東京電力福島原発事故のせいで、汚染地帯に置き去りにされた牛たちを生かそうとする牛飼いの姿が描かれている。
ここに登場する牛はペットではなく家畜である。私たち人間の食糧として養われてきた。被曝した牛たちは肉にはなれない。国は安楽死処分を勧めた。安楽死処分に同意する牛飼いと、同意しない牛飼い。牛飼いたちは苦悶する。安楽死を選ぶのが悪だと簡単に結論付けていないところがこの本の深いところだ。牛を生かす道を選んだ牛飼いたちは、経済的価値のない牛を生かす意味を探しながら、自らの被曝を承知で、厳しく立ち入りを禁止される警戒地域に入り、牛の命をつなげようとする。安楽死処分の決断も重い負担となる。柵に囲ったままだと牛は餓死するしかない。放てば自力で生きていく可能性があるとしても近隣に迷惑をかける。体の大きな牛は人間にとって危険になる。(だんだん野牛となるから)。冬場の食糧の不安もある。どうするのが正しいかなんて判断しようがないのだ。
「肉にするためにどうせ殺すんだから」と割り切れないものだ。安楽死処分にのぞむ獣医師たちも苦しんでいる。肉用牛は人間が定めた寿命30ヶ月をまっとうするのが幸せな生涯と、牛飼いは信じ愛情を注ぐ。本来は食肉とされすでに死んでいるはずの牛が原発事故によって生かされている皮肉を私はどう理解すればいいのかわからない。肉にされるのなら幸せなのか、ただ殺されるだけは無駄死ということか。
牛たちは自分が被曝しているのだと知らない。汚染した土に育った汚染された草を食べ、自ら汚染される。そして汚染された糞を出す。被曝した牛は研究対象として価値があるとか、猛烈な量の草を食べて野が荒れるのを防ぐとか、食べて土地を浄化するとか、ここでいう生きる意味とは、殺さなくてもいい意味だけにも思えたが、そうではなかった
私はこの本を読みながら風景を想像した。牛がゆっくりと土を踏みしめ歩き、ゆっくり草を食べている姿に、希望を感じた。人間の勝手で牛たちが被曝し続けられているとしても人が住めくなっている土地で、牛たちは生きようとし生きてくれている。牛に感謝したい。
警戒区域で必死に活動をされている人々の姿に心が震える。希望を描こうとしている本であると思う。私はこの地に人間が帰還できる日を想像できるようになった。途方もなく先になろうとも。生きる牛たちが希望だ。牛たちに生きてほしい。
ここに登場する牛はペットではなく家畜である。私たち人間の食糧として養われてきた。被曝した牛たちは肉にはなれない。国は安楽死処分を勧めた。安楽死処分に同意する牛飼いと、同意しない牛飼い。牛飼いたちは苦悶する。安楽死を選ぶのが悪だと簡単に結論付けていないところがこの本の深いところだ。牛を生かす道を選んだ牛飼いたちは、経済的価値のない牛を生かす意味を探しながら、自らの被曝を承知で、厳しく立ち入りを禁止される警戒地域に入り、牛の命をつなげようとする。安楽死処分の決断も重い負担となる。柵に囲ったままだと牛は餓死するしかない。放てば自力で生きていく可能性があるとしても近隣に迷惑をかける。体の大きな牛は人間にとって危険になる。(だんだん野牛となるから)。冬場の食糧の不安もある。どうするのが正しいかなんて判断しようがないのだ。
「肉にするためにどうせ殺すんだから」と割り切れないものだ。安楽死処分にのぞむ獣医師たちも苦しんでいる。肉用牛は人間が定めた寿命30ヶ月をまっとうするのが幸せな生涯と、牛飼いは信じ愛情を注ぐ。本来は食肉とされすでに死んでいるはずの牛が原発事故によって生かされている皮肉を私はどう理解すればいいのかわからない。肉にされるのなら幸せなのか、ただ殺されるだけは無駄死ということか。
牛たちは自分が被曝しているのだと知らない。汚染した土に育った汚染された草を食べ、自ら汚染される。そして汚染された糞を出す。被曝した牛は研究対象として価値があるとか、猛烈な量の草を食べて野が荒れるのを防ぐとか、食べて土地を浄化するとか、ここでいう生きる意味とは、殺さなくてもいい意味だけにも思えたが、そうではなかった
私はこの本を読みながら風景を想像した。牛がゆっくりと土を踏みしめ歩き、ゆっくり草を食べている姿に、希望を感じた。人間の勝手で牛たちが被曝し続けられているとしても人が住めくなっている土地で、牛たちは生きようとし生きてくれている。牛に感謝したい。
警戒区域で必死に活動をされている人々の姿に心が震える。希望を描こうとしている本であると思う。私はこの地に人間が帰還できる日を想像できるようになった。途方もなく先になろうとも。生きる牛たちが希望だ。牛たちに生きてほしい。