本と映画とわたしと

感想です。

映画『黒い雨」/ 「正義の戦争より不正義の平和」の重み

2022-03-03 | 映画

ジャンル 戦争
製作 日本
英語タイトル Black Rain
製作年 1989
公開 1989/5/13
上映時間 123分 +(未公開シーン19分)
監督 今村昌平
脚本 石堂淑朗 今村昌平
原作 『黒い雨』井伏鱒二 
プロデューサー 飯尾久
撮影 川又昇
美術 稲垣尚夫
音楽 武満徹
録音 紅谷愃一
照明 岩城保夫
編集 岡安肇
助監督 月野木隆
スチール 石月美徳

出演 田中好子(高丸矢須子)、北村和夫(閑間重松)、市原悦子(閑間シゲ子)、原ひさ子(閑間キン)、沢たまき(池本屋のおばはん)、立石麻由美(池本屋文子)、小林昭二(片山)、山田昌(尾崎屋タツ)、石田圭祐(岡崎屋悠一)、小沢昭一(庄吉)、楠トシエ(カネ)、三木のり平(好太郎)、七尾怜子(るい)

私の評価 ★★★★☆(4.0点)

お家観賞

概要 昭和20(1945)年8月6日8時15分、快晴の空から原子爆弾が落とされた。その20分後旧広島市から北西の地域にかけて真っ黒い雨が降る。この雨には多量の放射能が含まれていたため、雨に打たれた者は二次的に被曝した。人々はそれが何か知らなかった。
黒い雨とは核爆発による気流の乱れから吹き上げられた細かい塵が降雨となったもの。放射性落下物(フォールアウト)の一種である。
原作である井伏鱒二の『黒い雨』は、雑誌『新潮』昭和40(1965)年1月号~翌年9月号に連載された。当初は『姪の結婚』という題であったが連載途中で『黒い雨』に変わった。釣り仲間の重松静馬の日誌(『重松日記』)を資料に書かれた小説である。

 被爆ー爆撃によって被害を受けること。原子爆弾水素爆弾による被害者を被爆者という。
 被曝ー放射線に晒されること。

※以下ネタバレあり



矢須子は原爆投下時には離れた場所にいて直接被曝していない。しかし船の上で黒い雨を浴びる。さらに広島市内に入り叔父叔母と共に逃げ回ったため残留放射能を浴び、被曝しながらも北へ逃げて助かる。急性障害は約5か月後にほぼ終息したという。

5年後、3人は広島市から離れた福山の田舎で暮らしている。叔父が縁談をまとめようとしても、矢須子はピカにあっていると噂を立てられ断られてきた。若く美しい矢須子の控えめな様子に原爆の影を感じてやりきれない。田舎ののどかな生活は平和に感じられるのに、原爆症でひとりまたひとり亡くなる。帰還兵でPTSDに苦しむ若者もいる。そのうちに叔母や矢須子にも被爆の後遺症が忍びよる。それを隠す矢須子の姿が痛ましい。

朝鮮戦争で原爆を使用する可能性あるというニュースがラジオから流れる。
「正義の戦争より、不正義の平和のほうがまし」原爆の地獄を見た叔父の言葉は重い。
不正義の平和であっても原爆を回避できるのならそのほうがましである。そもそも正義の戦争などないし、不正義の平和などもない。あるのは正義の平和であると私は思う。

矢須子が病院に運ばれていくのを叔父が見送る場面で映画は終わる。願いと諦めが入り混じるラストだった。

この映画には当初は付け加える予定だった四国巡礼のシーン(カラー)が存在する。昭和40(1965)年夏、矢須子は生き延びていた。
「私一人いい目にあうわけにはいかんのです」と結婚していない。行き着いたのは四国巡礼であった。「この老人は言わず語らずのうちに私にすべてを捨てることを教えた。私は叔父さんが残してくれたものをすべて原爆病院に寄付し、愛する人も捨てた。私は今何もなしの身軽さである」

矢須子の自分だけが幸せになれるはずがない幸せになってはいけないと思う気持ちは、戦争が幸せを特別なものにしてしまったように思える。胸が痛く気持ちの持って行き場がない。

私の母はこの映画の叔父が原爆投下時にいた横川に住んでいた。箪笥の影にいて直接光線に当たらず助かったという。2歳だった。3人と同じように北へ逃げ助かった。後遺症を恐れることも差別を受けることもなく今も健在である。子どもである私も50歳になり、健康に暮らしている。それでも原爆がなければと話すことがある。手を合わせる。

映画 黒い雨 (1989)について 映画データベース - allcinema

 井伏鱒二の同名小説を「楢山節考」の今村昌平監督が映画化。原爆による“黒い雨”を浴びたたために人生を狂わされた一人の若い女性とそれを温かく見...

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原爆を題材にした映画『ひろしま』の感想を書きました。

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映画『ひろしま』/地獄 - 本と映画とわたしと

製作年1953年上映時間109分モノクロ監督関川秀雄脚本八木保太郎原作長田新編纂「原爆の子~広島の少年少女のうったえ」出演岡田英次、月丘夢路...

映画『ひろしま』/地獄 - 本と映画とわたしと

 


核兵器の恐ろしさを知るために、広島平和資料館に訪れていただきたいと願っています。

広島平和資料館HP


映画『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』/ディズニーのそばにある町で暮らす子どもたち

2022-02-18 | 映画

 

 

原題 The Florida Project
ジャンル ドラマ
製作国 アメリカ
製作年 2017
公開 2017/10(アメリカ)2018/5(日本)
上映時間 112分
監督 ショーン・ベイカー
脚本 ショーン・ベイカー、クリス・バーゴッチ
製作総指揮 ダーレン・ディーン、エレイン・シュナイダーマン
製作 ショーン・ベイカー、クリス・バーゴッチ、ケビン・チノイ、アンドリュー・ダンカン、アレックス・サックス、フランチェスカ・シルヴェストリ、ツォウ・シンチン
撮影 アレクシス・サベ
美術 ステフォニック・ユース
衣装 フェルナンド・A・ロドリゲス
編集 ショーン・ベイカー
音楽 ローン・バルフェ、
音楽監修 マシュー・ヒアロン=スミス 
レイティング G(一般映画)

出演 ウィレム・デフォー(管理人ボビー)、ブルックリン・キンバリー・プリンス(主人公の女の子ムーニー)、ブリア・ヴィネイト(母ヘイリー)、ヴァレリア・コット(友だちジャンシー)、クリストファー・リベラ(友だちスクーティ)、ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ(ボビーの息子ジャック)、メラ・マーダー(スクーティの母アシュリー)、ジョシー・オリーヴァ(ジャンシーの祖母)

概要 ①ディズニーワールドリゾートに隣接する町で暮らす子どもたちの夏休み。真夏のフロリダの陽射しと鮮やかな空の青さに、ディズニーの延長のようなカラフルに作られたポップな建物の立つ町で、悪びれない子どもたちが生き生きとして過ごしている。
②「フロリダプロジェクト」とはウォルト・ディズニーによるフロリダでのテーマパーク開発計画を示す言葉。また「プロジェクト」とは低所得者のための公営住宅を意味する言葉でもある。二つの意味が込められているタイトルである。
②悪役出演が目立つウィレム・デフォーがモーテルの管理人役。仕事に忠実で子どもたちを遠くから見守るまなざしがやさしい。

私の評価 ★★★★☆(3.5点)
お家観賞 

※以下ネタバレあり


オープニングは弾む音楽と元気いっぱいの子どもたち

子供の目線に合わせた低いカメラワークで、彼らの夏を追っている。主人公の6歳の女の子ムーニーの暮らすのは、パープル色のモーテル「マジックキャッスル」。お向かいのモーテルは「フューチャーランド」。ディズニーワールドリゾートの延長のような夢のある名前のモーテルに滞在しているのは安アパートさえ借りられない人々。入居審査や保証金を納めるのが難しいので割高になるモーテル(1日35ドル)に居住するしかないのである。
町に点在する観光客目当てのギフトランドやアイスクリーム店はオレンジや魔法使いの形をして楽しい雰囲気を作り出している。ムーニーたち子どもも楽しそうである。観光客にお金をせびってソフトクリームを買ったりチップを期待したりする。それが当たり前のようにけろりとしている。

管理人ボビーの見守り

子供らしいいたずらは、陰湿ではないし悪い子たちではないのだけれど、ほほえましいともいえない。周りの大人(ボビー)は冷静に対処しているが、肝心の母親ヘイリーは子どものしつけができない。子どもたちの安全も十分とはいえない。ボビーがしっかり掃除修繕管理をしていて、モーテルに荒れた感じはなくても近くにはハイウェイの車がビュンビュン走っていて、事故の心配やさらわれる危険を感じる。ボビーは子どもたちを遠くから守っている。よからぬ大人を追っ払ったり、子どもたちを叱り約束を守らせる。管理人という立場を超えないように親切にしている。ムーニーたちが不平不満を言いながらボビーの周りをうろつく様子に心が和む。守ってもらっていることに気づかないのがまたかわいらしい。ヘイリーが気づいていないのは問題だけれど。

悲壮感がなく同情を誘わないのがこの映画のよいところ
 
ヘイリーは生活能力がなく子どもの教育もできない。それでも娘ムーニーが大好きで一緒に過ごす時間を楽しんでいるのを見ると応援したくなる。偽物の香水の押し売りに娘を加担させたり盗んだ物を一緒に売りにいったり、悪影響を与える行動をとっていても基本的に明るいからムーニーは楽しそう。ムーニーの姿はヘイリーの子どもの頃の姿にも思える。人懐っこくて逞しい。だからこのままではムーニーも大人になったらヘイリーのようになってしまうのがわかる。ヘイリーは仕事を持たずモーテル代は滞りがち、貧困で身動きが取れず状況が悪化していく。雨の中、びしょ濡れになって子供のようにヘイリーはムーニーとはしゃぐ。ヘイリーは本当は泣きたかったんじゃないのだろうか。ムーニーと一緒にいるために何度も気を取り直して頑張っているからヘイリーを責める気になれない。
 
