3週間前から逃亡していた、アメリカザリガニの遺体が今朝発見された。二階の水槽から逃亡して、見つかることなく今日に至った。なぜ、彼は逃げたのだろう?餌も環境も満ち足りていたはずなのだが。水槽から逃亡して、慣れない乾燥した風の中、階段を落ちて転がりながら痛みは強くなるばかりだったろう。人が何回もとおる箱の隅でひっそり息絶えていた。彼は自由を求めていたのだろうか、それと空腹だったのだろうか、よくわからない。
そんな光景はサラリーマンの姿を映し出している。「給料が安い!」「福利厚生が悪い!」と考え「こんな会社、辞めてやる!」と思いながら、日々過ごしているものの、いざ、転職、開業になれば二の足を踏む。描いた姿は今朝のアメリカザリガニと同じ光景だけ。しかし、結果は行動を起こして見なければ判らない。ネガティブな発想しか思い浮かばないということは、水槽の中でじっと天寿を全うするしかないはずである。しかし、「満足」という単語は何が見えたら正解なのか良くわからない。カピカピに乾燥していくばかりの時間に夢、希望という水分をまき続いていければ幸せに辿り着くことができるのか良くわからない。播き続ける数量を考えること自体無駄なことなのだろうか?そして運命は自分で操作は出来ないものであるのかなと思う、おっさんの独り言である。
そんな光景はサラリーマンの姿を映し出している。「給料が安い!」「福利厚生が悪い!」と考え「こんな会社、辞めてやる!」と思いながら、日々過ごしているものの、いざ、転職、開業になれば二の足を踏む。描いた姿は今朝のアメリカザリガニと同じ光景だけ。しかし、結果は行動を起こして見なければ判らない。ネガティブな発想しか思い浮かばないということは、水槽の中でじっと天寿を全うするしかないはずである。しかし、「満足」という単語は何が見えたら正解なのか良くわからない。カピカピに乾燥していくばかりの時間に夢、希望という水分をまき続いていければ幸せに辿り着くことができるのか良くわからない。播き続ける数量を考えること自体無駄なことなのだろうか?そして運命は自分で操作は出来ないものであるのかなと思う、おっさんの独り言である。