本と映画とわたしと

感想です。

映画「ビューティフルボーイ」/すべて薬物はおそろしい。

2019-04-29 | 映画

(映画館観賞)

主人公ニックを演じるティモシー・シャラメは美しい。

ポスターも美しい。薬物依存の話なのに、ビューティフルで大丈夫だろうかと心配したがビューティフルだからこそ考えさせられた。

(以下ネタバレあり)

「覚醒剤やめますか? それとも人間やめますか?」

私が子供の頃、強烈なテレビCMが流れていた。薬物は絶対手を出していけない恐ろしいものなのだと心に刻まれた。この映画の最後にアメリカの50歳以下の死因で最も多いのは「薬物の過剰摂取」と映し出される。人間をやめた人がこんなにも多くいるのかと驚愕した。 映画「ビューティフルボーイ」は薬物依存の息子とそれを立ち直らせようとする物語で、音楽ライターの父親と息子ニックとの実話である。タイトル「ビューティフルボーイ」はジョンレノンが息子に向けて歌った同名曲から取られている。ビューティフルボーイとは父親の息子への愛情を表す言葉だった。 

父親は息子ニックにマリファナを勧められて、息子がドラッグをしていると知る。戸惑いながらもよい理解者であるのを示すかのように一緒に吸う。父親は自分も吸ったことがあるしマリファナを気晴らし程度ならいい、吸い過ぎるなと注意をするにとどまっている。ここがターニングポイントだったのではないのか。父親がマリファナを認めたことでひとつのハードルを軽々と超えてしまった。父親はドラッグにのめり込まなかったけれど、息子は堕ちていった。より依存性の高い強い薬物クリスタルメタルに手を出し抜け出せなくなる。あんなにかわいくいい子だったいとしい息子がなぜ薬物中毒になってしまったのかと父親は自問自答し続ける。あのときマリファナを許したのが間違いだよと私は思いながら、薬物をやめられない恐ろしさを感じた。

everything(すべてを超えて愛している)とハグする姿はどんな父子より絆が強かった。

愛情に包まれて育っても薬物依存になる危険はある。薬物中毒の悲惨さに焦点を当ててはないが美しいティモシー・シャラメの演技は素晴らしく、美しい彼が演じることで際立ったのはドラッグはいとも簡単に人を虜にして抜け出せなくするということだ。本人の責任ではあるけれど誰もが陥る危険性があると伝わってきた。両親の離婚で心に満たされないものがありドラッグにはまったとは感じなかった。問題はあったのだろうが、ニックのことを家族は気にかけ愛している。私はドラッグが近くにあった不幸を思う。お金がありドラッグがすぐ手に入る状態がいけない。 

薬物依存のミーティングで薬物依存の娘を亡くしたばかり母親が「喪中ですが私はもう何年も裳に服しているのです。中毒だった娘は生きている時から死んでいました。生きている娘の裳に服すのはつらい。そういう意味では今の方が楽かもしれません」とスピーチする。助けてやりたくてもどうすることもできなかったという現実に胸が締め付けられる。本人の意志が強ければやめられるとか、家族の愛があれば救えると簡単には言えない。 

 何があったんだと問う父に対し、これが本当の僕だと訴える息子。

十代の多感で不安定な時期の父子のぶつかりがドラッグから抜け出せない原因だとは思えなかった。突き放すことも大切だと考える父親に対し「絶対諦めない」という母、どちらが正しいかわからない。治療と再発の繰り返し、抱きしめたり突き放したりあらゆる事をしても息子は戻ってこない。ドラッグにはまる人とはまらない人の違いは分からない。ただドラッグが身近にあってはいけないのだと思うばかりだ。本人は 薬物をやめられないことが苦しい。家族は心配でたまらないのに救えない。互いが苦痛の中にいるとわかり合えたとき、治療へのようやくスタートが切られた。間に合って良かった。なぜドラッグにはまってしまったのかという背景は語られないのは、特別なことがあったから薬物依存になったのだと理由付けを観ているものに与えない為だと考えた。

映像終了後、ニックは家族や支援者の支えもあり8年間ドラッグを断ち、現在は脚本家として活躍していると語られる。依存症から立ち直った。死んでいてもおかしくなかったのに8年も生きられたのは運が良かった。

クレジットが流れる最後に、ティモシー・シャラメが5分に渡りチャールズ・ブコウスキーの詩「Let it Enfold You」を朗読する。最後にニックの思いが少し分かった気がした。平穏や幸福がなんだというのであろう。つまらない幸福感からのトリップしたい。現実の世界が虚しいく感じてしまう時期だったのかもしれない。私も冷めた心で何も感じなくなる十代があった。特別なことではない。しかし虚無が続くわけではないと、この詩から読み取ることができる。チャールズ・ブコウスキーは放浪と酒浸りの人生で、裕福な家庭で愛情を注がれたニックとは全く違うのにニックのお気に入りの作家の一人であるという。ニックの気質がドラッグにはまった原因のひとつかもと感じる。

回復は時間をかけ子供の成長を待たなければいけないのかもしれない。命の危機を脱することができたのは本人の意志に加えて家族と支援者から十分なサポートがあったからである。それでも運がよかったと言いたい。どんなドラッグでも危険がある。手を出してはいけないと強く思う。

薬物依存者への十分なサポートと、なによりも薬物のない社会を願う。


映画『半世界』/40歳になる人、なった人にお勧めしたい。

2019-04-20 | 映画

(映画館観賞)

稲垣吾郎、長谷川博己、渋川清彦3人の40歳前の男たちの話で、3人は仲のよい同級生だけれど、同窓会的な学生時代の友だちっていいなという話ではなかった。

吾郎ちゃんが、冒頭で田舎のおじさんに見えて一気にリアリティが出た。台詞が多すぎると思うところもあったが、笑いどころ、じーんと感動どころもあり、最後には自らの人生を考えさせられ、見応えたっぷりの映画だった。

※(以下ネタバレあり)

40歳といえば人生の半分だ。

人生に挫折し故郷に戻る。故郷の親友たちもそれぞれ絵に描いたような幸せではないけれど、どうにかやっていた。自分の人生に責任を持たなければならない年齢に達したのだと感じたとき、立ち止まり考えさせられる。自分のせいだと思わなければいいのかもしれない。誰かのせいにできれば楽になれるかといえばそうではない。誰も自分をわかってくれるはずもなく、自分の居場所は自分が見つけなければなならない。助けてもらうことも助けてやることもできない。それでもあいつも頑張っているから俺もがんばろうと思えるのが友だちだ。相手の苦しみを理解できた時、本当の繋がりができる。人は結局ひとりなのだとしても強く生きられるのだと感じた。

「なるようにしかならない」

悪い方に向かわないでほしいと願いながら観たが、心配したことは起こらなかった。もしかしたら私たちはすんでのところで踏みとどまって生きているのかもしれない。踏みとどまることができる強さや優しさ繋がりを持っているのだと信じられた。それなのに予想もしなかった事が起こってしまう。半世界を突きつけられた気がした。

 私は40歳になった頃から「こんな人生になるとは」思うようになった。どんな人生を自分は歩もうとしていたのかさえ分からなくなった。振り返っても戻れはしない。自分の思っていたとおりになる人なんてそういない。努力をするしかない。日々を生きていく。今がよければいいという意味ではない。明日のために今をよくしていく。明日どうなるか分からないから明日のために生きる。

半世界が続く。

映画『半世界』公式サイト→http://hansekai.jp/