家畜であるブタ、ニワトリ、ヒツジ、ヤギ、ウシ、アヒルの感情の世界を描いている。
家畜に感情はないと思っている人が多いことが、驚きだった。
私にはどうぶつたちに感情があるのが当たり前だからだ。
人間のように家族を想ったり、生きていることが楽しいと感じたりしないから、
どうぶつたちをどう扱ってもいいというのが、
どうぶつたちを家畜化している人の言い分らしい。
本書は、どうぶつたちも人間と同じように歌ったり遊んだり
楽しむ気持ちをもっているから、
家畜化してはならないと主張している。
私の意見はすこし違う。
感情あるなしに関わらず、
私は生きものを苦しめる行為は、必要最低限にしなければならないと考えている。
食べられるためだけに生まれてきたどうぶつたちは、狭いバリケージに閉じ込められ、
一生、陽の光を浴びることもなく、えさを食べさせられ、成長させられる。
不自然に肥えさせられる。肉になるためだけに苦痛を強いられる。
家畜の住む場所は生きものが生きる場所ではなく、肉製造工場。
命を物として扱っているようなものだ。
大量に肉を製造し、儲けようとする人がいるから、
家畜が増え、苦しむどうぶつたちが増える。
肉を安くたくさん食べようとする人たちがそれを支えている。
どうぶつの権利を考えはじめると、残酷な事実を知らなければならないし、
知れば知るほど買えないもの、食べられないものが増えてくる。
目をそらした方が楽に生活できる。
正直に言うと、私は目をそらしてしまっている。
バタリーケージの卵は食べたくないと思っていても
口にしているのが現実だ。
著者はベジタリアンだが、卵と牛乳がなかなかやめられないと言っている。
どうぶつたちのことを思うのなら、
肉よりも卵牛乳をやめたほうがいいらしいのだが、やめられないと告白している。
どうぶつを食べることは必要なのだろうか、
私には判断がつかない。
だから、ベジタリアンではない。
しかし、
家畜の牛が肉になるまでのテレビドキュメンタリーで、
牛が物扱いされているのを知ってから、
肉を選べなくなった。
殺すことは容認している(食べている)。
自分でも都合よいことを言っているのはわかるが、、
できる範囲でいいのだと思う。
私が肉を食べることに抵抗があると知人にいうと、
「ありがとうとおいしく食べればいい」と、よく返される。
私もそう思う。
問題は殺されたどうぶつたちが「生きてきた」か。
生きることは苦痛ではない。
それぞれのどうぶつの特性に沿って、
生き生きと生きる権利は、
すべてに生きものの権利であると信じている。
この本を読んで強く感じた。