本と映画とわたしと

感想です。

本『関ノ孫六 三島由紀夫、その死の秘密』舩坂弘/介錯に使われた日本刀を贈った舩坂氏の三島さんへの思い

2021-07-20 | 

三島由紀夫

twitterで元自衛隊員の「今の若い自衛官は三島由紀夫を知らない」との投稿に驚いた。
三島由紀夫が自衛隊市谷駐屯地で割腹自殺をして50年経つ。憲法改正の決起を呼びかけるためバルコニーに立ち、約800名の自衛官の前で演説をしたが、怒号にかき消された。昭和45年(1970)11月25日三島45歳の時である。
戦後の小説家の代表でノーベル文学賞の候補となり、「仮面の告白」「潮騒」「金閣寺」「憂国」など読み継がれる名作が数多くある。文学者として名を残している。三島本人は今の評価を喜んでいるだろうか。

 
 




関ノ孫六とは

著者の舩坂氏が、三島に贈った日本刀が関ノ孫六である。その関ノ孫六が三島の介錯に用いられた。ふたりは剣道を通して親交があり、舩坂氏の著作『英霊の絶叫』に三島が序文を寄せている。そのお礼として愛蔵の日本刀を贈った。特に名刀と呼ばれるのは関ノ孫六(兼元)2代目で、三島が手にしたのは代下がりの無名刀であったが、たいそう気に入り自慢の刀となった。
デパートで開かれた「三島展」で、この孫六が白鞘から軍刀造りと変貌し、展示してあったのを舩坂氏は知る。不安を感じたという。その8日後、刀を身につけた三島は、楯の会4人と市谷駐屯地を訪れる。
三島の死に介入してしまったと感じる舩坂氏は、関ノ孫六をかりて三島への思いを本書で語っている。

軍刀拵えとなる関ノ孫六

白鞘とは白木でつくられた鞘である。加工してない無垢の鞘で、刀身の保管のために用いるもの。
「ルパン三世」の石川五ェ門の斬鉄剣が白鞘だが、白鞘のままだと耐久性がなく使いにくい。ふつう外出の際は戦闘用の色の着いた鞘にする。
三島は保管用の形で贈られた刀を使用するために軍刀にしたことになる。
私は日本刀について全く知らない。本書は専門用語が並べ立ててあるわけではないので少し調べると理解でき、実際に刀の背景に物語があるので関心を持った。日本刀に興味が沸いてきた人に読みやすいと思う。自害の様子が生々しいので血が苦手な人には勧められないが。

「伜は武士として死にました」

舩坂氏が三島邸に弔問のために訪れた際のお父様の言葉である。三島の遺言の中に「文を捨て、武士になります。」と明言されていたという。本書は三島びいきであるかもしれないが、お父様とのやりとりや、遺族の気持ちを思えば、公平さに欠いているは言えない気持ちになった。タイトルにある「三島由紀夫、その死の秘密」が明かされているかはわからない。敬意を持って書かれていて、武士として生きたいと願い、武士として死を決めたのだと素直に感じられた。

鍛えた肉体と精神

三島は戦時中10代後半で同年代は戦争へ赴いたが、出兵しなかった。最低水準の第二乙種合格でひ弱さが目立った。招集が来たとき、医師の誤診で徴兵を逃れている。
戦後はコンプレックスだった虚弱な体格をボディビル、ボクシング、剣道で鍛え上げた。舩坂氏は三島が有名になる前、やせっぽちで脆弱な青年の頃から知っていて、心身を鍛錬してきた場面に居合わせてきた。
弱さから兵役を逃れた三島が生きるには自らを鍛えあげるしかなかったのかもしれない。鍛えあげた先に武士としての死があったのは避けられなかったようにも思える。戦争の傷は深い。

