福島菊次郎さんのことは、写真家ということしか知らない。
たまたま見つけたチラシを見て、
知っている名前だったから、
仕事帰りに行ける場所だしと思って行った。
はじめは、写真と説明文を
一枚一枚真剣に読み進んだ。
暗い気持ちになる。
そうなることは、承知していた。
つらいかったけれど、しっかり感じようした。
しかし、ある文章を読み、
私は受け入れられなくなった。
被爆者は、放射能の影響に悩まされ続ける。
現在も被爆2世3世と連鎖はつづいている。
「ヒロシマの嘘」というタイトルがなければ、
こういう真実もあるのだと受け入れられたと思う。
「ヒロシマの嘘」という言葉が強烈で、
ここにある写真がすべての本当だと、
みられる気がした。
すべての被爆者や被爆2世が
健康を害し、いまだに影響を受けているかのように
思われる気がしたのだ。
そのくらい写真に力があるからなのか。
私はおそろしくなった。
私は2世。
被爆で死んだ親戚もいるが、
今は、親戚や私も元気で、
特別、健康を害してはいない。
貧乏で、つらい思いをした話はあっても、
被爆者だということで、差別を受けた話も聞かない。
それはとても運がよく、ありがたいこと。
いまだに、
大変な思いをしている人のもいるのだから、
放射能はやはりおそろしいものだと、
写真を見終ればよかった。
それなのに、
なにかひっかかる。
なぜだろうと考え続けて、気付いた。
私は自分が差別を受けるのを恐れている。
今まで平気で生きてきたことを
覆される気がしておそろしかったのだ。
私が信じてきたことが噓だと言われている気がしたのだ。
メディアはおそろしい。
ひとつのことが真実かのように、
みんな信じてしまう。
どちらが噓か。どちらが本当かではない。
噓も本当もひとつきりじゃない。
たくさんの本当があり、
たくさんの嘘がある。
福島菊次郎さんの写真は
ひとつのヒロシマの本当であると思う。
でもすべてではない気がしてならなかった。
写真集を見ていないので、
間違った見解かもしれないが、
私はそう感じた。
たまたま見つけたチラシを見て、
知っている名前だったから、
仕事帰りに行ける場所だしと思って行った。
はじめは、写真と説明文を
一枚一枚真剣に読み進んだ。
暗い気持ちになる。
そうなることは、承知していた。
つらいかったけれど、しっかり感じようした。
しかし、ある文章を読み、
私は受け入れられなくなった。
被爆者は、放射能の影響に悩まされ続ける。
現在も被爆2世3世と連鎖はつづいている。
「ヒロシマの嘘」というタイトルがなければ、
こういう真実もあるのだと受け入れられたと思う。
「ヒロシマの嘘」という言葉が強烈で、
ここにある写真がすべての本当だと、
みられる気がした。
すべての被爆者や被爆2世が
健康を害し、いまだに影響を受けているかのように
思われる気がしたのだ。
そのくらい写真に力があるからなのか。
私はおそろしくなった。
私は2世。
被爆で死んだ親戚もいるが、
今は、親戚や私も元気で、
特別、健康を害してはいない。
貧乏で、つらい思いをした話はあっても、
被爆者だということで、差別を受けた話も聞かない。
それはとても運がよく、ありがたいこと。
いまだに、
大変な思いをしている人のもいるのだから、
放射能はやはりおそろしいものだと、
写真を見終ればよかった。
それなのに、
なにかひっかかる。
なぜだろうと考え続けて、気付いた。
私は自分が差別を受けるのを恐れている。
今まで平気で生きてきたことを
覆される気がしておそろしかったのだ。
私が信じてきたことが噓だと言われている気がしたのだ。
メディアはおそろしい。
ひとつのことが真実かのように、
みんな信じてしまう。
どちらが噓か。どちらが本当かではない。
噓も本当もひとつきりじゃない。
たくさんの本当があり、
たくさんの嘘がある。
福島菊次郎さんの写真は
ひとつのヒロシマの本当であると思う。
でもすべてではない気がしてならなかった。
写真集を見ていないので、
間違った見解かもしれないが、
私はそう感じた。