ムーニー「大人が泣くのがわかる」
 
経済的にしっかりした家庭であっても愛情がなければ子どもはかわいそうだし、愛情があっても生活が危ういと落ちていく。ムーニーの食事はフードバンクやヘイリーがどうにか作るお金で確保できていて、お腹を空かせるようなことはない。しかし野菜や肉がなくて栄養が足りてない。体も清潔にしている。ヘイリーなりにムーニーの世話をしていて、愛情は十分あるのに状況が悪くなっていく。ついには母親不適格とされ児童家庭局の人にムーニーを連れて行かれそうになる。どちらが正しいのかわからない。ムーニーを連れて行かれたら、ヘイリーは立ち直れないだろうと思うくらい仲良し。それなら働けばいいのにと言いたくもなるが、ヘイリーは粗野で短気なところもあるから就職口を見つけるのが難しそう。確かなのはムーニーがヘイリーのようにならないためには教育が必要なことである。

ジャンシーとの友情

児童家庭局の人に連れていかれるのに気付き、ヘンリーは逃げる。ジャンシーの元に走り、泣きだす。ジャンシーが親友のただならぬ様子を見て行動する。いつも受け身で控え目だったジャンシーが動くまさかの展開に胸が熱くなった。向かった先は夢の国ディズニーワールドのキングキャッスルだった。
ジャンシーはおばあさんにしっかり面倒を見てもらっているとはいえ、お母さんがいないさみしい子である。ムーニー母娘にお誕生日に小さなケーキにキャンドルを立てて、ディズニーの花火を見せてもらったり、ムーニーにサプライズの虹を見せてもらったことが思い出される。だからムーニーにディズニーランドのお城を見せて元気づけようとしたんじゃないだろうか。

魔法の国に走り込んでいくところで、突如、映画は終了

ムーニーはやさしい子に育っている。ジャンシーは「虹のたもとには金貨を隠している。でも分けてくれないの。やさしくないのね」と言っていた。ソフトクリームを分けてくれるムーニーはジャンシーにとってやさしい友だちなのである。ヘイリーの育て方が悪いなんて言えないし引き裂くのはかわいそうだけれど、このままというわけにはいかない。火事を起こしてしまうなど悪いこともしてしまった夢の国ディズニーに逃げ込んでも何もかわらないことはわかっている。それでも夢のように楽しい時を重ねて、子どもたちは夏休みを過ごしていたんだと思うと泣けてきた。問題は解決されないまま映画は途切れたかのように終わった。

ムーニー「どうしてこの木が好きか知ってる?倒れても育ってるから」

フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法 : 作品情報 - 映画.com

フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法の作品情報。上映スケジュール、映画レビュー、予告動画。全編iPhoneで撮影した映画「タンジェリン」で高く...

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おススメ映画『わたしは、ダニエル・ブレイク』
貧困で苦しむシングルマザーが登場する。ヘイリーとは違うタイプの母親でヘイリーを批判的に見る人でもこちらは同情するだろう。どちらも子供を一番に大切にしているのは変わりない。

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映画『わたしは、ダニエル・ブレイク』公式サイト

第69回カンヌ国際映画祭パルムドール(最高賞)受賞。文部科学省特別選定作品。「人生は変えられる。隣の誰かを助けるだけで。」名匠ケン・ローチが...

映画『わたしは、ダニエル・ブレイク』公式サイト

 

 




映画『普通の人々』/普通の人々普通の家族

2022-02-08 | 映画

原題 Ordinary People
ジャンル ドラマ
製作国 アメリカ

製作 1980年
公開 1980/9(アメリカ)1981/3(日本)
上映時間 124分
監督 ロバート・レッドフォード
脚本 アルヴィン・サージェント
原作 アメリカのありふれた朝』(1976)/ジュディス・ゲスト
製作 ロナルド・L・シュワリー
撮影 ジョン・ベリー
音楽 マーヴィン・ハムリッシュ
編集 ジェフ・カニュー
出演 ドナルド・サザーランド(父カルヴィン・ジャレット)、メアリー・タイラー・ムーア(母ベス・ジャレット)、ティモシー・ハットン(次男コンラッド・ジャレット)、シャド・ハーシュ(タイロン・バーガー医師)、M・エメット・ウォルシュ(水泳部コーチ)、エリザベス・カクガヴァン(恋人ジェニン・プラット)、ダイナ・マノフ(友人カレン・アルドリッチ)

私の評価 ★★★★☆(3.5点)
お家観賞 2回目 (1回目は4.5点)

内容を知らず観ることをお勧めする。あらすじを読んでからでも充分考えさせられる映画だが感じ方が決定的に違う。

見所 ①ロバート・レッドフォードの監督1作目
②第53回(1980年)アカデミー賞4部門受賞(作品賞、監督賞、助演男優賞:ティモシーハットン、脚本賞)
③丁寧に家族間の関係を描写していて、家族の在り方を浮き彫りにしている。
④パッヘルベルのカノンの音色が味わい深い。
⑤お父さん役のドナルド・サザーランドは『24-TWENTY FOUR-』のキーファー・サザーランドの父親である。顔がそっくり。

※以下ネタバレあり)



一見なんの変哲もない家族

食欲がないという次男(コンラッド)の朝食のトーストを母親(ベス)がすぐに捨てる。せっかく用意した朝食を食べない息子に母が腹を立てているぐらいにしか思わなかった。「フレンチトースト好きだったでしょう」と声をかける息子の反応は薄い。オレンジジュースが家族3人分置いてあるから母親もテーブルに着く気はあったのに、気を変えてさっさと行ってしまう。父親(カルヴィン)が息子を気遣い会話をしようとしても虚しく食卓にひとり残される。真正面から対立しているわけではないが家族はうまくいってない。この程度は普通にあることだろう。なんの変哲もない裕福な家族である。
 
家族間にある目に見えない緊張感
 
話が進むにつれ、家族が危機的状態なのがわかってくる。もともと家族4人で幸せに暮らしていたが、長男(バッグ)が事故で亡くなりその場に居合わせたコンラッドだけが生き残ったのである。それをきっかけにして家族が崩壊しはじめた。コンラッドは自殺未遂をし病院に入り治療を受けて帰ってきた。今一番気遣われるべきは次男なのに母親はひどく冷たい。状況がわかると朝食のトーストを取り上げるように捨て息子に関心を示していないのがこわい。
 それでもこの母親を責める気にはならなかった。私は子どもを亡くした経験がないからどのような心理状態になるのか想像もできないからである。ぎくしゃくした母と息子の様子を見ているだけで、コンラッドがかわいそうで胸が締め付けられるけれど一番苦悩しているのは母親かもしれないとも思う。父親はその関係に気付いているけれど間を取り持てない。

友人の自殺の危険に気づかなかった

衝撃だったのは、精神病院で一緒だったカレンが自殺してしまったことである。一足先に退院して、学校での活動をはじめ元気に見えた。治療を受け病院でコンラッドという信用できる友だちもできたのに死んでしまった。
カレンは退院後医者にしばらく通ったけど、やめて自分で治すことにしたと話す。いい先生に出会えなかったのかもしれないし、費用の問題があったのかもしれない。 
普通に見えたのに心の中で何が起こっているかわからない恐ろしさを感じる。

新しい友人、恋人

友人はコンラッドの力になろうとしていた。「どうしてだ。なぜ孤立したがる。俺もバッグが恋しい。俺たち3人は親友だった」の問いにコンラッドは答える。「君といるとつらいんだ。もう行く」と。
兄夫婦はベス(母親)を気遣っている。妹夫婦喧嘩を見かねて「幸せになってほしい」と落ち着かせようとしても「兄さんの子どもは生きている」と反発する。「(幸せを)私に自慢したいわけ?」と怒りをぶつける。
コンラッドは相性のいい新しいカウンセラー(バーガー先生)に出会えて運がよかった。診療外で診てくれて「友人」だと、抱きしめてくれる先生なんてそうそういない。カレンには現れなかった。ジェニンという恋人が現れたのも大きい。親友では救えなかったし、カレンでもダメだった。人の心は複雑でありまた単純である。
母はカウンセラーを拒否して、これまでの付き合いの中で今まで通り暮らそうとして家族との間に溝ができる。

息子の葬儀に夫のシャツや靴を気にした妻

「苦しさが生きている証拠」とバーガー先生はコンラッドの感情を吐き出させる。対して母は息子に抱きしめられても無感情である。苦しさから逃げて、生きていないのかもしれない。
夫はずっと妻に違和感を持ち続けていたけれど言えなかった。妻の心の中で起きていたことが夫の言うとおりだとは、私には思えなかった。本人にもわからないかもしれない。夫に「君は自分しか愛していない」と言われて家を出る決意をした時もまだ冷え切っていて気の毒だった。ひとりになったときはじめて泣ける気がする。今までの生活は無理なのだろう。離れるとやさしくなれるかもしれない。
ハッピーエンドではないがコンラッドが苦しみから解放される結末となってよかった。父と次男は愛情を確かめあえた。父が息子を失うことはもうないだろう。

普通の人々

2度目の観賞も「普通の人々」だと感じた。普通の人々が家族を事故で亡くすという悲劇に見舞われたのである。陽気で明るい兄バッグのおかげでまとまっていた家族が、兄の死で危機に直面して崩壊したのだと思う。人はみな平然として暮らしているけれどそれぞれに事情を抱えているかもしれない。

カルヴィン「人生は偶発的なものだ。何が起きてどう対処するか」

自分のせいやだれかのせいで起こった必然ではなく、偶然だと理解するのは当事者にとっては難しい。考えさせられる作品である。

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映画 普通の人々 (1980)について 映画データベース - allcinema

 平穏な日常生活を送っていた家族4人の家庭に、長男の事故死、続いて次男の自殺未遂という事件が起こる。この出来事を契機として、愛情と信頼によっ...