生き死に

舩坂氏は第二次世界大戦のパラオ=マリアナ戦役における最後の戦いであるアンガウル島の戦いの生き残りである。負ける戦いの中で、自害できなくなった仲間の首を希望どおりはねてやる手助けをしたり、自らも自害の覚悟をし手榴弾を握っていたなど戦地での強烈な体験がある。死に際の痛みや苦しさ壮絶さを充分に知っている。切腹を成し遂げるには強い精神が必要という。三島が自ら深く刺した腹の切り口などから読み取れる自害の様相は凄まじい。三太刀に及ぶ介錯の傷跡があった。三島は簡単には死ねなかったのだ。
私には自害など想像できないが、追い詰められたところに存在するのかもしれないとうっすら感じ、恐ろしかった。刀に魔の力があるとは思わないけれど、生と死を感じさせる。私は差し上げると言われても「絶対もらわない」。読みながら震える思いがした。

三島「戦後の日本人は生きる事ばかり考えていますので、死をほのめかすと弱いんですよ」(本書136頁)

三島が訴えたかった思いは、いま伝わっているだろうか。

絶版。私は図書館で借りて読んだ。ぜひ手にとってカバーデザインからの凄みも感じて欲しい。
カバー画 生頼範義 カバーデザイン 宇野亜喜良

 

映画『だってしょうがないじゃない』/広汎性障害のまことさんのドキュメンタリー

2021-07-10 | 映画

ジャンル ドキュメンタリー
製作国 日本
製作 2019年
上映時間 119分
監督 坪田義史
出演 大原信 坪田義史 木村真智子

あらすじ:広汎性発達障害のまことさんはお母さんが亡くなって、ひとり暮らしをしている。成年後見人のマチ子さんが世話をしている。マチ子さんはまことさんのいとこで、マチ子さんの甥が坪田監督である。親亡き後の障害者の自立や老後の住居問題などを映し出す。

見所 バリアフリーの字幕付。坪田監督と主演の大原信さんが仲良くなっていき、ほほえましい。私が女でマチ子さんと同じ心配をするので、男同士の話を関心を持って聞いた。

私の評価 今、観てもらいたい作品。
お家鑑賞

※【以下ネタバレあり】

作品をイメージしてタイトルを書きました
 
まことさんの生活

最初、まことさんの生活を覗いているようで落ち着かなかった。監督自身の親戚とはいえあけっぴろげにしすぎてないか、ご近所からクレームを話して大丈夫なのかなあと心配した。生活するのに最も大切なことのひとつはご近所さんとトラブルがないことなんだけれど、平穏というわけではないらしい。

ゴミを散らかしているように見えたのは、白いレジ袋が風にふわりふわりと浮くのをきれいだと思って眺めていたからだった。私が感じとれない世界が見えているのがちょっと羨ましかった。ご近所さんの苦情も理解できる。怒らなくてもいいんじゃないかと思うけど。家が密接している日本の住宅事情もあるんだろうね。さみしい。

大きくなった桜の樹の世話ができなくなる。

「かわいそうだけど」桜の樹が切られる。
私もまことさんとおなじ問題を抱えているのだと共感した。うちの庭にも木があって、近い将来切らなければならない。住宅街で葉が散って迷惑がかかる。今は親が世話しているけれど、親ができなくなったら私はできない。
まことさん(64歳)も年をとっていくし、親戚の人たちは自分たちが老いる前にできることをしておこうと、伐採の手配をするのもわかる。でもまことさんの気持ちを思うとものすごくせつなかった。事前にまことさんとちゃんと話せていたのかな。

みんながいてよかったなあ。
まことさんのお母さんは、マチ子さんにまことさんのことを全く話さなかった。それでもお母さんの繋いだ縁だと思える。マチ子さんはヘルパーさん傾聴ボランティアさんなど様々な縁を繋いだ重要な人である。ほとんど知らない従兄弟の世話をできる人ってなかなかいないと思う。まことさんはマチ子さんのことをおねえさんと呼んでいる。おねえさんだからしっかりしていて強い。

おねえさんに靴をこっそり買ったのがばれてしょげたり、エロ本が見つかって悩んだりする。監督が聞いてあげられるような立場になってよかった。同性だというのも大きいと思う。男同士の「あんたたち何様?」って笑ってしまうような話もいいな。

