できたら予備知識なしで観賞をお勧めしたい。
私はチラシをパッ見ただけのイメージで映画館に行った。最初はよくわからない。それが登場人物の気持ちがわかったと途端、「そうだったのか」と人を見る目が変わり一気に映画に入りこんでしまった。物語が現実と地続きになり感情を震わされて泣いた。
※【以下ネタばれあり】
「大丈夫?」とすれ違った女性から、私は声かけられたことが何度かある。死にたい気持ちがほんの少し浮きあがる。ほんの少しでずいぶん救われる。そうやってなんでもない人にちょっと助けられながら私はどうにか今日も生きた気がする。
この映画もどうにか生きている人たちの話だ。心に痛かった。やりきれない思いをどうにかおさえこんでいる人たちの感情が自分にめりこんできたからだ。
映画の恋人たちにくらべたら、私の人生なんてたいしたことは起こってないけれど、彼らの絶望がわかってしまって、悪気のない悪意がトゲトゲ刺さった。
他人の気持ちが想像できない人がなんでこんなに多いんだろう。家族や恋人、職場の同僚にはいい人でも自分の大切な人以外には薄情。その人がいつも悪人じゃないからやっかい。理不尽なことも起こる。こんな自分たちのことしか考えられない日本で生きていくのは大変だ。他人の気持ちなんてどうでもいいから、思いが通じないところか日本語も通じなくなってしまう。イヤになる。肝心なときには誰もいなくなるしね。「無理に助けてくれなんて言ってるんじゃない。気持ちをわかってほしい」だけなのに。
でもそんな人ばかりじゃないと、安心しほっとできたのは、主人公アツシの気持ちに触れてくる人がいたからだ。いつもひとりでうつむいている男(アツシ)に突然飴をあげて、「職場に暗い人がいるんだよと話したら、うちのお母さんが一緒にテレビ観たいって言っていた」なんて話し出す事務の女の子。仕事を休んだ同僚(アツシ)を心配してお弁当持って家を訪ねる先輩。思いつめている気持ちをほんの少しずらすやさしさってあるんだと思う。私もこんな少し相手の気持ちに触れられる人になりたい。私も助けられてきたもの。
なんでもない他人からほんの少し気持ちというものを受け取りあって、どうにか今日を生きて明日も生きるんだろうな。声を押し殺して泣いた。結局は自分ひとりで立つしかない。
「おいしいものを食べて笑っていられたらいい」若い頃無茶したせいで片腕を失った人がいう言葉だから深みがあった。「食べるしかない=生きるしかない」
映画のラストの陽光がまぶしかった。「どうにか頑張るよ」という気になれた。自分は暗いとこにいても空は見えるからね。