Already 三丁目は夕日

徒然なるままの些細なブログ

バカタレ

2020-09-17 23:16:59 | 日記
息子の進路調書の提出日は明日が期限。
カミさんと息子は、ケツカッチンにならなければ物事を始めない。
残念ながら、コイツらの頭の中には「余裕」っていう単語は無いらしい。
これって性格なのか、病気なのか。。。
カミさん、娘の学校の重要事項を書いてあった封書も無くす。
整理整頓が出来ないのはなぜ。
ああっ、このまま年を重ねたらオフクロより認知度の低下が早くなるような悪寒。二人の介護なんてゴメンだな。
五十代半ば、そろそろ子孝行を考えなければな。忘れそうなことは何でもいいから、メモることは忘れないで過ごそう。
子供たちにオレみたいな思いをさせないように。。。


都道府県初の総理大臣で盛り上がってるのか。。。

2020-09-17 00:01:49 | 日記
菅自民党総裁誕生は、秋田県初っていうことでそれなりの盛り上り。
選挙区は秋田じゃないしな。
出身地は大盛り上りだけれど、この県は土地が広いのでねぇ。
「叩き上げ」とか、強調しているけれど、残念ながら大きい農家の長男みたい。次男だったらサイコーなんだけれど。
日本の職員採用文化なんて、明治時代から殆ど変わっていないし。特にコームインなんて。
文明開化というものはあったが、労働者の賃金体系なんて、職人組合的な文化がない日本は、独自に作り上げる余裕なんてなく、採用、昇給は軍隊の制度を利用せざるをえなかったとか。
そのころに「定年」とかの単語が、世間に波及。でも、今とはかなりニュアンスが違う。
新規採用に関しても、一応は学力試験はあっても出自が重視されていた。
明日の生活にことを欠くような家庭の若者より、昔から大きく農業を続けてきた家庭の若者の方が、組織的には安全だよな。
都市部以外では、農家でも名字を名乗ることが出来て、刀を持つことが出来た
農民なんて地域一番の名士だったはず。
確かに、田舎の役所職員は兼業農家が多い。
身の回りでは県出身初の総理大臣より、朝ドラにキャストされた、県出身のお笑い芸人の演技の方が盛り上がっている。

総理大臣もお笑い芸人も、明るく楽しい暮らしをおくることが出来るようにがんばれ!



やっぱりな。。。

2020-09-15 23:18:12 | 日記
今日はカミさんと息子の三人で、オヤジが亡くなってから35日っていうことで、
祭壇に手を合わせる。
オフクロはほぼ一ヶ月振りに孫の顔を見ることが出来て、一緒に摂った昼飯時も嬉しそうだった。
次の日、早めに帰宅したら「納骨って、何時にしたっけ?」と電話。うーん、昨日あれくらい姉貴と三人で今後のスケジュールを練ったことは、すっかり忘れて。。
「呼ぶ人の人数を決めてから、会食会場の予約しなければなぁ!」って。
昨日、あれくらい念押しして決定したことも忘れているし。仕方ないから「昨日、打ち合わせしたこと、すっかり忘れているべ?」とオレ。
「んだけっが?」とオフクロ。
挙げ句の果てに「また金かかるんだよなぁ!」って。
確かに年金受けとり管理は姉貴。
夕方の一番動かなければならない時期だったので冷たくあしらってしまう。
「オレたちで、何とか進めるから心配するな!って云っても、また明日になれば忘れていると思うどもなぁ」って。
ダメなんだよな!
認知症にこんなことをすれば、喪失感と不安を増大させることは理解しているつもりなのだが。。
これくらいのやり取りで済むことと、口達者の病人もプラスで介護しなければならないと思うと、他の人と比較すると、まだまだ楽してるんだよなぁ、とか。



よーやく納骨の日を決めた

2020-09-13 08:51:06 | 日記
今日はオヤジが亡くなって35日。
姉貴と今後のスケジュールを検討。
連休の来週を予定していたのだが、バッチリ彼岸なんで、27日を四十九日の法要と納骨をすることに決めた。
会食のスケジュールとか、忌明けの葉書のレイアウト、文面で大わらわ。
オフクロは「迷惑かげで悪ぃなぁ。婆さんの時って、こんな手間かかること誰やったんだべなぁ?」って。
婆さんが亡くなってから48年、あなたがしらなけりゃ誰もわからないんだけれど。
確かに昭和40~50年代は、今みたいに忌明けの葉書とか、やって無かったのでないのかなと。
弔問客のもてなし、お斎なんて隣近所が手伝うことが当たり前だったし。
多分、香典の合計と残金が合わないことは、ごくフツーだったことは想定出来る。
何とか、納骨までのスケジュールを決めることが出来たので由とするしかないよなぁ。。


月命日も過ぎ、祭も終わり、後は寒さを待つだけさ

2020-09-12 00:13:57 | 日記
故郷の祭典行事も、新型コロナウィルスのおかげ神事以外は無し。
祭典に必須な、町内の曳き山の製作責任者はうちのオヤジだった。
先月、亡くなるまで二台。
現在の激突に耐えうる曳き山の形状を作ったのは曾祖父みたい。
オヤジは国民学校が最終学歴なのだが、他の曳き山と比較して引回しがスムースに出来るよう、365日考えていた。
危険過ぎる故、若い衆は実践出来ずにいた事案もあった。
オヤジも昨年から認知症が酷くなっちゃって、祭典の日にちとか解らなくなっていたし。
先月の16日に弔問に訪れた、町内の祭典生字引のAさんが「大先輩方みんな逝っちゃって、ホントに昭和がおわったよな!」と。
そのときは、この言葉の意味の重さが理解できなかったけれど、今実感。
その昔、「人は皆、仏様になるときは死んだ時のまま」って聞いたことがある。
だとすれば、日にち、曜日、季節、家族構成も不完全な記憶で忘れたまま亡くなっちまったのはどうなんだろ?
それより、納骨のスケジュールをきちんとしなけりゃだわ。