まことさんと監督が一緒に野球場に行った帰り、まことさんがものすごくうれしそうだったから私は涙が出そうになった。バーベキューも叶えられてよかった。監督がいてまことさんはよかったなあ。マチ子さんがいて本当によかったなあ。監督もまことさんがいてよかったなあ。たくさんの人が関わっていてよかった。

「まことさんの気持ちによりそえていないのでは」

まことさんの顔が曇る時がある。口に出せない言葉が聞こえてくるようで胸が痛かった。桜の樹のこと家を出て施設に入居する話や作業場に通うのを勧められるのをまことさんは抵抗しない。「まことさんが自分の気持ちを言える雰囲気ではなかった」と監督は気付く。こうして欲しいという望みはあるけれど言えないことがあるんだろう。まことさんはいろいろ分かっていてわがままをいわないのを感じる。

年をとると人の世話にならないといけなくなる。私も独居老人になる予定なので他人事じゃない。人の世話にならずに生きていけるのが普通であり、すばらしいのだろうか。お互い様で助けあう社会が誰もが住みやすいのにと思う。

お風呂

まことさんはお風呂は1週間に1回でいいと主張し続けて、監督がとうとう「毎日着替えるべきと洗脳されているのか?」って言い出す。私は「おおげさだなあ」二人のやり取りを見ていたが、映画のラストでこの会話が重要だと知る。1回のお風呂がものすごく念入りだったのだ。「ああそうだったんだ。わかってなくてごめんなさい」って謝りたくなった。

何度も気付かされた。まことさんの行動には理由がありとても大切なのだ。常識とか普通とかなんだろうと考え。それでも夏は毎日シャワー浴びた方がいいけどね。

私の亡くなった伯父も障害があったのでいろいろ大変だろうと想像した。やりきれないこともあるんじゃないだろうか。本作はそういうところを見せないのがいい。
まことさんは監督を義史さんと呼び、しだいに親しみが滲み出てくる。障害者の日常を撮った作品というよりも まことさんと義史さんのふたりの交流のドキュメンタリーだった。40歳を過ぎ、発達障害(ADHD)と診断された監督が前へ進んでいく力になる作品で、まことさんの力になると願いたい。 

まことさんと義史さんの友情が続きますように。

 

映画『だってしょうがないじゃない』公式HP

坪田義史監督の最新作ドキュメンタリー映画『だってしょうがないじゃない』の公式HP。 11月2日よりポレポレ東中野で劇場公開、他全国順次公開予...

『だってしょうがないじゃない』公式HP

 

 


映画「国境は燃えている」/食べるために娼婦になる女の悲しみを、兵士たちはわからない。

2021-07-02 | 映画

原題:Le Sodatesse (兵士)
ジャンル:戦争/ドラマ
製作国:イタリア
製作:1966年
監督:ヴァレリオ・ズルリーニ
原作:ウーゴ・ピッロ

脚本:レオ・ベンヴェヌーティ、ピエロ・デ・ベナルティ
音楽:マリオ・ナシンベーネ
上映時間:120分 モノクロ
出演:トマス・ミリアン(中尉マルチーノ)、マリー・ラフォレ(エフティキア)、アンナ・カリーナ(エレッツァ)、レア・マッサリ(トウーラ)、マリオ・アドルフ(カスタグノリ軍曹)、ヴァレリア・モリコーニ(エベ)、アッカ・ガヴリック(アレッシ少佐)

あらすじ 第二次世界大戦下、イタリアに占領されたギリシャ。イタリア軍の中尉が12人の慰安婦をトラックに乗せ、いくつか部隊に送り届ける任務に当たる。

見所 勝者が敗者を支配、男が女を支配しようとする。弱者は死ぬか、仕方ないと諦めるか。戦うか。生き残るために諦めたとしても心が死んでしまいそうになる。生き抜こうとする女性たちの姿は、たくましく悲しい。美しく哀愁を帯びたメロディが耳に残る。