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以前ブログに書いたロバート・レッドフォード監督作品
『リバー・ランズ・スルー・イット』の感想

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映画『リバー・ランズ・スルー・イット』/川釣りの美しさに癒やされる。弟役ブラット・ピットも芸術的。 - 本と映画とわたしと

原題ARiverRunsThroughIt製作1992年上映時間124分監督ロバート・レッドフォード脚本リチャード・フリーデンバーグ原案ノー...

映画『リバー・ランズ・スルー・イット』/川釣りの美しさに癒やされる。弟役ブラット・ピットも芸術的。 - 本と映画とわたしと

 

 


映画『ベルリン天使の詩』(1987)/天使が人間の歴史を見守っている

2022-01-31 | 映画

原題 Der Himmel über Berlin(独語)ベルリンの空 /Les Ailes du désir(仏語)欲望の翼/Wings of Desire(英語)欲望の翼
製作国 西ドイツ フランス
製作年 1987年
公開 1988/4/23(日本)
上映時間 128分
監督 ヴィム・ヴェンダース
脚本 ヴィム・ヴェンダース、ペーター・ハントケ
レイティング 一般映画


出演 ブルーノ・ガンツ、ソルヴェーグ・ドマルタン、オットー・ザンダー、クルト・ポウワ、ピーター・フォーク、ラジョス・ユヴァーチ

見所 ①モノクロの映像が美しい。舞台はベルリンの街を”壁”が分断していた頃で、2年後1989年11月に壁は崩壊する。
②天使たちが人々の心の声に耳を傾け、静かにモノローグが続く。セリフひとつひとつが詩的なのにリアルである。
③コロンボで有名なピーター・フォークが本人役で出演している。
④図書館の雰囲気が好きな人にお勧めしたい。人間の歴史が書き留められている図書館に天使たちが集まっている。場所はベルリン国立図書館。
⑤歴史と平和。悲しみ喜び。限りある命と愛を感じる物語。

私の評価 ★★★☆☆3.0点
お家観賞 2回目
25年ぶりに観賞。年をとることを実感するようになった今、90歳代の老人ホメロスの心の声が身に沁みた。

※【以下ネタばれあり】




中年男性が天使

天使といえば、たいていかわいらしい子どもを想像する。この映画では黒の厚いロングコートをきた中年男である。天使の姿は子どもたちには見えるのだが大人は見えない。人々の心の声に耳を傾ける天使は、孤独に悩む人や、自殺しようとする人に寄り添うが助けられない。大きな力があるわけではないのである。天使は人間の歴史の傍観者と言える。ドイツベルリンの地で起きた戦争を見てきた。物に触れず、重さも寒さも味も感じられない天使だが、人々の痛みは理解している。

悩む人々のそばに
口には出さないけれど、人はそれぞれ悩みがあり頭の中で繰り返し考えている。同じ事を繰り返し考えるのはよくないといわれる。それでも人は考えてしまう。誰にも言えないから心で天使に話しかける。この映画のように天使が寄り添ってくれていると思えば少し安堵する。もっとも辛いのは孤独だからである。

中年男性のファンタジー

人は悲しみ苦しみ喜び愛情、様々な思いを持つ。そして死ぬ。限りあるからかけがえがなくせつない。ひとりの天使ががブランコ乗りの若い女性に恋をし、人間になる決心をする。感じない世界から感じる世界へ踏み入る。コーヒーカップの温かさを感じられる幸せはとても大きい。

天使の記録、老人の記憶

人々を観察し記録を取り続ける天使は死なない。冷戦時代のポツダム広場を歩く老人は、今日にも死を迎えるかもしれない。老人にはナチスドイツのいたベルリンを記憶がある。今は平和に暮らしているがこれまで自分が見てきたものに思いをはせる。例えば戦争のはじまり、”突然隣人が親切でなくなる“ のを経験した。老人は語るべき物語を持つ者である。人々は経験してきたことを言葉にして語り継ごうとする。写真や本として残そうとする。語り部が年をとり消えても本は記録して残る。記憶が記録なるのである。天使の集まる図書館は人類の歴史の語り部といえる。

平穏な日々の物語をどうしたら描けるのだろうか。

傷ついた人の思い生き残った人の思いを文字することで、過去の出来事を残しても風化は免れない。
人は勇者の物語を好む。特別の物語かのように読む。平和こそ当たり前ではなのに。どうすれば語り継げるのだろうか。語る者がいなくなれば忘れてしまうのか。人々は戦争や殺しあいを忌み嫌いながら、戦いで正義が勝つ物語を読み続ける。なぜだろう。

境界線を超える

個人が旗を揚げ、自らの境界線を主張する。みなで国家の旗を揚げる。境界線を作る。かつての境界線であったベルリンの壁は崩され東西ドイツは統一された。人間は境界線を必ず作る。境界線が悪いとは思わない。乗り越えられない壁ではなく安心して行き交いのできるものであって欲しい。
天使は人との間の壁を越えて恋人に巡り会えた。ベルリンの壁も撮影2年後に壊された。様々な壁も乗り越えられるのかもしれないと希望を感じる映画である。
壁を乗り越えた東ドイツの市民は5000人、国境警備兵の銃撃や河を泳ぎきれず溺死などで200人が犠牲になったとされる。祈りを捧げたい。

老人の声「乗船完了」

天国に行く準備ができたと言っているように聞こえた。いずれ誰もが向かう。

「かつて天使だったすべての人に、特に(小津)安二郎とフランソア(・トリフォー)とアンドレア(・タルコフスキー)に捧ぐ」とのテロップで締められる。

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ベルリン・天使の詩 : 作品情報 - 映画.com

ベルリン・天使の詩の作品情報。上映スケジュール、映画レビュー、予告動画。像の上からモノクロのベルリンの街を見降ろす天使ダミエルの耳には人々の...

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ベルリンの壁
 ベルリン市内に存在した東ドイツ西ドイツを分断する壁。冷戦下の1961年にベルリン市内に突如現れて1989年まで存在した。
戦勝記念塔 映画の中で天使が腰掛ける女神像。19世紀半ばにデンマークとプロイセン王国(現ドイツ)が戦ったデンマーク戦争の勝利を顕彰するモニュメント。ティーアガルテンの中央にそびえる。黄金の勝利の女神ヴィクトリアは高さ8.3メートル、塔全体では高さ67メートルの塔である。


映画『ミッドサマー』/かわいいと思って観たらとんでもなかった

2022-01-26 | 映画

原題 Midsommar(スウェーデン語)/夏至
ジャンル ドラマ、ホラー、スリラー
製作国 アメリカ、スウェーデン
製作年 2019
公開 2020/2/21(日本)
上映時間 174分
監督・脚本 アリ・アスター
撮影監督 パヴェラ・ポゴジェルスキ
プロダクションデザイン ヘンリック・スヴェンソン
編集 ルシアン・ジョンストン
衣装デザイン アンドレア・フレッシュ
音楽 ボビー・クルリック
言語 英語、スウェーデン語
レイティング R15+

出演 フローレンス・ビュー(ダニー)、ジャック・レイナー(クリスチャン)、ウィル・ポールター(マーク)、ウィリアム・ジャクソン・ハーパー(ジョシュ)、ヴィルヘルム・ブロングレン(ペレ)、アーチ・マデグウイ(サイモン)、エローラ・トルキア(コニー)、ビョルン・アンドレセン(ダン)

あらすじ アメリカの大学生たちがに留学生に誘われ、故郷のコミュニティ(ホルガ村)で開催される90年に1度の祝祭に参加する。訪れた地では陽光があふれ、色とりどりの花が咲き、素朴で可憐な人々が手を繋いで踊っていた。楽園のように思えたがなにかおかしい・・・・・・。

私の評価 ★★★☆☆3.0点
お家観賞

パッケージはお花。クマのぬいぐるみに「わあかわいい」と和んでいたら、血に気付いてぎょっとするような映画だった。グロテスクが苦手な人は観ない方がいい。

観賞後しばらく気持ち悪さが抜けず、調子が悪くなったけれど、お花の衣装はとっても素敵だったので一見の価値あり。トラウマになる人がいそうなのでお勧めはしない。

※以下ネタばれあり


ポスターがかわいい。衣装がかわいい。

緑の大地青い空、日の沈まない夜、白に刺繍の衣装、色とりどりの花の装飾。訪れてみたくなるほど魅力的なのになのに、気分が悪くなる。のどかな映像と不穏な空気ギャップは嫌いではないのだが、そこまで見せなくてもいいのにと思うほどのショッキングでグロテスクな場面に吐き気をもよおした。

メンタルが参っているダニーと恋人クリスチャン

物語の発端は冬のニューヨークで起きる悲劇。もともと不安定な主人公ダニーは家族全員を亡くし、恋人クリスチャンに依存し続ける。クリスチャンはメンタルの弱いダニーと別れたいのだけど言い出せない。つまるところ恋人との決別を描いている話なのだが、残酷極まりない別れ方だった。「まあ別れがひどいのはしかたないね」と思ったり、「風習だからねえ」と受け入れそうになり、自分の常識が揺らぐ。カルトに魅入られないように気をしっかり持って観てほしい。

人身御供でしあわせに

祝祭の序盤に72歳になると老人は崖から身を投げて命を絶つ儀式がある。老いて生きるよりも喜んで死を選ぶいう哲学をホルガの人々は持っているという。老人ホームに入れられるほうが不幸だという考えも一理ある。まず元の社会の常識を揺さぶられたのちに次々に不穏な事が起こるので、「こっちの世界はこれでいいのかも」と認めてしまいそうな危なさ。大学生らが行方不明になるのもまぶしい光に浄化され消えていったかのようで一種の神々しさがある。あらがえない運命のような気さえするのである。恐ろしい。

