あおこのぶろぐ

オペラ、テレビ、日常など、気が向いたときに書いていきます!

びわ湖ホールプロデュースオペラ 「ジークフリート」 その1

2019-03-05 23:34:54 | 日記
今年も行って来ました。びわ湖ホールプロデュースオペラ「ニーベルングの指環」。

これまで日曜日(2日め)のみ観ていましたが、「ラインの黄金」から観ている青山貴さん、池田香織さんの日に行きたかったので、初日のチケットをまず買いましたが、どうせその日泊まるんだから、と、考え日曜日も買ってしまいました。
なので初めて観比べ、聴き比べが出来たのですが。

まず、視覚面から。

ミヒャエル・ハンペ演出、ヘニング・フォン・ギールケ美術・衣裳のこのプロダクションは、「映像」を駆使して、作品(台本)のイメージ通りに視覚化されています。

今回はまたグレードアップしている感じで、映画を観ているような気持ちにもさせられました。
映像と歌手、セットをうまく融合させ、かなり細部に渡って台本通りの世界を表現しています。
ノートゥングを鍛え直す場面など、かなり細かい工程をこなしながら歌わなければならないので、ジークフリート役のお二人は大変そうでした。

何度も書いてますが、私はキース・ウォーナーの「トーキョーリング」が大好きです。でも、このプロダクションもお気に入りです。
リングの世界にあっという間にいざなってくれる、というのは大きな魅力です。

ただ、全幕、前奏の時、紗幕(濃いほうの)に説明的な映像が映されるのだけど、「ん? 春祭?」と思ってしまいました。
第1幕は森の空撮から始まったのですが、既視感が……。「春祭」のワーグナーシリーズの舞台で流れる映像もあんな感じのがあった気がする……。

舞台自体が映像的、というか「かなり映像」で、映画のような舞台を作り出しているのだから、前奏の時の映像は、ないほうがいいとまでは言わないけど、必要ないのでは? と思いました。


ジークフリート役はフランツとフォイクトの両クリスティアン。

フランツはトーキョーリングの初演&再演でもジークフリートを歌っているのをずっと観て来たので、私はもはや「ジークフリート=フランツ」という感じになってます。
それだけに、今回第1幕は、いつもよりちょっと不安定というか、荒いというか、「お疲れなのかしら」と感じるところもありましたが、さすがの歌唱でした。

私がウルサいヴィジュアル面ですが、正直、英雄っぼさはあまり感じられないのですが。トーキョーリングのように、スーパーマンTシャツにオーバーオールだと、ジャイアン的ガキ大将感があったのだけど、今回の衣装はそれを感じられませんでした。
(ミーメと対比するためにも、もうちょっと鮮やかな色の衣裳だったら良かったのに、と思いました)

しかし、フランツの笑顔はチャーミングで「少年」そのもの。ということで許せちゃいます♪
何より、1日だけの出演なのに、よく来てくれたなあ、と感激してしまいます。


ダブルのフォイクトのほうがヴィジュアルはOK。
声はちょっとくぐもった感じ。
ノートゥングを鍛造する場面では、リズムに合わせて打たなければならない、しかも火花が飛ぶように打たなければならない、と気を遣う上に、金鎚で叩く音が大きすぎて声がかき消されてしまっていました。

第3幕までほぼ出ずっぱりなのに、第1幕にそんなヘビーなシーンがあるジークフリート役は本当に大変だと思いました。


長くなったので、続きます


サブタイトルは「魔矢の射手」? 新国立劇場「紫苑物語」

2019-02-22 23:42:31 | 日記
2月20日、「紫苑物語」を鑑賞したので、さらっと感想を。

なにしろ世界初演の作品、おそらくこれが「基本」の公演になるのだと思う。

過去にもいろいろ日本のオペラは観たけど、今までにない世界、と感じた。
簡単に言えば、難しいけど、結構面白かった。

まず思ったのは、「え、これR-18指定?」。
第一幕第一場など、「え、ヴェーヌスベルクですか?」
という感じ。
前プロダクションの「タンホイザー」よりよっぽどエロティックではないか。
歌詞も、結構すごい。

また、髙田智宏さん演じる宗頼は、歌の道を捨て弓術に邁進するという役どころで、最後に魔の矢を放つ……
なんていうところは去年兵庫で観た「魔弾の射手」のカスパーとかぶった。
サブタイトルを「魔矢の射手」にしたらいいかも?

