本と映画とわたしと

感想です。

ホラーは好きではないけれど『バタリアン』よかったよ。

2015-04-20 | 映画
(ネタばれあり)

有名な映画は押さえておきたいので、
機会があればホラーも観る。

『バタリアン』を観賞するチャンスがきた。
言わずと知れたゾンビ映画。
軍人病院の薬品事故が原因で、死体が次々に蘇生してしまう話。

ホラーというものは、人が死んで、
血もたくさん出るので、
怖かったり、痛かったり、気分のいいものではない。
ならなぜ観るのか。
子どものころは、
怖いものを見ることにより、
抵抗力をつけ、強くなろうという気持ちがあった。

ホラー映画が人気があるのは、
生存欲求を刺激するからと、教わり、
「なるほど」と考えた。

ホラーで恐ろしい感情を抱けば抱くほど、
私は強くなりたいと感じる。
生き残るために強くなりたいと思う。
これも生存欲求なのだろう。

『バタリアン』は、生存欲求を刺激しなかった。
安心して観賞できたからだ。
「ゾンビはありえない」と、
大人の私は信じているから怖くない。
その上、笑いの要素が織り込まれているので、
緊張感なし。

音楽がロックで、かっこよかったし、
怖がらせようとしていないでしょう。
恐怖を増幅させるような音楽だったら、
映画の雰囲気がまったく変わって、
怖かったかも
いや、つまんなかったかも。

ぜんぜん死体に見えない安っぽい演出は、
今、観るから笑えるのかもしれないけど、
公開当時も笑えたんじゃないかと思う。

目を背けたくなるようなグロテスクなシーンはないとしても
人間がゾンビに脳みそを食べられてしまうわけだから、
けらけらと無邪気に笑えはしなかった。

ものすごい数のゾンビが出てきて、
こんなたくさんいては、もう人間は無力だという敗北感に、
笑うしかなかった。
ゾンビが人を呼び寄せるために無線を使うとは、
さすが元人間と感心した。
やっぱり笑うしかない。

そんな笑いのコメディホラー。

犬好きの私が、決して笑えない心を痛めたシーンがある。
標本にされた犬(標本なので縦半分に切られている)が
生きかえり、
何にも悪いことをするわけではないのに、
気持ち悪いというだけで、
容赦なくバットで殴られてしまう。
「キャンキャン」ないて反撃できない犬を
めったうちに殴る男の非道さに腹が立った。
その男は、のちに自分もゾンビになってしまうのだが、
根っからの悪い奴ではなかったことがわかる。
ゾンビとなった男は、
自分が人間の脳みそを食べることを防ぐために
自殺するのだ。
「ひどい奴だと思っていてごめんよ」と、謝りたい気分になった。

最初は、保身だけ考えているクズな奴らだと思っていたら、
命がけでゾンビに立ち向う頼もしい男だったり、
信じていた恋人に脳みそを狙われたり、
ふだんの生活の中ではわからない本性が、
非常時に表面化するリアリティが、
感じられて、おもしろかった。

そしてあのラスト。
軍が、すべてを闇に葬ろうとして、
ゾンビが増殖する地域にミサイルを撃ち込む。
よけいに大変なことになるのをわかってないお偉いさん方。
「ああ、人間ってバカだな」
人間への皮肉。笑うしかない。

ゾンビになった恋人が、
屋根裏のドアを開けたところで、
シーンが止まる。
「人生、一秒先どうなるかわからない」と、
納得してしまった。

『バタリアン』に私は納得したのだ。
この映画のすごいところはそこだ。
ストーリーにアラがない。

冒頭のキャプションで、
「この映画は真実だけを描いている。
したがって人物や団体名もすべて実名である」
現実ではなかったけど、真実が描かれている。

ラストが怖いよ。ぞっとした。
人間のすることが一番怖いね。

ここは笑ったらいけないだろうか。





本「生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由がある」/ゆるやかにつながる社会を

2015-04-13 | 

「どうせ自分なんて」と思わないことからはじめよう。
ちょっと弱音を吐ければ、楽になる。

私は「自殺した人を責めない」
そう思っていても
なかなか口に出すことはできなかった。

「残されたもののことを考えたら死ねないよね」
「生きたいのに生きられない人だっているんだから」
「死ぬ気で生きたらなんでもできる」
もっともだからだ。

もっともな意見を理解できても、心の奥まで響いてこない。
なぜだろう。
私は自殺をしようとしたことはないので、
自殺した人の気持ちはわからない。
自殺をした人が身近にいて、苦しみを知っているわけでもない。
最近、私は「生きていていいのかな」と弱音をこぼした。
すると、こう言われた。
あなたの命はあなただけのものではない。
たくさんの人から大切に思われていることを思いだしてほしい。

私を心配してくれての言葉だからありがたい。
でも「そんなことわかってる」と心で叫び、
口を閉ざした。

「命を大切」にという言葉は、正しい。
しかし、心が弱った時にかぎって、心に響いてこない。
命の大切さをよくわかっているから、
私は生きてこられたのだろうか。
そうではない気がする。
だから、自殺をした人が
命の大切さをわかっていない人だとは思えない。