さようならクリスチャン

生贄待ちのクリスチャンがクマの毛皮を着せられてぬいぐるみみたいでちょっと可愛いと感じた。一方ダニーのクリスチャンが死んでいく最中、全身を花で囲われ泣きながらずるずると歩く姿も異様に美しかった。ふたりともすっかり囚われている。抵抗せずに飲み込まれていった様子に仕方なさを感じる。
ダニーは最後に笑う。依存先クリスチャンとの決別である。追い詰められた極限状態からの解放の笑いだろうか。ダニーは元の社会では得られなかった悲しみの「共有」をこの地で得たように見える。しかし依存先を変えたのに過ぎない。 コミュニティーの人々はダニーの泣き声に共鳴し一緒に泣いてくれる。観客として傍目からみれば何も解決していないとわかる。

共同体(コミュニティ)の怖さ

留学生のペレがひどい。子供の頃に洗脳され彼も被害者なのかもしれないけれど、連れてきた友だちは殺されているのに褒められてうれしそうである。このペレの様子で、ホルガに蠢く邪悪さに気づき慄く。ホルガの人々は人身御供を心底信じているのではなく、自分が生き残れるように立ち回っているのではないか。火炙りの生贄に志願した2人に神に身を捧げる高揚感はない。不安そうな顔が物語っている。誰も逃げられない。家族(共同体)の呪縛を感じ、心苦しくなった。

ハッピーエンドとして読む

ダニーがメイクイーン(五月の女王)に仕立てあげられたと考えると、生き残れないかもしれない。それでもこれでよかったんだと感じるのは、ずっと辛そうで、への字口のダニーが最後笑顔になったからである。ハッピーエンドなのだろう。ひとまずダニーは再生したのである。
ダニーが生贄に選んだクリスチャンはそんなに悪いことをしたとは思わないけど、まあいいか。ほんとう怖い映画である。

肉体も心も脆い。結局は悲しみも苦しみも個人で受け入れるしかないのだなあ。強く生きよう。

ダニーに幸あれ。

映画ではスウェーデンへの旅行になっているが、主にハンガリーで撮影の悪夢。

映画『ミッドサマー』 絶賛公開中

 

映画『ミッドサマー』 絶賛公開中

 

 


映画『だってしょうがないじゃない』/広汎性障害のまことさんのドキュメンタリー

2021-07-10 | 映画

ジャンル ドキュメンタリー
製作国 日本
製作 2019年
上映時間 119分
監督 坪田義史
出演 大原信 坪田義史 木村真智子

あらすじ:広汎性発達障害のまことさんはお母さんが亡くなって、ひとり暮らしをしている。成年後見人のマチ子さんが世話をしている。マチ子さんはまことさんのいとこで、マチ子さんの甥が坪田監督である。親亡き後の障害者の自立や老後の住居問題などを映し出す。

見所 バリアフリーの字幕付。坪田監督と主演の大原信さんが仲良くなっていき、ほほえましい。私が女でマチ子さんと同じ心配をするので、男同士の話を関心を持って聞いた。

私の評価 今、観てもらいたい作品。
お家鑑賞

※【以下ネタバレあり】

作品をイメージしてタイトルを書きました
 
まことさんの生活

最初、まことさんの生活を覗いているようで落ち着かなかった。監督自身の親戚とはいえあけっぴろげにしすぎてないか、ご近所からクレームを話して大丈夫なのかなあと心配した。生活するのに最も大切なことのひとつはご近所さんとトラブルがないことなんだけれど、平穏というわけではないらしい。

ゴミを散らかしているように見えたのは、白いレジ袋が風にふわりふわりと浮くのをきれいだと思って眺めていたからだった。私が感じとれない世界が見えているのがちょっと羨ましかった。ご近所さんの苦情も理解できる。怒らなくてもいいんじゃないかと思うけど。家が密接している日本の住宅事情もあるんだろうね。さみしい。

大きくなった桜の樹の世話ができなくなる。

「かわいそうだけど」桜の樹が切られる。
私もまことさんとおなじ問題を抱えているのだと共感した。うちの庭にも木があって、近い将来切らなければならない。住宅街で葉が散って迷惑がかかる。今は親が世話しているけれど、親ができなくなったら私はできない。
まことさん(64歳)も年をとっていくし、親戚の人たちは自分たちが老いる前にできることをしておこうと、伐採の手配をするのもわかる。でもまことさんの気持ちを思うとものすごくせつなかった。事前にまことさんとちゃんと話せていたのかな。

みんながいてよかったなあ。
まことさんのお母さんは、マチ子さんにまことさんのことを全く話さなかった。それでもお母さんの繋いだ縁だと思える。マチ子さんはヘルパーさん傾聴ボランティアさんなど様々な縁を繋いだ重要な人である。ほとんど知らない従兄弟の世話をできる人ってなかなかいないと思う。まことさんはマチ子さんのことをおねえさんと呼んでいる。おねえさんだからしっかりしていて強い。

おねえさんに靴をこっそり買ったのがばれてしょげたり、エロ本が見つかって悩んだりする。監督が聞いてあげられるような立場になってよかった。同性だというのも大きいと思う。男同士の「あんたたち何様?」って笑ってしまうような話もいいな。

まことさんと監督が一緒に野球場に行った帰り、まことさんがものすごくうれしそうだったから私は涙が出そうになった。バーベキューも叶えられてよかった。監督がいてまことさんはよかったなあ。マチ子さんがいて本当によかったなあ。監督もまことさんがいてよかったなあ。たくさんの人が関わっていてよかった。

「まことさんの気持ちによりそえていないのでは」

まことさんの顔が曇る時がある。口に出せない言葉が聞こえてくるようで胸が痛かった。桜の樹のこと家を出て施設に入居する話や作業場に通うのを勧められるのをまことさんは抵抗しない。「まことさんが自分の気持ちを言える雰囲気ではなかった」と監督は気付く。こうして欲しいという望みはあるけれど言えないことがあるんだろう。まことさんはいろいろ分かっていてわがままをいわないのを感じる。

年をとると人の世話にならないといけなくなる。私も独居老人になる予定なので他人事じゃない。人の世話にならずに生きていけるのが普通であり、すばらしいのだろうか。お互い様で助けあう社会が誰もが住みやすいのにと思う。

お風呂

まことさんはお風呂は1週間に1回でいいと主張し続けて、監督がとうとう「毎日着替えるべきと洗脳されているのか?」って言い出す。私は「おおげさだなあ」二人のやり取りを見ていたが、映画のラストでこの会話が重要だと知る。1回のお風呂がものすごく念入りだったのだ。「ああそうだったんだ。わかってなくてごめんなさい」って謝りたくなった。

何度も気付かされた。まことさんの行動には理由がありとても大切なのだ。常識とか普通とかなんだろうと考え。それでも夏は毎日シャワー浴びた方がいいけどね。

私の亡くなった伯父も障害があったのでいろいろ大変だろうと想像した。やりきれないこともあるんじゃないだろうか。本作はそういうところを見せないのがいい。
まことさんは監督を義史さんと呼び、しだいに親しみが滲み出てくる。障害者の日常を撮った作品というよりも まことさんと義史さんのふたりの交流のドキュメンタリーだった。40歳を過ぎ、発達障害(ADHD)と診断された監督が前へ進んでいく力になる作品で、まことさんの力になると願いたい。 

まことさんと義史さんの友情が続きますように。

 

映画『だってしょうがないじゃない』公式HP

坪田義史監督の最新作ドキュメンタリー映画『だってしょうがないじゃない』の公式HP。 11月2日よりポレポレ東中野で劇場公開、他全国順次公開予...

『だってしょうがないじゃない』公式HP

 

 


映画「国境は燃えている」/食べるために娼婦になる女の悲しみを、兵士たちはわからない。

2021-07-02 | 映画

原題:Le Sodatesse (兵士)
ジャンル:戦争/ドラマ
製作国:イタリア
製作:1966年
監督:ヴァレリオ・ズルリーニ
原作:ウーゴ・ピッロ

脚本:レオ・ベンヴェヌーティ、ピエロ・デ・ベナルティ
音楽:マリオ・ナシンベーネ
上映時間:120分 モノクロ
出演:トマス・ミリアン(中尉マルチーノ)、マリー・ラフォレ(エフティキア)、アンナ・カリーナ(エレッツァ)、レア・マッサリ(トウーラ)、マリオ・アドルフ(カスタグノリ軍曹)、ヴァレリア・モリコーニ(エベ)、アッカ・ガヴリック(アレッシ少佐)

あらすじ 第二次世界大戦下、イタリアに占領されたギリシャ。イタリア軍の中尉が12人の慰安婦をトラックに乗せ、いくつか部隊に送り届ける任務に当たる。

見所 勝者が敗者を支配、男が女を支配しようとする。弱者は死ぬか、仕方ないと諦めるか。戦うか。生き残るために諦めたとしても心が死んでしまいそうになる。生き抜こうとする女性たちの姿は、たくましく悲しい。美しく哀愁を帯びたメロディが耳に残る。

私の評価 ★★★★☆ 4.0点
お家観賞

※【以下ネタばれあり】



第一次世界大戦下、占領されるギリシャ

ドイツ、イタリアの占領はギリシャに大きな負担をもたらし、多くの餓死者を出した。そんな状況に嫌気がさしているイタリア軍中尉が慰安婦をいくつかの部隊に送り届けるよう命ぜられる。嫌だけれど断れない。女たちは慰安婦として契約する。嫌だけど食べるため。嫌なことをするのは同じでも、天と地ほどの差がある。
慰安婦(志願者11人と経験者1人)との旅路は、責任者のマルチーノ中尉、トラックを運転する道に詳しい軍曹に、途中から黒シャツ隊(ファシスト)の上官が加わる。
道中の山岳地帯には立てこもりゲリラ戦をしかけてくるパルチザンが潜でんいる。パルチザンと
は他国による支配に抵抗するために結成された非正規組織だ。