作品の出来がどうかなんて私にはわからないし、今後長く親しまれ、演奏され続ける作品になるかというのはわからないけど、意欲的な作品だったというのは確か。

歌手の皆さんは本当に大変だったと思う。音楽的にも演技的にも。

とにかく、台本、作曲家、指揮者、演出、歌手(合唱含む)等々、制作に関わった方々の、「新しいものを作り上げよう」というパッションは間違いなく感じられた公演だった。

来月BSで放送があるそうなので、映像でもう一度楽しみたいと思います。

ヴェーヌスは「取り逃がした」のか「負けた」のか。 新国立劇場「タンホイザー」

2019-02-07 21:03:24 | 日記

新国立劇場「タンホイザー」を鑑賞(1月30日)。
このプロダクションを観るのは、2007年、2013年に続き3回目だが、どうもあまり心に残らない。

ヴェーヌスベルクのバレエは、健康的な体操に見え、妖しさが感じられない。
第2幕幕切れ、唐突に「ローマへ!」となる感じなのも違和感。
巡礼の合唱、エリーザベトが巡礼者の中でタンホイザーを探すシーン、必死さも絶望感もなく、今ひとつ。
男性合唱団のメイクが怖くて、ヴァルトブルクの群集の時はショッカー、巡礼の時はゾンビに見えた。
等々……。

タンホイザーのトルステン・ケールは第2幕までは、セーブしていたのか、ちょっと不安定に感じたけど、第3幕のローマ語りは良かった。
昨年の兵庫のマックスに続き、へたれキャラが似合ってる、かも。
でも、エリーザベトとヴェーヌスが奪い合う(?)役なのだから、もっとシュッとしていて欲しいなあ、と思ってしまう。

ヴォルフラムのローマン・トレーケルは、トーキョーリングのグンターを観てから注目していて、ヴォルフラムは声的にぴったりと思っていたのだけど、なんだろうメイクと表情が“邪悪”に見えて(特に第2幕)しまったのがマイナス点。

ヴェーヌス(アレクサンドラ・ペーターザマー)、エリーザベト(リエネ・キンチャ)は共に役柄に合っていた演唱。キンチャは特に良かった。

ヘルマンの妻屋秀和さんは安定の歌唱。


私が「タンホイザー」を最初に観た(映像)のはギネス・ジョーンズがエリーザベトとヴェーヌス二役を歌ったフリードリッヒ演出のものだった。
その後、舞台で二期会や神奈川県民ホールの公演、テレビで映像を含めるとけっこう多くの演出を観た。
今回の新国立劇場のプロダクションは3回目だけど、やっぱり薄い。


ところで、「タンホイザー」で気になるのはヴェーヌスの「最後の一声」の訳詞である。

昔は字幕で「私の負けだわ」とされていたが、ある時期から「取り逃がしてしまった」という字幕に変わった。
文法的には「取り逃がしてしまった」というのが正しいらしい。

が、音楽を考えてみて。
「チッ、取り逃がした」というより、「負けたわ」といった悲しみと諦めを感じさせる音楽ではないか。
「ああ、私は失われた」というような字幕もあったように記憶しているが、まだそのほうがわかる。

が、やっぱりストーリー的に「私の負けだわ」が良いんじゃないか、と思うのである。

一昨年クラシカジャパンを短期間たけ契約した時に録った2014年のサシャ・ヴァルツ演出&振り付けのベルリン国立歌劇場のイースター音楽祭の公演をもう一度観てみた。

この放送では「私の負けだわ」の字幕になっていた(岩下久美子さん訳)。

そして今回の新国立劇場のパンフレットに、北川千香子さんの「『愛による救済』というユートピア」文章が載っているが、そこには
「ヴェーヌスの最後の台詞『ああ!私の負けだ!』はエリーザベトに対する敗北宣言に等しい」
と書かれている。
公演の字幕では「取り逃がしてしまった」となっているにも関わらず、である。

なので、たとえ文法的には違っていても、またワーグナーが書いた意図と違ったとしても、「私の負けだわ」が合っていると思う。

そして、特に女性は「私の負けだわ」を支持するのかもしれない、と思ったりした。

女性振付家サシャ・ヴァルツ(昨年の新国立劇場『松風』も演出)の演出では、その瞬間、ダンサーがエリーザベトの亡骸を運んで来て、また入れ替わるようにヴェーヌスが別のダンサーに運ばれて行く(連れていかれる)のだが、これは「ヴェーヌスのエリーザベトへの敗北宣言」と合致した演出だったように思うのである。


「今日から俺は‼」を見て考えたアンテナ力

2018-12-19 23:37:16 | 日記
勝因は“逆手に取った”こと? 『今日から俺は!!』最終回で最高視聴率、同枠でも2位に


連ドラはだいたいチェックして、「ながら見」しながら、気になるものは毎回チェック、そうでないものは段々見なくなる……という感じで、最近なかなかしっかり観るものはなかったのだけど。

この秋(10月~12月)は、比較的ちゃんと観たドラマが多かった。

そんな中、ドはまりしたのは、ご多分にもれず、「今日から俺は!!」。

普段、ながら見の私が、凝視。
録画を繰り返し見たくなる。
何ならDVDボックス買っちゃおうか、という勢いです。

老若男女に好評、と書かれていて、私は「老」になるのか! といささかショックではありましたが。

まさに我々の時代の話!
私はツッパリでもぶりっこでもなかったけど、懐かしい。
だけど、新しい。

賀来賢人の三橋を始め、みんな役にハマってる。

みーんな良かったけど、太賀演じる今井、鈴木伸之演じる智司は特にお気に入り。
(鈴木伸之は「あなそれ」のゲス不倫夫と、また、磯村勇斗は「ひよっ子」のみね子の夫とのギャップがすごい)