私の評価 ★★★★☆ 4.0点
お家観賞

※【以下ネタばれあり】



第一次世界大戦下、占領されるギリシャ

ドイツ、イタリアの占領はギリシャに大きな負担をもたらし、多くの餓死者を出した。そんな状況に嫌気がさしているイタリア軍中尉が慰安婦をいくつかの部隊に送り届けるよう命ぜられる。嫌だけれど断れない。女たちは慰安婦として契約する。嫌だけど食べるため。嫌なことをするのは同じでも、天と地ほどの差がある。
慰安婦(志願者11人と経験者1人)との旅路は、責任者のマルチーノ中尉、トラックを運転する道に詳しい軍曹に、途中から黒シャツ隊(ファシスト)の上官が加わる。
道中の山岳地帯には立てこもりゲリラ戦をしかけてくるパルチザンが潜でんいる。パルチザンと
は他国による支配に抵抗するために結成された非正規組織だ。

女性たちの明るさに胸が痛む
行く先々で女性たちは性の欲望の対象として見られる。陽気に振る舞う女、商売と割り切る女、心を閉ざす女、自分だけ得をしようという者はおらず助け合い、いたわり合っている。みな魅力的で、本作を見ていてそれだけが救いになった。
楽しげに女性たちが水を浴びているところに、黒シャツ隊の大佐が加わろうして、さりげなく女が逃げたのには胸が空く思いがした。大佐は何から何までいやらしい男だからだ。
大勢の兵隊が乗ったトラックの荷台にひとり慰安婦が、大歓迎され明るく乗り込むけれど、悲しい目をする。
彼女たちは楽しそうに振る舞っているだけだと、黒シャツはじめ多くの男は気づいていないのだ。

勝者と敗者、強者と弱者、男と女、

女性たちが物のように扱われる。「イタリア美人の娼婦」にはしゃぐ兵士たちがすべてが悪い人間だとは思わないが、勝者と敗者の違いは残酷である。イタリアの正規軍は黒シャツ隊が市民を弾圧しすぎないように見張っている。それでもイタリア軍によって住んでいた町を焼かれ追われる人々がいる。ゲリラと疑われた少年は処刑スタイルで銃殺される。勝者側のマルチーノ中尉すら軍の階級で、良心を押さえ込む。強者に従うのだ。

ギリシャの極貧の女性たちの中に、ひとりだけお金を体に巻き付けている女性がいる。彼女は他の慰安婦とは違い経験者で、子供のためにお金を稼いでいる。軍曹に対し威勢よく堂々としているのは、キャラクターによるものかと思っていたが、彼女は支配されたギリシャ人ではないからかもしれない。稼ぐために娼婦を15年続けている弱い立場の女性であるのは同じだ。

マルチーノはできる範囲で女たちを大切に扱い、無口なエフティキアに惹かれはじめる。軍曹も女たちと過ごすうち心を通わす。普通なら、人と人との当たり前のやさしさや感情でも見ていて心が温まる。そのくらい女たちの置かれた状況は屈辱的なのだ。

「飢えると死にたくなる」

慰安婦エレッツアから語られる「飢え」が凄まじい。戦争が引き起こす惨めな貧しさあらゆる痛みの後に飢えが襲い、死にたくなる。最後の一線に立たされ、大勢の人が自殺したという。飢えのために自殺未遂をしたエフティキアは、慰安婦になり、もう飢えることはない。でも今も苦しんでいる。
終盤、エフティキアの行動は大勢のギリシャ人の苦しみを表していた。家畜のようにギリシャ人を扱うイタリア軍人を許せない。許せないイタリア人に従うことはできない。すべてが終わったとしても忘れないと。
エレッツァから慕われ、エフティキアと結ばれたマルチーノであってもどうすることもできなかった。エフティキアは山岳へ逃れる。見送るマルチーノを振り返らなかったのは覚悟を決めたからにちがいない。

女たちがたくましく美しく悲しい