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感想です。

本『チェルノブイリの祈り 未来の物語』/未来がありますように

2016-05-25 | 
   この世界からすべての核兵器と原子力発電所がなくなることを私は願っている。私は子供のころヒロシマナガサキの核兵器から放射能の恐ろしさを教わった。チェルノブイリ大惨事から原子力が安全でないと考えるようになった。
 1986年のチェルノブイリ事故の時、私は15歳だった。放射能に関する知識はまったくなかったが、ヒロシマナガサキの被曝のひどさを学んでいたので、事故をニュースで知り世界が変わって見えるほど不安になった。放射能は目に見えない。日本で青い空を見上げながら遠い国の原発事故に恐怖を抱いた。
  
 本書はチェルノブイリの事故から10年を経て発刊された被災者たちのインタビュー集である。あの時チェルノブイリにいた人たちのを感情を集めた本であると私は思う。
  もっとも驚いたのは住民にすぐ避難指示が出されず、男たちは防護服もなく普段の作業着で、危ない状況を十分に説明もされず消火活動、除染活動にあたっていたことだ。人命軽視にもほどがある。
 事故処理作業のため被曝した夫への妻の愛情。放射能の影響と思われる障害を持った子供への深い思いに心を打たれた。反面、避難先で親戚であっても嫌がられたという悲しさ怖さも感じた。
   社会主義体制下での都合のいい解釈や保身で事実が隠蔽される。ウォッカを浴びるように飲んで放射能に効いている信じる除染作業の男たちや汚染地帯に残された猫や犬たちが殺さなければならなかった作業員たちの姿など、全てが生々しく迫ってきた。事故も事故処理も生き物や自然への人間の横暴であると私は考える。

 チェルノブイリで何が起こったのか。科学的に検証がされている本ではないのでこれがすべてではない。
  著者は「この本はチェルノブイリについての本じゃありません」と述べる。「チェルノブイリを取りまく世界のことについて」読者は知る。インタビューを受けた人々は感情の語り、人間の内や世界に何が起きたのかと考えている。私は涙も出せないほど重く受け止めた。この時代を生きる大人として私に責任がまったくないとは言えない。
 
   フクシマの事故後でさえすんなりと原発をやめられない。戦争、環境問題、民族問題、貧困、経済など複雑に絡み合い、この危ないエネルギーを人間は手放せないでいる。本書を多くの人に読んでもらいたい。放射能が及ぼす影響を知った人は世界観が変わるだろう。その力が集まり、未来へ新しい形を指し示す力になったらと願わずにいられない。

 最後に私へのインタビューとして。
 ヒロシマがチェルノブイリが違うように、チェルノブイリもフクシマとは違っていてほしい。本書に登場するチェルノブイリの子供たちは「死」を常に身近に感じ暗い目をしている。フクシマの子供たちがどの程度被曝をしたのかわからないが、私の母は2歳のとき、ヒロシマで被曝した。フクシマの子どもたちに「私は子供が産めるの」と言わせたくない。私が生まれてこれたのだから。これが私の感情である。