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映画『淵に立つ』/家族とは

2016-11-11 | 映画

「あの男が現れるまで、私たちは家族だった」この映画コピーに惹かれて映画館へ行った。
なんか違った。鑑賞後に知った監督提案コピー「さよなら家族、こんにちは人生」こちらが合っていると思う。

※【以下ネタばれあり】

「やっぱりそうだったんだ」と不思議に気持ちが楽になる映画だった。
孤独は当たり前なのだと言われた気がした。家族といえどもそれぞれが様々な事情や思いがあってバラバラだという前提で生きているのだなあと。

今まで私は壊れそうで壊れなかった家族の中で暮らしてきた。壊れなかったのがよかったのかどうかわからなかった。この映画でますますそう感じた。 きっと家族、夫婦、親子などの人間関係は努力があってこそよい関係が築けるのだろう。夫婦は他人のだからなおさらだ。同時に私は努力ができない人間かもしれないと考える。なぜならこの映画を観ていて「ああすればよかったのに、そうしたからいけない」なんて簡単に言えなかったからだ。

「この人は何を考えているんだろう」映画のなかで人の心の奥を覗き込む怖さを始終感じた。善人が悪人になり悪人が善人になる。それは自分にとって良い人か悪い人かというだけのことだと私は考えている。私にとって悪い人ではないはずだと信じているのは、人の闇を感じないように距離をとっているにすぎないのかもしれない。闇がいつ露わになかもしれない怖ろしさを孕みながら映画は進んでいく。胸の鼓動が落ち着く暇がなかった。生は常に死と隣り合わせで、動物的感で死を避けながら生きているのだろうとも考えた。

観賞中「死の淵」を感じ、終了後「心の淵」を考えた。ラストの川の場面での父親が家族を助ける行動に出る。私ならそんな動きはしないと思いながら見守った。誰を助けられるか誰を助けたいか。彼には彼の状況があり考えがある。彼でない私には彼の心がわからない。覗き込む。淵から心を覗きこむ気持ちになった。

最後があまりに衝撃だった。実際に起こった事件だったら絶望しただろう。物語として受け止められることで私は様々なことを考えた。ものすごい映画を観たのだ。こわかった。

映画『淵に立つ』公式サイト