なぜ死んではいけないのか論の展開よりもエッセイの味が強い。改題前の単行本でのタイトル『どうせ死んでしまう・・・・・・・ 私は哲学病。』(2004)ほうがぴったりだと思う。
「自分で解決しなさい」と突き放された。
私は著者のような成功者ではなく、折り合いをつけて生きられなかったのだと痛感した。これまで私は「幸せと思いなさい」「人生苦しいことだってある」と、なまぬるい人生論に頷くしかなかった。生きる虚しさを著者は語る。きれいごとがないのがいい。人は必ず死ぬ。死は悲しい。その悲しみに向かって生きていくのが真実である。生きている意味などないとまで言い切る。胸がすく思いがした。
幸福とは
幸福をめざすことは社会的評価をめざすことであり、幸福か否かの判定が自信を失う犠牲者を産み出すのだという著者の言葉に、幸福にならなくてはいけないという圧力から解放され息ができる。
人生は楽しいから生きるわけではない。
どうせ死ぬのだから、楽しんだ者勝ちだと人生をめいっぱい楽しもうとする人がいる。その一方で、どうせ死んでしまうのになぜ生きなければならないのかという問いに射貫かれている人もいる。元々持っている思考が違うのだと理解できたのがもっともよかった。
死を引止める確実な方法はない。
「死んだら悲しむ人がいる」という曖昧な感情にすがり、揺れながら生き続ける人が、ある日、自殺に向かわせる何かに背を押される。私は楽になりたくて、本書のタイトルに惹かれた。死を引き止めるものでも背を押すものでもよかった。50年生きてきて、死んだら無になるだけだからそれでいいんじゃないかと思う日が増えてきた。死ぬときに苦しかったり、痛かったりするのはいやなので、普段は健康でいたいと願う。読み終わり、生きるのが苦しいのは自分だけではないのだと感じ、ひととき楽になる。ひとときでも読む価値はあった。
生きる意味などないのなら、いま死ぬ意味もない。
いままでどおり「生きろ生きろ」と自分を励ます。やっぱり自分でどうにかするしかないんだなあと考えつつ、誰かも同じように考えていると思えばなぜか救われる。
「どうせ死んでしまうのに、なぜいま死んではいけないのか?」
なぜいま死ねないのか。
最近、生きるとは日々の積み重ねにすぎないと私は思いはじめた。清潔な布団の中で眠れて心地いい。喉が渇いて起き上がり、食欲はなかったのに口に入れたカレーパンがおいしかった。いつかとても疲れて何もできなくなる日がくるだろうが、まだそのときではないだと淵を離れ引き返す。
読んだ本:『どうせ死んでしまうのに、なぜいま死んではいけないか?』中島義道 (角川文庫)