仕事柄、工事の安全管理をする。20数年前は現場をしていたのだが、あのときと今では安全基準が
全然違う。当然、事故の発生原因を踏まえて厳しくなっている。今思えば、「あんな作業、よくやっていたよな!」いう作業方法がある。「昔、やっちゃった危険作業」が頭の隅にあるから、安全作業に関する会議をやっていても、心の中では「それくらい、事故が起きなければいいんじゃね?」とか思ったりする自分は安全管理をする人間として失格だなと。
この前の安全管理に関する会議で、隣席のAが、あたかも自分が安全管理の第一人者でルールブックみたいだ!みたいな顔をして「私が先日立ち会った工事で危険作業をしていた作業員がおり、注意をしました。危険作業と知って作業をしているのか、知らないで作業をしているのか、二種類ありますが、危険作業と知っていながら、作業するのであれば、これは何らかのペナルティが必要でしょう」と発言。「現場作業」の経験がなく、研修しか受講していなければ、受講したこと以外の作業は、皆、危険作業と判断するのは容易。事故対策として「基本動作の確認」で決着をつけていいものだろうか。下請け会社の安全教育の実施状況から判断すると、危険作業そのもの自体を作業員は理解していると思う。ではなぜ、その方法をとらないのかというと、「面倒くさくて時間がかかる」「作業員が足りない」が圧倒的に多いはず。今時、効率化が求められ時間との勝負が当たり前である。そんな状況だから「事故さえ起こさなければ、これくらいは大丈夫」の気持ちが強くなるんだろうな。
会議のあと、会社の食堂で休憩
に行った。そしたら、隣席のAもいた。あまり関わりたくないので遠くに座った。チラッと見ると、彼は携帯でメール操作を始めていた。ウチの会社は私物携帯、スマホは個人ロッカーまでとなっている。あんなに勝ち誇って安全は意識の問題みたいな発言していた輩も「これくらい、見つからなきゃ大丈夫!」ってことを平気でしている。何だかなぁ、言うこととやることが違い過ぎているんだよな。まぁ世の中、「これくらい大丈夫!」の追い掛けっこがなけりゃ、文化は進まないのかも知れない。
全然違う。当然、事故の発生原因を踏まえて厳しくなっている。今思えば、「あんな作業、よくやっていたよな!」いう作業方法がある。「昔、やっちゃった危険作業」が頭の隅にあるから、安全作業に関する会議をやっていても、心の中では「それくらい、事故が起きなければいいんじゃね?」とか思ったりする自分は安全管理をする人間として失格だなと。
この前の安全管理に関する会議で、隣席のAが、あたかも自分が安全管理の第一人者でルールブックみたいだ!みたいな顔をして「私が先日立ち会った工事で危険作業をしていた作業員がおり、注意をしました。危険作業と知って作業をしているのか、知らないで作業をしているのか、二種類ありますが、危険作業と知っていながら、作業するのであれば、これは何らかのペナルティが必要でしょう」と発言。「現場作業」の経験がなく、研修しか受講していなければ、受講したこと以外の作業は、皆、危険作業と判断するのは容易。事故対策として「基本動作の確認」で決着をつけていいものだろうか。下請け会社の安全教育の実施状況から判断すると、危険作業そのもの自体を作業員は理解していると思う。ではなぜ、その方法をとらないのかというと、「面倒くさくて時間がかかる」「作業員が足りない」が圧倒的に多いはず。今時、効率化が求められ時間との勝負が当たり前である。そんな状況だから「事故さえ起こさなければ、これくらいは大丈夫」の気持ちが強くなるんだろうな。
会議のあと、会社の食堂で休憩
に行った。そしたら、隣席のAもいた。あまり関わりたくないので遠くに座った。チラッと見ると、彼は携帯でメール操作を始めていた。ウチの会社は私物携帯、スマホは個人ロッカーまでとなっている。あんなに勝ち誇って安全は意識の問題みたいな発言していた輩も「これくらい、見つからなきゃ大丈夫!」ってことを平気でしている。何だかなぁ、言うこととやることが違い過ぎているんだよな。まぁ世の中、「これくらい大丈夫!」の追い掛けっこがなけりゃ、文化は進まないのかも知れない。