演技が繊細だからである。


映画『レ・ミゼラブル(2012)』/スペクタルなミュージカル。パンと自由、そして愛。

2021-06-20 | 映画

公開:2012年
監督:トム・フーパー
出演:ヒュー・ジャックマン、ラッセル・クロウ、アン・ハサウェイ、アマンダ・サイフリッド、エディ・レメイン、サマンサ・バークス、サシャ・バロン・コーエン、ヘレン・ボナム=カーター
上映時間:152分

あらすじ ヴィクトル・ユゴー原作のミュージカルを映画化。19世紀フランスが舞台。飢える姪のためにパンを盗み重い刑が科されたジャン・バルジャンは、脱獄で刑が加算され徒刑場で19年服役し、ようやく仮釈放される。

見所 ①美術が凄い。貧困に苦しむ民衆の暮らしがリアルに描かれ、壮大なミュージカルに仕上がっている。②感情がのった歌と演技(パフォーマンス)がすばらしい。後から歌を取り直すのではなく、歌って撮影している。ほぼ全編セリフがすべて歌なので、突然歌いはじめることはなく自然である。ミュージカルが苦手な私でも文句なしに楽しめた。

私の評価 ★★★☆☆3.0
お家観賞

※【以下ネタばれあり】



小説を読んでないので、映画のみの感想です。

民衆は貧困と無慈悲な世間に苦しんでいる。かなり悲惨なのに見ていてしんどくならなかったのは、ミュージカルだからと思う。踊らないけれど、ミュージカルだから動作が大きく現実味が薄まる。しかし映像が重厚で迫力があるのでリアルに迫ってきた

ジャン・ヴァルジャン(ヒュー・ジャックマン)は、長期間の服役で激痩せしているときでも、体が大きいので自らの力で生き抜く強さを感じる。気の毒なのは娘を養うために必死になる未婚の母フォンテーヌ(アン・ハサウェイ)。少女のような彼女が髪を売り歯を抜かれて、なすすべなく落ちぶれていく様子は衝撃的でミュージカルじゃなかったら見ていられなかっただろう。

152分の中にたくさん物語が詰め込まれているのでしかたないのだけれど、展開が早かった。ジャン・ヴァルジャンに大切に育てられるフォンテーヌの娘コゼット。コゼットと恋に落ちるお金持ちのマリウス。マリウスに恋をする貧困層のエポリーヌ。マリウスを含む学生たちが暴動を起こす。子供が殺される。エポリーヌも殺される。たくさんの血が流れ鎮圧された。

生き残ったマリウスは家に帰って、令嬢のようなコゼットと幸せになる。貧しい人たちと共に革命を目指していたのに、結局は反発していた裕福な実家へ戻ってしまった。仲間が全員、死んだのはなんだったのかと思ってしまう。コゼットのために、マリウスはもう危ない運動はしないだろう。男のような格好をして革命に参加し、命を落としたエポリーヌがせつない。

ジャン・ヴァルジャンを執拗に追う警察官ジャヴェール(ラッセル・クロウ)は権力を笠に着る悪人ではなく、職務を全うする人だった。極悪人と思っていたジョン・ヴァルジャンに命を助けられ信念が揺らぎ、自死してしまう。なんでこんな危ないところで歌っているんだろうかと思っていたら、激流に飛び込んでしまった。人の心の中は起こった事実で推し量るしかないのか。
相手の信じられない行動で自分の心に変化が起きる。かつてジャン・ヴァルジャンも司教の思いも寄らぬ慈愛に満ちた行為に救われ、生まれ変わった。司教のように相手をゆるせるようになった。ジャヴェールにはゆるす生き方はもうできなかったのかもしれない。

人生で何を信じるかは難しい。愛を信じてもフォンテーヌみたいに男に捨てられるかもしれない。娘コゼットが幸せになったから、フォンテーヌは報われたとしても死ぬことによって苦しみから解放されたのはつらい。