女性たちの明るさに胸が痛む
行く先々で女性たちは性の欲望の対象として見られる。陽気に振る舞う女、商売と割り切る女、心を閉ざす女、自分だけ得をしようという者はおらず助け合い、いたわり合っている。みな魅力的で、本作を見ていてそれだけが救いになった。
楽しげに女性たちが水を浴びているところに、黒シャツ隊の大佐が加わろうして、さりげなく女が逃げたのには胸が空く思いがした。大佐は何から何までいやらしい男だからだ。
大勢の兵隊が乗ったトラックの荷台にひとり慰安婦が、大歓迎され明るく乗り込むけれど、悲しい目をする。
彼女たちは楽しそうに振る舞っているだけだと、黒シャツはじめ多くの男は気づいていないのだ。

勝者と敗者、強者と弱者、男と女、

女性たちが物のように扱われる。「イタリア美人の娼婦」にはしゃぐ兵士たちがすべてが悪い人間だとは思わないが、勝者と敗者の違いは残酷である。イタリアの正規軍は黒シャツ隊が市民を弾圧しすぎないように見張っている。それでもイタリア軍によって住んでいた町を焼かれ追われる人々がいる。ゲリラと疑われた少年は処刑スタイルで銃殺される。勝者側のマルチーノ中尉すら軍の階級で、良心を押さえ込む。強者に従うのだ。

ギリシャの極貧の女性たちの中に、ひとりだけお金を体に巻き付けている女性がいる。彼女は他の慰安婦とは違い経験者で、子供のためにお金を稼いでいる。軍曹に対し威勢よく堂々としているのは、キャラクターによるものかと思っていたが、彼女は支配されたギリシャ人ではないからかもしれない。稼ぐために娼婦を15年続けている弱い立場の女性であるのは同じだ。

マルチーノはできる範囲で女たちを大切に扱い、無口なエフティキアに惹かれはじめる。軍曹も女たちと過ごすうち心を通わす。普通なら、人と人との当たり前のやさしさや感情でも見ていて心が温まる。そのくらい女たちの置かれた状況は屈辱的なのだ。

「飢えると死にたくなる」

慰安婦エレッツアから語られる「飢え」が凄まじい。戦争が引き起こす惨めな貧しさあらゆる痛みの後に飢えが襲い、死にたくなる。最後の一線に立たされ、大勢の人が自殺したという。飢えのために自殺未遂をしたエフティキアは、慰安婦になり、もう飢えることはない。でも今も苦しんでいる。
終盤、エフティキアの行動は大勢のギリシャ人の苦しみを表していた。家畜のようにギリシャ人を扱うイタリア軍人を許せない。許せないイタリア人に従うことはできない。すべてが終わったとしても忘れないと。
エレッツァから慕われ、エフティキアと結ばれたマルチーノであってもどうすることもできなかった。エフティキアは山岳へ逃れる。見送るマルチーノを振り返らなかったのは覚悟を決めたからにちがいない。

女たちがたくましく美しく悲しい


映画「彼らは生きていた(2018)」/第一次世界大戦の記録フィルムが甦るドキュメンタリー

2021-06-26 | 映画

原題:THEY SHALL NOT GROW OLD 
ジャンル:ドキュメンタリー/戦争
製作:2018年
監督:ピーター・ジャクソン
上映時間:99分 R15+

概要:イギリス帝国戦争博物館に保存されていた2200時間を超える第一次世界大戦(1914-1918)の記録映像を修復、再構築したドキュメンタリー。第一次世界大戦終結100周年事業として制作された。無音映像にBBCが所有していた600時間以上もある退役軍人200人のインタビューや読心術のプロが解析した兵士の言葉、効果音を加える。
監督の祖父が第一次世界大戦に従軍している。この大戦で大英帝国軍の兵士100万人が戦死した。

見所:バラバラの速度で撮られていたフィルムを統一し、映像の修復とカラーリングされると、撮り直したのかと思うくらい生き生きと鮮やかに兵士の顔が映し出される。ナレーションはなく、元兵士が代わる代わる語る話を聞いていると、さまざまな思いで戦地に赴いたひとりひとりの存在を感じる。爆撃で無残に死んだ若者の映像は衝撃的だ。作り物ではなく本物の人の死体だ。彼らの笑顔をみたばかりなのに。

私の評価 ★★★★★(5点満点)
お家観賞

※【以下ネタばれあり】

 

戦争がどのようなものか知らない10代の若者たちが参加。

従軍するのが当たり前のような風潮の中、我も我もと志願した。19歳から35歳が志願資格であるのに、それよりも若い者が年をごまかして、採用する方もわかっていて合格させる。6か月の軍事訓練を受け、海を渡り西部戦線に送られた。敵と向かい合う塹壕線に配置される。不衛生、劣悪な環境であっても休憩時や食事の風景など仲間と過ごす日常の様子は楽しそうである。いつ死ぬか分からない状況で頑張れるのは仲間がいたからではないだろうか。戦場であっても彼らの青春なのだ。滑稽な話も飛び出してくる。

前線で最初にするのが紅茶を飲むこと

優雅に聞こえるが、しばしば紅茶を淹れたり、いよいよの時はラム酒を飲ませてもらうのは厳しい戦地で正気に保つためなのだろう。みんな人を殺すような怖い顔なんかしていない。むしろ幼さの残る顔がたくさん見られる。悲惨な状況を受け入れて、与えられた仕事を真剣にこなし生き延びようとしている。
死と隣り合わせの戦場で運良く生き抜いた元兵士たちの言葉は重い。なぜ隣の友人が撃たれ、死ななければならなかったのか。誰にもわからない。生き残ったのは運がよかっただけという極限の経験だ。不思議なことに彼らから戦争への嫌悪は感じられない。戦地の赴いたのを悔いていない人もいる。それは生きて帰ってきた人の話だからである。無残な死体は話ができない。
終戦前の戦いなどは死にに行けといわれているようなものだ。引き返すことはできず、引き返そうともせず、前進する。残酷きわまりない。戦えと指示されたから戦っているだけなのだ。敵のドイツ兵は案外いいやつで向こうもそう思っているのだから。

「全くもってこの戦争は無意味だと」

終戦後、互いの兵士の意見が一致した。恨み合っておらず、おなじ思いであったことは救いである。イギリス兵とドイツ兵が一緒に終戦の記念写真におさまるのがこの戦争を物語っている。

命をかけて戦っていたのに、市民生活は戦場とはまったく別の世界だった。帰還した兵士は労をねぎらわれることもなく、英雄視どころか居場所がない。故郷にもどり社会に必要とされないのがつらかったと言う。戦争の話を聞きたがるものはいない。従軍した兵士が行かなかった人から強烈なことを言われる。

「ところでおまえはどこに行っていたんだ?」

我々の周りで何が起きているのか無関心であってはいけないのだと思う。尊い犠牲があったから国が守られたのだと言えば、戦争を肯定するように聞こえてしまうが、戦わなければどうなっていただろうか。無力だったらさらに大きな犠牲を生んだかもしれない。だれもが自分や自分の大切な人が悲惨な目にあって欲しくない。敵であってもケガをして倒れていれば救いたいと思う。ひとりひとりはやさしいのになぜ平和でいられないのだろう。悲しいが人間は戦争をする動物なのである。
いつのまにか戦争がはじまっている状況を生まないために、知ることや考えることを止めてはならないと強く感じた。いつの間にか戦争がはじまっていることがないように。繰り返さないように。

 「and in memory of 彼らを忘れない」

 

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映画 彼らは生きていた (2018)について 映画データベース - allcinema

 「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズのピーター・ジャクソン監督が、イギリス帝国戦争博物館に所蔵されていた第一次世界大戦の激戦地、西部戦線で...

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映画『理由なき反抗』/24年しか生きられなかったジェームズ・ディーン。生きていたら90歳なのに、

2021-06-22 | 映画

原題 Rebel Without Cause
製作 1955年
公開 1955年10月26日(アメリカ) 1956年4月18日(日本)
監督 ニコライ・レイ
脚本 スチュワート・スターン、アーヴィング・シュルマン
原作 ニコライ・レイ
出演 ジェームズ・ディーン、ナタリー・ウッド、ジム・バッカス、アン・ドーラン
上映時間 111分

本作公開1か月前にジェームズ・ディーンは交通事故により死去する。24歳没。2021年の今生きていたら90歳である。早くに亡くなり永遠の青春スターになったが、年を重ねた姿も見たかった。かっこいいだけじゃなく、彼にしか表現できない繊細さと演技への情熱は、すばらしい作品を生み出しただろう。

自分の評価 ★★★☆☆ 3.0点
お家観賞

※【以下ネタばれあり】


ー写真は映画と関係ありません

10代のエネルギーと反抗心。
映画の彼らと同じ歳の頃、教師が「なぜ高校生がバイクに乗ったらいけないのか」という質問に「バイクで事故して死んだら悲しいからだ」と答えた。自分が死ぬなんて思わず暴走する若者がたくさんいる。大人とぶつかる理由なき反抗の時期があったことを思い出した。

同じ夜に補導された高校生3人。
ジム(ジェームズ・ディーン)は強い母親の言いなりになるふがいない父親に反抗し、ジュディ(ナタリーウッド)は大人扱いされ、かわいがってくれなくなった大好きな父親に反抗し、プレイトウ(サム・ミネオ)は離婚した両親が家に寄りつかず、家政婦に育てられ反抗する相手もいない。ジムもジュディも大丈夫、反抗期が過ぎれば落ち着いて、親との関係は修復できる。問題なのはプレイトウで、子犬を撃ち殺して注意を引こうとしても親は現れない。

