原題:Le Sodatesse (兵士)
ジャンル:戦争/ドラマ
製作国:イタリア
製作:1966年
監督:ヴァレリオ・ズルリーニ
原作:ウーゴ・ピッロ
脚本:レオ・ベンヴェヌーティ、ピエロ・デ・ベナルティ
音楽:マリオ・ナシンベーネ
上映時間:120分 モノクロ
出演:トマス・ミリアン(中尉マルチーノ)、マリー・ラフォレ(エフティキア)、アンナ・カリーナ(エレッツァ)、レア・マッサリ(トウーラ)、マリオ・アドルフ(カスタグノリ軍曹)、ヴァレリア・モリコーニ(エベ)、アッカ・ガヴリック(アレッシ少佐)
あらすじ 第二次世界大戦下、イタリアに占領されたギリシャ。イタリア軍の中尉が12人の慰安婦をトラックに乗せ、いくつか部隊に送り届ける任務に当たる。
見所 勝者が敗者を支配、男が女を支配しようとする。弱者は死ぬか、仕方ないと諦めるか。戦うか。生き残るために諦めたとしても心が死んでしまいそうになる。生き抜こうとする女性たちの姿は、たくましく悲しい。美しく哀愁を帯びたメロディが耳に残る。
私の評価 ★★★★☆ 4.0点
お家観賞
※【以下ネタばれあり】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/52/9db4e7376750371eb60ec4f808f2fb76.jpg?1624963951)
第一次世界大戦下、占領されるギリシャ
ドイツ、イタリアの占領はギリシャに大きな負担をもたらし、多くの餓死者を出した。そんな状況に嫌気がさしているイタリア軍中尉が慰安婦をいくつかの部隊に送り届けるよう命ぜられる。嫌だけれど断れない。女たちは慰安婦として契約する。嫌だけど食べるため。嫌なことをするのは同じでも、天と地ほどの差がある。
慰安婦(志願者11人と経験者1人)との旅路は、責任者のマルチーノ中尉、トラックを運転する道に詳しい軍曹に、途中から黒シャツ隊(ファシスト)の上官が加わる。
道中の山岳地帯には立てこもりゲリラ戦をしかけてくるパルチザンが潜でんいる。パルチザンとは他国による支配に抵抗するために結成された非正規組織だ。
女性たちの明るさに胸が痛む
行く先々で女性たちは性の欲望の対象として見られる。陽気に振る舞う女、商売と割り切る女、心を閉ざす女、自分だけ得をしようという者はおらず助け合い、いたわり合っている。みな魅力的で、本作を見ていてそれだけが救いになった。
楽しげに女性たちが水を浴びているところに、黒シャツ隊の大佐が加わろうして、さりげなく女が逃げたのには胸が空く思いがした。大佐は何から何までいやらしい男だからだ。
大勢の兵隊が乗ったトラックの荷台にひとり慰安婦が、大歓迎され明るく乗り込むけれど、悲しい目をする。
彼女たちは楽しそうに振る舞っているだけだと、黒シャツはじめ多くの男は気づいていないのだ。
勝者と敗者、強者と弱者、男と女、
女性たちが物のように扱われる。「イタリア美人の娼婦」にはしゃぐ兵士たちがすべてが悪い人間だとは思わないが、勝者と敗者の違いは残酷である。イタリアの正規軍は黒シャツ隊が市民を弾圧しすぎないように見張っている。それでもイタリア軍によって住んでいた町を焼かれ追われる人々がいる。ゲリラと疑われた少年は処刑スタイルで銃殺される。勝者側のマルチーノ中尉すら軍の階級で、良心を押さえ込む。強者に従うのだ。
ギリシャの極貧の女性たちの中に、ひとりだけお金を体に巻き付けている女性がいる。彼女は他の慰安婦とは違い経験者で、子供のためにお金を稼いでいる。軍曹に対し威勢よく堂々としているのは、キャラクターによるものかと思っていたが、彼女は支配されたギリシャ人ではないからかもしれない。稼ぐために娼婦を15年続けている弱い立場の女性であるのは同じだ。
マルチーノはできる範囲で女たちを大切に扱い、無口なエフティキアに惹かれはじめる。軍曹も女たちと過ごすうち心を通わす。普通なら、人と人との当たり前のやさしさや感情でも見ていて心が温まる。そのくらい女たちの置かれた状況は屈辱的なのだ。
「飢えると死にたくなる」
慰安婦エレッツアから語られる「飢え」が凄まじい。戦争が引き起こす惨めな貧しさあらゆる痛みの後に飢えが襲い、死にたくなる。最後の一線に立たされ、大勢の人が自殺したという。飢えのために自殺未遂をしたエフティキアは、慰安婦になり、もう飢えることはない。でも今も苦しんでいる。
終盤、エフティキアの行動は大勢のギリシャ人の苦しみを表していた。家畜のようにギリシャ人を扱うイタリア軍人を許せない。許せないイタリア人に従うことはできない。すべてが終わったとしても忘れないと。
エレッツァから慕われ、エフティキアと結ばれたマルチーノであってもどうすることもできなかった。エフティキアは山岳へ逃れる。見送るマルチーノを振り返らなかったのは覚悟を決めたからにちがいない。
女たちがたくましく美しく悲しい