本書がひとつの答えをくれた。

「命を大切に」という教育は、重要である。
しかし、それだけで、
大層なメッセージを伝えたような気になっていないだろうかと、
問題提起されている。
そこで、思考が停止ししてしまっていないかと。

これまで、私は「命を大切に」という言葉の前で、
自分の想いを封じ込めてしまっていた。
「そうだ。命は大切にしなくては」と、
自分を納得させようとした。
けれど気持ちはいっこうに楽にならなかった。
むしろ苦しくなった。

想いを封じ込められたことが、
苦しい大きな原因なのだと知った。

同じように過酷な経験をしても
心が癒されるものとますます辛く苛まれるものがいるのは、
個人の資質だけではないという。
その人が属するコミュニティが、
どう受け入れるかによって変わるらしい。

著者は、地域のコミュニティが
住民の心にどのような影響を与えるか、極めて自殺率が低い 徳島県海部町で、
住民の方たちと丁寧な話し合いを重ね、
国内各地のデータと比較・分析していく中で、
自殺率が低い理由を明らかにしていく。

自殺の危険を高めるのが自殺危険因子。
自殺の防ぐ方が自殺予防因子。
本書は自殺予防因子を探す。

ちょっとおかしいなと思ったとき、
症状が軽いうちに、外へ出してしまうこと。
痩せ我慢はせずに、できないことはできないと早く言う。
取り返しがつかなくなる前に、
お金のことでも病気のことでも人間関係でも悩みがあれば、
はやく開示したほうがよい。
はやく助けを求めることで、重症化せず、
自殺へ傾いていくのを阻止できるというのである。

相当深刻になって、「死にたい」といわれても
助けてあげるのは難しいだろう。
深刻になる前に予防するのが重要なのである。

深刻になってから助けてくれる友だちを持つことが
必要なのではない。
それよりも
普段、挨拶や立ち話をする程度の
地域コミュニティのゆるやかさが、人を楽にさせるのだそうだ。

そう言われても
これまで話す相手ががいなかった人は、
なかなか心を開示できないと思う。
私もそうだからだ。

人に話すのは難しいとしても
肩の力を自分でちょっと抜くことはできる。

話せない人は、こう思っているところがあるのではないだろうか。
簡単に人に頼ってはいけない。
自分のことは自分で解決しなくてはいけない。
他人に迷惑をかけてはいけない。
「どうせ自分なんて」と、遠慮する。
それが、心を疲弊させているのかもしれないと、
わかるだけでも
悪い方へ傾いていく気持ちを予防できるかもしれない。

本書であげられている自殺予防因子。
1、いろんな人がいてもよい、いろんな人がいたほうがよい。
2、人物本位主義をつらぬく、
3、どうせ自分なんて、と考えない。
4、「病」市に出せ
5、ゆるやかにつながる。

自殺率の低い社会は、きっと生き心地の良い町。

情けはひとのためならず。

周りの人を気にかけて、声をかけようと思う。
そしてゆるやかにつながりたい。

 

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『生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由(わけ)がある』(岡 檀) 製品詳細 講談社BOOK倶楽部

【推薦の言葉】  「探検記」の傑作。誰も知らない(住んでいる人たちも自覚していない)謎の「パラダイス」が存在したという展開は、ソマリランド級...

講談社BOOK倶楽部

 

ジェーン・スー著「貴様いつまで女子でいるつもりだ問題」を読んだ。

2015-04-10 | 
実は私もそう思っていたのよ。
と感じることがたくさんあって、おもしろかった。

著者は四十路に見事、足を突っ込んだ独身。自称「未婚のプロ」。
「女子である前に人間として!!!」と、思ってきた同世代の女性なら、
共感するところが多いはず。
もともと女子力が高く、好きな色はピンク、「かわいい」に同化できる人が読んでも 
わけがわからないかもしれません。

「ピンク」を避けてきたけれど、最近試してみるようになっていませんか。
「かわいい」を拒絶してきたけれど、癒されるようになっていませんか。
著者は、齢を重ねて図々しくなってきたことで、女子魂を表に出せるようになったからだと分析。
「なるほどそうかもしれない」と私は感じた。

肩肘張って強い大人の面しか見せないように生きてきたけれど、
なんだか最近、私も自分の中に今もいるちいさな女の子を認められるようになったのかもしれない。

じつは私、42歳でぬいぐるみを買ったのだ。
30年ぶりぐらいにぬいぐるみを抱いた。私にとっては大きな変化。
本書を読んで気付いた。
その行動は 私の中の女子を認めたからではないか。
これまでは「かわいい」=「か弱さ」=「私には似合わない」と否定してきたのけれど、
そんなに頑張らなくてもいいかな、
ひねくれていた心もほどけてきて、素直になってきたかなと感じる40代。

私も図々しくなってきたな。
楽しい。