根はいい子たち。
ジムと対立する不良たちも限度をわきまえていて、やりすぎない。ほほえましくさえある。ジムとバズ(ジュディの彼)の喧嘩はナイフで刺すと大けがをするので、皮膚の表面を切りつけあうだけというルールを決めた決着をつけるためのチキンレースもケガがないように終わるはずだった。対戦前バズはジムに本音を吐いた。「おまえのことは好きだ。だがやらなきゃいけない」仲間や彼女の手前やらざるおえなかっただけなのだ。

集団になると周りで煽ったりそそのかしたり、やりすぎて悲劇が起こる。
ジュディがスターターを務め、スカートがなびきとてもかっこいいが感心しない。高揚感に飲まれ心配していない。アクシデントで車ごとバズが崖から落ち、死んでしまう。仲間や彼女の前でかっこよく威厳を保つため命を落とすなんてやりきれない。しかもみんなちりぢりに逃げてしまう。若者にとってこれまで生きてきたよりもはるかに長い人生がこの先あるのだからしかたないのかもしれない。命をかけても周りはそんなものなのだからチキンレースなんてしないことだ。

ジム、ジュディ、プレイトウで家族を作るけど、疑似家族はすぐ破綻しそうだった。
後半プレイトウが気になった。ジムとジュディに依存しはじめる。ジュディもジムに寄りかかっている。会ったばかりであまり知りもしないプレイトウを必死で助けようとするジムを見直した。悪ぶっているけれど、芯からよい人間なのだ。ジムだけはバズが死んだ責任をとろうとしていたし。ジムはわかっていただろう。乱暴者と言われる不良グループよりも銃を撃つプレイトウのほうがよっぽど問題があった。救おうとした。プレイトウを落ち着かせようとするジムは本当にやさしかった。それなのに助けられなかった。

ジムは父の和解できたのはよかったが、友人の死はあまり大きい代償だ。
ジムはプレイトウの銃に弾は入っていないから大丈夫だと伝えようとしたのに話を聞いてもらえなかった。家族に対する反抗は解決に向ったとしても、世間に対し反抗する理由を持ってしまったのかもしれない。単なる青春映画ではなく、深く考えたくなるのはジェームズ・ディーンの演技が繊細だからである。


映画『レ・ミゼラブル(2012)』/スペクタルなミュージカル。パンと自由、そして愛。

2021-06-20 | 映画

公開:2012年
監督:トム・フーパー
出演:ヒュー・ジャックマン、ラッセル・クロウ、アン・ハサウェイ、アマンダ・サイフリッド、エディ・レメイン、サマンサ・バークス、サシャ・バロン・コーエン、ヘレン・ボナム=カーター
上映時間:152分

あらすじ ヴィクトル・ユゴー原作のミュージカルを映画化。19世紀フランスが舞台。飢える姪のためにパンを盗み重い刑が科されたジャン・バルジャンは、脱獄で刑が加算され徒刑場で19年服役し、ようやく仮釈放される。

見所 ①美術が凄い。貧困に苦しむ民衆の暮らしがリアルに描かれ、壮大なミュージカルに仕上がっている。②感情がのった歌と演技(パフォーマンス)がすばらしい。後から歌を取り直すのではなく、歌って撮影している。ほぼ全編セリフがすべて歌なので、突然歌いはじめることはなく自然である。ミュージカルが苦手な私でも文句なしに楽しめた。

私の評価 ★★★☆☆3.0
お家観賞

※【以下ネタばれあり】



小説を読んでないので、映画のみの感想です。

民衆は貧困と無慈悲な世間に苦しんでいる。かなり悲惨なのに見ていてしんどくならなかったのは、ミュージカルだからと思う。踊らないけれど、ミュージカルだから動作が大きく現実味が薄まる。しかし映像が重厚で迫力があるのでリアルに迫ってきた

ジャン・ヴァルジャン(ヒュー・ジャックマン)は、長期間の服役で激痩せしているときでも、体が大きいので自らの力で生き抜く強さを感じる。気の毒なのは娘を養うために必死になる未婚の母フォンテーヌ(アン・ハサウェイ)。少女のような彼女が髪を売り歯を抜かれて、なすすべなく落ちぶれていく様子は衝撃的でミュージカルじゃなかったら見ていられなかっただろう。

152分の中にたくさん物語が詰め込まれているのでしかたないのだけれど、展開が早かった。ジャン・ヴァルジャンに大切に育てられるフォンテーヌの娘コゼット。コゼットと恋に落ちるお金持ちのマリウス。マリウスに恋をする貧困層のエポリーヌ。マリウスを含む学生たちが暴動を起こす。子供が殺される。エポリーヌも殺される。たくさんの血が流れ鎮圧された。

生き残ったマリウスは家に帰って、令嬢のようなコゼットと幸せになる。貧しい人たちと共に革命を目指していたのに、結局は反発していた裕福な実家へ戻ってしまった。仲間が全員、死んだのはなんだったのかと思ってしまう。コゼットのために、マリウスはもう危ない運動はしないだろう。男のような格好をして革命に参加し、命を落としたエポリーヌがせつない。

ジャン・ヴァルジャンを執拗に追う警察官ジャヴェール(ラッセル・クロウ)は権力を笠に着る悪人ではなく、職務を全うする人だった。極悪人と思っていたジョン・ヴァルジャンに命を助けられ信念が揺らぎ、自死してしまう。なんでこんな危ないところで歌っているんだろうかと思っていたら、激流に飛び込んでしまった。人の心の中は起こった事実で推し量るしかないのか。
相手の信じられない行動で自分の心に変化が起きる。かつてジャン・ヴァルジャンも司教の思いも寄らぬ慈愛に満ちた行為に救われ、生まれ変わった。司教のように相手をゆるせるようになった。ジャヴェールにはゆるす生き方はもうできなかったのかもしれない。

人生で何を信じるかは難しい。愛を信じてもフォンテーヌみたいに男に捨てられるかもしれない。娘コゼットが幸せになったから、フォンテーヌは報われたとしても死ぬことによって苦しみから解放されたのはつらい。

誰かを愛し幸せを願うことで、自らも幸せになれる。悲しいのは必ず幸せになれるわけではないことだ。フォンテーヌや、エポリーヌの苦しみは愛が得られなかったからだ。それでも愛あればこそ幸せになれる。ジャン・ヴァルジャンがコゼットを愛したことで幸せになったように。
愛に見守られてジャン・ヴァルジャンは、幸せな死を迎えた。しかしその急激な老い方には驚いた。まだ衰えぬ体力でマリウスを救い出したのに、あっという間に老いて、神が迎えに来てしまうとは人生は儚い。

犠牲を厭わない愛の姿に感動したいところだが、私は不確かな愛よりも、最低限、パンと自由が必要だという現実的なことを考えた。貧困は悲惨である。ハッピーエンドで終わったのに、こんな感想でちょっともうしわけないが、かわいそうな人たちが心に残る。世間は厳しい。原作はもっと悲惨らしい。

追加 ヘレナ・ボナム=カーターが宿屋を経営する女性を演じている。また変わり者の役だ。乱痴気騒ぎっぷりが上手い。『眺めのいい部屋』のお嬢さん役で彼女を知ったから、変わりようにいつも驚く。楽しそう。


映画『ヘヴン』/美しさにケイト・ブランシェットが爆弾犯だということを忘れてしまいそう。

2021-06-17 | 映画

原題『Heaven』
公開 2003年
上映時間 96分
監督 トム・ティクヴァ
出演 ケイト・ブランシェット、ジョヴァンニ・リビシ

見所 ①ケイト・ブランシェットの美しさ。その涙はファン必見。白Tシャツとジーンズで際立つかっこよさ。②風光明媚なイタリアの田舎の風景。

私の評価 ★★☆☆☆ 2.0点 
お家観賞

※【以下ネタバレあり】


夫を死に追いやった男に復讐する女性(フィリッパ)をケイト・ブランシェットが演じる。方法は時限爆弾。犯罪ものかと思っていたら、ラブロマンスでした。
闇が深そうな麻薬の売人と警官との関係は表に出ず、捕らえられたフィリッパに恋をした刑務官フィリッポの手引きで逃げ出し、復讐相手をいとも簡単に殺してしまう。ここで私は肩の力が抜けました。


復讐を果たしたら罪を償うのかと思ったら、ふたりで逃避行。休暇中のように汽車でフィリッパの田舎に向かう。間違いだったとはいえ、子供ふたりと父親、掃除の仕事中の女性4人を爆弾で殺してしまったのにと、もやもやしているうちに、フィリッパが坊主頭になってしまいます。フィリッポもお揃いです。かえって目だつのではないだろうか。なかなか捕まらないのが不思議でした。


イタリアの田舎のステキな景色に、坊主頭白Tシャツジーンズ姿で美しさ際立つフィリッパ、爆弾犯だということを忘れてしまいそうです。

「愛していない」と言えば、彼だけ逃げきれるかもしれないのに「愛している」と、引き止める。二人で捕まる覚悟かと思ったら、ヘリコプターを盗む。
ヘリコプターが空へ消えていく様子は、浄化されていくかのようでした。しかし完全に見えなくなったとき、被害者や父親、ほおをひっぱたいてくれる友人の気持ちが痛みとして私に残りました。兄に従って逃亡の手助けをした幼い弟が心配です。

「なぜ最も大事な時に人間は無力なんだろう」

息子を助けられなかった父親の言葉が心響いたからです。10年ぶりとはいえおねしょをしたり、階段で弟と話す姿は幼く見え、父親の心配が見て取れました。精神的に危うい息子だったんだろうなという気がします。母親の気配がない分、父親の愛情が強く感じられました。やっと父親とおなじ刑務官の仕事についたのかもしれないと想像します。よけいにせつない。