誰かを愛し幸せを願うことで、自らも幸せになれる。悲しいのは必ず幸せになれるわけではないことだ。フォンテーヌや、エポリーヌの苦しみは愛が得られなかったからだ。それでも愛あればこそ幸せになれる。ジャン・ヴァルジャンがコゼットを愛したことで幸せになったように。
愛に見守られてジャン・ヴァルジャンは、幸せな死を迎えた。しかしその急激な老い方には驚いた。まだ衰えぬ体力でマリウスを救い出したのに、あっという間に老いて、神が迎えに来てしまうとは人生は儚い。

犠牲を厭わない愛の姿に感動したいところだが、私は不確かな愛よりも、最低限、パンと自由が必要だという現実的なことを考えた。貧困は悲惨である。ハッピーエンドで終わったのに、こんな感想でちょっともうしわけないが、かわいそうな人たちが心に残る。世間は厳しい。原作はもっと悲惨らしい。

追加 ヘレナ・ボナム=カーターが宿屋を経営する女性を演じている。また変わり者の役だ。乱痴気騒ぎっぷりが上手い。『眺めのいい部屋』のお嬢さん役で彼女を知ったから、変わりようにいつも驚く。楽しそう。


映画『ヘヴン』/美しさにケイト・ブランシェットが爆弾犯だということを忘れてしまいそう。

2021-06-17 | 映画

原題『Heaven』
公開 2003年
上映時間 96分
監督 トム・ティクヴァ
出演 ケイト・ブランシェット、ジョヴァンニ・リビシ

見所 ①ケイト・ブランシェットの美しさ。その涙はファン必見。白Tシャツとジーンズで際立つかっこよさ。②風光明媚なイタリアの田舎の風景。

私の評価 ★★☆☆☆ 2.0点 
お家観賞

※【以下ネタバレあり】


夫を死に追いやった男に復讐する女性(フィリッパ)をケイト・ブランシェットが演じる。方法は時限爆弾。犯罪ものかと思っていたら、ラブロマンスでした。
闇が深そうな麻薬の売人と警官との関係は表に出ず、捕らえられたフィリッパに恋をした刑務官フィリッポの手引きで逃げ出し、復讐相手をいとも簡単に殺してしまう。ここで私は肩の力が抜けました。


復讐を果たしたら罪を償うのかと思ったら、ふたりで逃避行。休暇中のように汽車でフィリッパの田舎に向かう。間違いだったとはいえ、子供ふたりと父親、掃除の仕事中の女性4人を爆弾で殺してしまったのにと、もやもやしているうちに、フィリッパが坊主頭になってしまいます。フィリッポもお揃いです。かえって目だつのではないだろうか。なかなか捕まらないのが不思議でした。


イタリアの田舎のステキな景色に、坊主頭白Tシャツジーンズ姿で美しさ際立つフィリッパ、爆弾犯だということを忘れてしまいそうです。

「愛していない」と言えば、彼だけ逃げきれるかもしれないのに「愛している」と、引き止める。二人で捕まる覚悟かと思ったら、ヘリコプターを盗む。
ヘリコプターが空へ消えていく様子は、浄化されていくかのようでした。しかし完全に見えなくなったとき、被害者や父親、ほおをひっぱたいてくれる友人の気持ちが痛みとして私に残りました。兄に従って逃亡の手助けをした幼い弟が心配です。

「なぜ最も大事な時に人間は無力なんだろう」

息子を助けられなかった父親の言葉が心響いたからです。10年ぶりとはいえおねしょをしたり、階段で弟と話す姿は幼く見え、父親の心配が見て取れました。精神的に危うい息子だったんだろうなという気がします。母親の気配がない分、父親の愛情が強く感じられました。やっと父親とおなじ刑務官の仕事についたのかもしれないと想像します。よけいにせつない。

きれいにまとまっているので、破滅に向かっているのを感じさせなかったけれど、死に場所を探していた女性に共感してしまったと考えると、苦しい。生きて欲しい。

ラスト、ふたりはヘリコプターで上昇。ふたりは他国に逃げる道もあるが、このまま天国へ旅立つのかもしれない。そんな美しい終わり方でした。