女子では私は明美(若月佑美)がお気に入りキャラでした。

吉田鋼太郎さまや佐藤二朗さん、ムロツヨシらのアドリブ(多分)も最高。
あの時代は使わなかった言い回しもあったけど、まあ、それはそれ。面白ければ良し。

主題歌&オープニング映像も良い。

かなりな暴力シーンもあったのだけど、陰湿さがなく引き込まれる。
友情と男気が描かれていたからでしょう。

原作マンガの再現度やコメディのレベルが高く、さすが福田雄一監督! という感じです。


このドラマを見て思ったのは、「80年代、いい時代だったな」ということ。

携帯電話なんかなくても、若者は自由で、毎日を楽しんでいた。
携帯電話なんかなくても、待ち合わせに困ることもなかったし、友情だって紡げた。

当時の人々は常にアンテナを張っていて、いろんな情報を自らキャッチしていた。
(伊藤ちゃんの髪型がアンテナっぽいから言うわけではないが)

スマホを全否定するつもりはないが、携帯に頼り過ぎて、現代人の「アンテナ力」が低下しているのではないか、と、「今日俺」を見て感じたのだった。

東西競演!「魔弾の射手」(二期会&佐渡裕プロデュース) その2 感想編

2018-08-05 08:53:42 | 日記
二期会は二日目(7/19)いわゆるBキャスト、兵庫は三日目(7/22)いわゆるAキャストを観ました。

兵庫のほうが、主役のテレステン・ケールをはじめ、本場で活躍している歌手中心でしたが、二期会のほうも特に遜色なかったように思いました。
歌手陣だけでなく、アレホ・ペレス指揮の読響、佐渡裕指揮兵庫芸術センター管弦楽団、それぞれの合唱団も素晴らしく、甲乙つけがたいのですが、印象に残ったキャストについて書きたいと思います。


マックスは、兵庫のケールのほうが聴き応えがあったのは間違いありません。二期会の小貫岩夫さんは、リリックで声量もちょっと……という感じでしたが、ちょっとヘタレな色男というマックスにはピッタリだったかも。

エンヒェンは、二期会の熊田アルベルト彩乃さんもチャーミングなエンヒェンを好演していましたが、声がエンヒェンらしかったのは、兵庫の小林沙羅さんのほうでした。

そしてカスパル。二期会は加藤宏隆さん、そして兵庫はドイツで宮廷歌手の称号を得たという高田智宏さんでした。
悪役マニアの私としては注目の役ですが、演技、パフォーマンス、声含め、加藤さんのほうが好みでした。いい声だし、加藤さんは今後の「チェックリストに追加♪」という感じです。
(二期会のキリアンの杉浦隆大さん、オットカールの藪内俊弥さんもいい声で、これから注目したいです)
兵庫の公演では、狼谷のシーンでガスパールが上半身脱いだのですが、これが筋肉質の体だったら、キュンとなって、高田さんのポイントが上がっていたかも。

隠者、兵庫の妻屋秀和さん、いつもの通り安心と信頼の歌唱。しかし扮装が、ザミエルと瓜二つ。これも神と悪魔は紙一重という意味?
二期会の小鉄和広さん(最近とみに二期会のベテランバス歌手、高橋啓三さんに、声も見た目も似てきたなあと思う)、第二幕から客席から演技していましたが(ずっと座っているのも大変だったと思います)も、隠者ならぬ“スポンサー”役にピッタリでした。

そしてザミエル。
悪魔らしかったのは兵庫。
ペーター・ゲスナー演じるザミエルは存在感があり、2幕の最後には「紅白の小林幸子」のように登場しました。
そして二期会のザミエルは、大和悠河さん。腕も脚も細くて長い! なのに胸がある!
見せどころもたくさんあり、大和悠河ショーと言ってもいいような公演でした。
もう一人、ヴィオラソロのナオミ・ザイラーさんもチャーミングな悪魔でした。

二期会のコンヴィチュニーの演出は、いわゆる読み替えと言われるものでしたが、不愉快になるものではなく、私は楽しみました。ラストはまるで「こうもり」のエンディング。
セリフが日本語だったこともあり、オペラよりミュージカルに近づいた、エンターテインメント性の高いステージだったように思います。

兵庫のミヒャエル・テンメの演出は正統派の演出でした。
ただ、舞台の木々が森林火災後のような木で、「30年戦争直後」を表わしているのかとは思いますが、日生劇場の公演の森のイメージが残っている私としては、ちょっと物足りなく感じました。


総合的に観て「また観たい」と思うのは二期会のほうかなあ。

いずれにしても、この夏、大好きな「魔弾の射手」を堪能出来ました。