きれいにまとまっているので、破滅に向かっているのを感じさせなかったけれど、死に場所を探していた女性に共感してしまったと考えると、苦しい。生きて欲しい。

ラスト、ふたりはヘリコプターで上昇。ふたりは他国に逃げる道もあるが、このまま天国へ旅立つのかもしれない。そんな美しい終わり方でした。


映画『エデンの東』/父に愛されたいジェームス・ディーン

2021-01-04 | 映画
原題 East of Eden
製作 1955年
公開 1955年3月9日(アメリカ)1955年10月4日(日本)
監督 エリア・カザン
脚色 ポール・オスボーン
原作 ジョン・スタインベック
出演 ジェームズ・ディーン、ジェリー・ハリス、レイモンド・マッセイ、リチャード・ダヴァロス、ジョー・ヴァン・フリート

私の評価 ★★★☆☆ 3.0点
お家観賞
 
概要 ジェームスディーンの初主演の青春映画。この映画の監督エリア・カザンがジェームス・ディーンを見いだした。
旧約聖書を下敷きにしたジョン・スタインベックの長編小説を原作として、父親の愛情を求める息子の役をジェームス・ディーンが演じている。
小説を読んでいないし、旧約聖書の知識もないので、解釈を間違っていたらごめんなさい。
 
※【以下ネタバレあり】
 
 丸めた背中の寂しさ

真面目でまっすぐな兄アーロンとは対照的に不安定でふらふらする弟キャルをジェームス・ディーンが演じている。二人は双子。厳格な父親と家族を捨てた母親、兄の恋人が物語を構成している。キャルは考えこんで静かかと思えば、突拍子もなく走ったり動き出したり見ていてひやひやする。猫背が憂いを帯びてかっこいいのはジェームス・ディーンだからこそ、物陰から覗く姿が変な人に見えないのもジェームス・ディーンだからこそ、圧倒的な存在感。繊細な役に魅せられた。

人はなぜ「愛されたい」と苦しむのだろうか。

キャルは父から愛されていないと思う孤独な青年。親子関係がねじくれて、父から愛されたいという気持ちがものすごく強い。体は大きいのに父の前では小さい子供のようだ。人は親に愛されたいとどうして思い続けるのだろう。小さい子供なら生死にかかわるけど、大人になっても愛されなかった過去に苦しむ。いい加減解放されたほうが幸せになれるのに。

父は聖人ではない。

人助けだと言って父がはじめた冷凍レタスの輸送はきれいごとで、本心は金儲けだと考えたから損失を取り返そうキャルは奮闘したのだと思う。
周りから善人とされる父でもあっても他人の息子を戦地に送るのは仕方ないとしている。兄弟は徴兵されないのに。つまり本物の聖人ではない。その父を兄は絶対に信じていて清らか、父からの信頼も厚い。キャルは父の本質を見抜いているかのように自由に行動する。それを父は気に入らない。兄弟二人とも愛しているのだけど、扱いが違うからおかしなことになる。母親に似ているキャルを叱りたくなる気持ちは分かるが、親に愛されてないと思わせてしまったのだろう。
キャルの思いのつまった父への誕生日プレゼントは拒絶され、追い打ちをかけるように兄から冷たい言葉を浴びせられる。恋人を取られそうな兄の焦りは当然なのだが間が悪い。キャルは兄に怒りをぶつける。兄を守るために隠してきたことをぶちまけてしまう。
ずっと「弟がかわいそう」だったけけど、キャルが兄へ反撃したとき、一変「兄が気の毒」な状況になる。 

エデンの園を追放され、東(ノド)に。

「カインは立ってアベルを殺し、カインは去ってエデンの東 ノドの地に住めり」(神は弟アベルからの供物は受け取ったのに、兄のカインからのものは受け取らなかった。カインは嫉妬でアベルを殺してしまい、カインをエデンの東に追放する)

弟は兄を壊す。死んだと思っていた母に会わされ、理想と違う現実を突きつけられた兄はヤケになって志願兵になる。振り幅が広すぎて怖いったらない。自ら窓ガラスに頭を打ち付けて割り 頭から血を流しながら父を笑う。心が壊れた兄。父は正気を失った息子を見て、ショックで倒れて寝たきりとなり死の淵へ。母も無事ではないと想像できる。

ハッピーエンド?

ラストの感動シーンで、性悪の看護師がうろちょろして目障りだなと思っていたら、重要な役回りだった。父親は兄の元恋人にわかりやすく愛情を示すよううながされ、病床からキャルに頼み事をする。「あの看護師を辞めさせてくれ」父にようやく頼られ、親子和解となる。キャルが父の世話をするのだ。主人公は求めるものを手に入れたのに、見ていてハッピーな気分になれなかった。
看護師がひどかった。普通の状況では息子に頼む気になれなったのだろうか。弱い立場になってはじめて分かることがあるという戒めか。何かしらの罰のようだ。終盤はみな罰を受けているように見える。

親子の愛情、兄弟の確執、第一次世界大戦がはじまり、平和や差別問題もある。善と悪が見え隠れし、最後は人はみな罪人なんだなあと思えてきて、暗い気持ちになった。悪い親ってわけでもないし、愛情がなかったわけではない。いい父親いい母親でなかっただけなのに。母親が自由になりたかったのだってわかる。恋人の行動は理解できなかったけど、弟の方がよくなったのだからしかたない。

気になるのは兄。まともだと思っていた兄の方がカウンセリングが必要だったんだなあ。

 


映画『ぶあいそうな手紙』/高齢の親のこと、やがて自分も老いることを考えた。

2020-12-25 | 映画

原題 Aos olhos de Ernesto ポルトガル語
英語題 THROUGH ERNESTO'S EYES(エルネストの瞳を通じて)

製作国 ブラジル
製作年 2019年
上映時間 123分
監督 アナ・ルイーザ・アゼヴェード
脚本 アナ・ルイーザ・アゼヴェード、ジョージ・フルタード
出演 ホルヘ・ボラーニ(エレネスト)、ガブリエラ・ポエステル(ビア)、ホルヘ・デリア(ハピエル)、ジュルオ・アンドラーヂ(ラミロ)

私の評価 ★★★★☆ 4.0点
(映画館観賞)

【以下ネタバレあり】



老いると失うものが増えていく。

連れ合いに先立たれる。友人がひとりまたひとりと逝ってしまう。さらに死によって失うだけではなく、目が見えなくなる。耳が聞こえなくなる。足が悪くなる。階段を上れない。高いところのものが取れない。いろんな事ができなくなる。失っていく中にとどまるしかないのかと思うと、とてもせつない。主人公の老人は視力を失いかけていた。

ひとり息子から一緒に暮らそうと言われるが承諾しない。

78歳で目が見えなくても、住み慣れた家でなら1人で暮らしていける。隣には同世代の友人ハビエルが夫婦で暮らしていて、なにかとエルネストを気にかけてくれているからどうにかなっているようだ。
ある日、出身地ウルグアイの友人の妻ルシアから、友人が亡くなったと手紙が届く。エルネストは拡大鏡で見ようとするけれど、読めなくて肩を落とす。身をつまされる思いがしたのは、私の父は自分でできないと諦めるところがあったから、心が苦しくなった。年をとったから、諦めなければいけないのだろうか。

一通の手紙から物事が動いていく。

手紙を読んでくれる人を探す。偶然ビアという23歳の娘に出会う。ビアは目ざとく善良ではなかった。しかし根っから悪い子ではなく、エルネストは年の功で何枚も上手。息子が雇ってくれた家政婦さんや年金を受け取りに行く銀行(?)の職員の人が、訝しげにビアを見るのと同じように、私も何かしでかすんじゃないかと見守った。

手紙の代読代筆を頼まれたビアは、文通相手ルシアとの仲を取り持とうとする。タイプライター、本、レコード、ダンスなどエルネストの世代の人が慣れ親しんできたものに、本や言葉に憧れを持っているビアは興味がある。一方エルネストは、ビアの助言でぶあいそうな手紙を親しみのある言葉に変えたり、スマホでとったメッセージ動画を孫に送ったりする。互いに持っている知識(力)を交換し合って、よい関係を築き上げる。

人間関係は難しい。同じことを言っても親子や親友だと素直に聞けなかったりする。エルネストはビアの言うことには耳を傾けるし、馬が合ったのだろう。頑固に誰も入れなかった書斎にビアが出入りするようにまでになる。ビアの存在が直接エルネストを動かしているのだが、底流に文通をはじめた女性ルシアとの物語が流れているのがすてきだ。

私もいずれ老人ひとり暮らしになるので考えさせられた。

「赤の他人を信じちゃいけない」家政婦さんにビアのことを注意されてエルネストは答える。「それだともう誰も信じられなくなる」赤の他人を信じないと、暮らしが成り立たなくなる。人とつながって生きるには信じるしかないし、信じたいと思う。
エルネストは
家政婦さんを首にしてしまった。家政婦さんが来なくなったら困るんじゃないかと心配したのに、ビアと一緒に食べようと食事の支度をしたり、しっかりしはじめた。

エルネスト、ビアの同居はつかの間の幸福。

お互い思惑があり、寄りかからない微妙な関係を上手く描いていた。ビアは代筆で雇われているのであって、エルネストが倒れても面倒見ないだろう。だからハビエルも息子も(私も)みんな心配する。単に老人と若い子の心温まる交流では終われないから。

おもしろいのはビアに連れられ、若者たちが路上で行うポエトリースラム(詩のバトル)にエルネストが飛び入り参加することだ。言葉の力を信じるのは今も昔も同じ。胸が熱くなった。断絶しているように見える世代間でも共通点はあるのだと思える。

老境を迎えたときの決心。

長年のけんか友だちのおじいさんとおじいさんの友情がいい。ハビエルが妻を失い、「妻が助けを求めたのに(耳が悪いから)聞こえなかったんだ」と悔やむのを「助けを求めたかわからないじゃないか」と慰める。年をとればいつ何が起こってもおかしくない。ハビエルは子供と暮らすためにブエノスアイレスへ引っ越す決意をする。エルネストは引とめるが、耳の悪い老人と目の悪い老人がお互いの面倒を見られるわけもなく、別れを受け入れる。「再び会おう」とふたりが抱き合う姿が切ない。今生の別れもしれないとお互い分かっているに違いない。

会いたい人に会えないままになるかもしれない。

エルネストは40年以上前にウルグアイから、ブラジルの南部ボルトアレグレに亡命してきた。私には聞き分けられなかったが、映画ではポルトガル語とスペイン語が使われている。ブラジルの公用語はポルトガル語。友人ハビエルはアルゼンチンのブエノスアイレスの出身だから、エルネストとハビエルはスペイン語で話す。手紙もスペイン語。

ビアに頼んだ最後の手紙は最も愛する息子へ

「私の老いをおまえの肩に背負わしたくない」それを読んだ息子の姿を見たとき私は一番泣いた。今の私は息子の立場なのだ。私の父は何も言わずに死んでしまい、わだかまりを抱えたままだから。
誰のそばでどこでどう生きたいか、死にたいか。エルネストはかつて同じ時間を過ごし、同じ記憶を持つルシアの元へいくと言う。帰らない(帰れない)と決めていた故郷を終のすみかと選ぶのも不思議だ。人生どうなるか分からない。

ビアには自分を大切にしてほしい。

「いつまで居てもいいから」とビアを家に残したのは少し心配だけれど、今まで手に入れられなかった安心できる家、憧れの本やエルネストからの信頼が、ビアを助けてくれると思う。

こんなふうにハッピーエンドにはいかないだろうけど。

先日、私の母が80歳代のいとこに「もう会いに行けなくなった」と話していた。この映画を観て、歳を取るとはどういうことか、心に止めておくといつか役に立つと思う。
まあまあな暮らしだからこれでいいと諦めるのではなく、最善の生き方を求める。年をとってもよりよい生き方を求めていいのだと思う。新しい運動靴で、うきうきするような老後が理想だ。

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映画『ぶあいそうな手紙』

エルネスト、78歳。ひとり暮らし。視力も失い、このまま終えるはずの人生に、ある日訪れた闖入者と一通の手紙……カエターノ・ヴェローゾの名曲と鮮...

映画『ぶあいそうな手紙』|7/18(土)より、シネスイッチ銀座ほか全国順次ロードショー

 

 


映画『リバー・ランズ・スルー・イット』/川釣りの美しさに癒やされる。弟役ブラット・ピットも芸術的。

2020-11-28 | 映画

原題 A River Runs Through It
製作 1992年
上映時間 124分
監督 ロバート・レッドフォード
脚本 リチャード・フリーデンバーグ
原案 ノーマン・マクリーン 「マクリーンの川」
出演 ブラッド・ピット、クレイグ・シエファー、トム・スケリット、ブレンダ・ブレッシン

私の評価 ★★★☆☆ 3.0点
お家観賞

アカデミー賞撮影賞。弟役ブラット・ピット有名にした作品。

モンタナの田舎を背景に家族の心の葛藤が静かに描かれている。兄弟は幼い頃より父に連れられ川釣りに行く。細い釣り糸が優雅に清涼な水流に投げ込まれ、キラキラと反射する様子は、息をのむほど美しい。若き日のブラット・ピッドも自然のまぶしさに負けないくらい輝いていた。

以下)ネタバレあり


淡々と流れていく日々。

二人の兄弟はフライフィッシングを厳格な牧師の父に教え込まれた。互いに対抗心を持ち、腹が立つこともあるが、仲がよかった。表だった不協和音はなく、よい家族だ。それでも弟のさみしげな表情、危うい行動を見過ごしたのだろうか。釣りに行けば生き生きとする弟を見て安心できたのに。兄弟の愛は変わらずとも大人になれば、それぞれを生きていくのが自然だ。地元を離れる兄と残る弟。もう少し兄が弟のもとに帰ってきていたら、違う未来があったろうと思いはするが、それぞれの人生があるのだからしかたない。

上手く大人になれる人となれない人がいる。

兄は弟を失う。悔やむ過去は誰にでもあるとはいえ、年若いものが逝ってしまう理由を考えずにはいられない。晩年、牧師の父は「他人が苦しんでいるのを見て助けたいが、その手をすり抜けてしまう。できるのは愛することだけ」と最後の説教をする。ずっと大事に思っていても助ける難しい。どうしたらよかったのか、答えはない。
画家のゴッホと弟テオが頭に浮かんだ。彼ら兄弟の父親も牧師だった。家族はやっかいなもの。家族だからやっかいでも努力するのだと思えた。

悠久の自然の中で、人はちっぽけで人生はひととき

兄の回想録「マクリーンの川」が原作。年老いた兄はひとりで川釣りをする。年をとればとるほど振り返る過去は、一瞬のように感じる。この映画を観て、いい意味で私もやがて美しい川の流れに消えていくだけだと感傷的になった。

ブラット・ピットの役のオーデションにリバー・フェニックスが参加していたという。彼が演じても雄大な自然に溶け込み美しかったろう。リバー・フェニックスのファンの私は、彼の姿がないことを残念に思う。

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リバー・ランズ・スルー・イット : 作品情報 - 映画.com

リバー・ランズ・スルー・イットの作品情報。上映スケジュール、映画レビュー、予告動画。「普通の人々」で監督としても高い評価を得た名優ロバート・...

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ロバート・レッドフォード監督第一作目『普通の人々』の感想を書きました。

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映画『普通の人々』/普通の人々普通の家族 - 本と映画とわたしと

原題OrdinaryPeopleジャンルドラマ製作国アメリカ製作1980年公開1980/9(アメリカ)1981/3(日本)上映時間124分監...

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映画『ボストンストロング ダメな僕だから英雄になれた』/『stronger(原題)』に敬意を表したい。

2020-11-09 | 映画

原題 stronger
監督 デヴィッド・ゴードン・グリーン
脚本 ジョン・ポローノ
原作 ジェフ・ボーマン、ブレット・ウィッター
製作 2017年
上映時間 120分 PG-12
出演 ジェイク・ギレンホール、タチアナ・マスラニー、ミランダ・リチャードソン、リチャード・レーン・ジュニア、ネイサン・リッチマン

概要 2013年ボストンマラソンを狙った爆破テロ事件の実話。パトリオットデイ(愛国者の日)にアメリカで催されたポストンマラソンを狙った爆破テロ事件を映画化。両脚を失った27歳の被害者ジェフ・ボーマンを描いた実話で、彼の回顧録を原作としている。

【以下ネタバレあり】

写真は映画と関係ありません

「ダメな僕だから英雄になれた」?

そんなに「ダメな僕」じゃないけど・・・。仕事でヘマをしたり、待ち合わせに来なかったりする。しっかりした大人じゃないから彼女が愛想尽かすのもわかる。でも被害に遭った彼の元へ家族は集結し、友だちや先輩とも仲がよく、会社(コストコ)にも大切にされている。頼りないけれど、いいヤツ。たくさんの仲間に囲まれた平凡な男だと思う。

いきなり両脚を失って、すぐに前向きに生きられるか。

自暴自棄になってもいいのに以前と変わらないように振る舞う。ユーモアで切り返せるだけで立派。人前に引っ張り出されて、強さの象徴されるのが負担になっている。この辺りの演技や演出に無理がなくてうまかった。悪い人たちではないのだけど親戚たちは騒がしく、対照的に孤立感を深める彼の心の傷に気付くのは元彼女のエリンだけ。素晴らしい彼女なのに、それだけではどうにもならなくなっていくところがリアルだった。全てを捨ててジェフに寄り添ってくれる彼女をひどく傷つけてしまう最悪な状況になってしまう。

強くなるきっかけは思わぬところからやってくる。

テロ事件で救助してくれた男性からの気の乗らないインタビューを受ける。男性は息子2人を戦死と自死で失い、鬱病やPTSDに悩む人たちのために活動しているのだと話を聞き、ジェフの表情が変わった。男性も被害者で深い傷を負っている。ジェフは自分の傷しか見えていなかったと気付いたのかもしれない。自分の痛みを誰かと共有することで、誰かを救えるし自分も救われると感じたのではないだろうか。

ジェフは再び英雄として人々の前に立つことになる。中盤アイスホッケーの試合で英雄に祭り上げられたときは戸惑ったような笑顔をしていたのに、ラストの始球式ではしっかりとした意志でその場にいて、楽しんでもいるようだった。ジェフの姿に勇気づけられたという若者に出会う。子供にやさしく接する顔が心からの笑顔だ。周りが変わったのではなく、彼が成長したのだ。

辛い状況になったとき、気持ちの持ちようだとよく言われる。自分ひとりで乗り越えるのは困難だから、助けを求めるように勧められる。しかし実際には誰が助けてくれるかはわかるものではない。ジェフは会いたくないと思っていた男性と話したのをきっかけとして立ち上がれた。母でも恋人でも救えなかったのに、不思議だなあ。人生捨てたものではないと感じた。ジェフはボストンストロングの象徴として人々に会い、人を変えていく存在にまで成長した。

弱い僕が、強く成長したことに拍手を送りたい。

義足で歩けるようになって彼女に許してもらいに行く。サボっていたリハビリにちゃんと通ったのだろう。義足がたくさんの人に支えられ、それに応えたことの象徴に見えた。強さを讃えているのでなく、共に生きることが人々を強くすると訴えているのだと感じた。他人同士が助け合う。支え合い強くなれる。ボストン市民の強さを感じ、観賞後ほっと安心できる作品だった。

原題『stronger』をこころにとどめたい。

『ボストンストロング』はハッピーエンドになっているが、このボストンのテロ爆破事件を捜査側から見た映画『パトリオットデイ』は不安を残すものとなっている。別の面もあることを忘れてはいけない。両方の映画を見て、テロに対して考えを深めることができた。

 

『ボストン ストロング ダメな僕だから英雄になれた』

 

>『ボストン ストロング ダメな僕だから英雄になれた』公式サイト