Already 三丁目は夕日

徒然なるままの些細なブログ

~からの卒業、脱出?

2013-11-26 23:33:47 | 日記
今日、職場の先輩が辞職するということで送別会に参加した。定年退職ではないが「勇退式」という横断幕。組織から抜けることに「慰労」、「勇退」とかの区別をつけていることがよくわからないこの組織。ある程度の成績、成果が認められたのであれば「卒業」なんだが。
その先輩は会社を辞めて、事業をするらしい。辞めるにあたっての挨拶で「皆様に沢山迷惑をかけてしまいました。いつかは恩返ししなければならないと思いながら、何も返すことが出来ませんでした。これからは新しい世界で成功して、元気な姿を見せることが、皆様への恩返しと思い、頑張ります。」と眼を潤ませながら語った。
心に響いた。在り来たりなんだが、どうでも良く過ごして、定年を迎えた社畜とは比べ物にはならなかったな。
自分が、この組織から脱出するときはこんなセレモニーなんて興味はない。面倒くさい。理想的なのは、有給休暇を少しずつちかいながらの「フェードアウト」。「あの人。この頃視ないよね?」「辞めたんだって。」といきたい。しかし、そんなにこの会社で存在感があるのかな?と

一方で、日曜日に故郷の方の幼馴染みが亡くなった。死因はよくわからないが、自ら人生という自己責任組織活動から自ら「脱出」したみたいだ。オレより二つ下で、小さいときから良く知っているヤツ。酒に溺れていて生活に問題があったが、そんなに他人に大きく被害をもたらすヤツではなかった。何だかスゴく空しい。両親と同居していた。ヤツはヤツなりに酒に溺れてしまった理由があるはず。それを調べもせず、過ごさせていたことって、どうなんだろうな。苦しかったんだろうな。果して、人生という苦しさから脱出できて、ヤツはあの世で酒を浴びるだけ飲めるのだろうか?オレはそう思わない。多分、中途半端にやり残したことがたくさんあるのではないかと思う。だからヤツは「中退」なんだと思う。なんだかんだ言ってもしょうがない、冥福を祈る。
人生、長くも短くも「卒業」「脱出」とある。自分はどちらになるのか時間という羅針盤しか解らないのかな。
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長距離走者は孤独ではない

2013-11-24 22:59:38 | 日記
先日、元上司が「秋田内陸100kmチャレンジマラソン」を10回完走記念と昔難儀した仕事に携わったメンバーで飲み会を開いた。元上司は今年で65歳、まだ10kmを40分を切って走る。とんでもない走力だ。「100kmマラソンは、俺のライフワークだから、何があってもエントリーする!」と言っていた。
もう今は練習時間を好きなだけとれる。練習量っていうものは、どれくらいなのか聞いてみた。
「今は月300kmくらいかな。」とさらり。そのあと、「あの容易でない仕事してた時は週末だけだったから、月は100kmくらいだったな。」と。そのあと続けて「今は仕事も無いから、完全Offは一日とるようにはしているよ。やっぱ、速度アップは筋トレに限るで!」と力説。んー、あのメチャクチャな仕事を、していたときもそれくらい走っていたとはなぁ、と関心。でも、走るとかしなければ、メンタルで参ってしまったと思う。
自分は、一週間でOffが五日でOnが二日しかないからなぁ。
100kmを完走出来なかった五年間というのは自分が部下で、あのメチャクチャな仕事をしていた時だった。そのことを話すと、「あの時はそれもあったけれど、一番の原因は手術してからあまり経っていなかったことなんだよ。決して、オメだちのせいなんかじゃなかったんだからな。」と。たしかに、この上司は癌の手術をしたあとであったことは確か。でも、どう考えても、あの仕事に携わっていなければ五年間のうち、最低でも一回は完走出来たはず。
あんなメチャクチャな仕事をしていた部下と、顔を会わせなくなってから10年近く経つのに酒を酌み交わしたい、とか言ってくるのは、サラリーマンアスリートの鑑なのかな。
自分の在籍時の功績をひけらかすのではなく、ただ、あの時に同じ思いをした、ということで、近くにいる部下と飲みたい!というのは、敬服するのみ。
閉めの挨拶で「80歳まで100kmマラソンを続けるのが、私の目標ですっ!」と言っていた。それまで、あと15回。
果たして、自分は80歳の時の完走を祝うことが出来るのか、不安になってきた飲み会であった。
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あまレス症候群

2013-11-17 15:03:08 | 日記
何だかんだ言っても、NHKの朝ドラは見てしまう。今の「ごちそうさん」は「あまちゃん」から、180°転換されて通常路線に戻ってしまったようだ。前の「あまちゃん」ように、絶対にはないストーリーで明るい展開で「ハッピーエンド」に向かい、次回に期待させるような、普通の連ドラの短縮版から、朝ドラ特有の絶対には無いストーリーで生活臭がして、人間として「どう考えるか?」を投げかけるような、高飛車な目線で製作されたストーリー展開に戻ってしまったようだ。
核家族化した現実では、帰省した時しか発生しない「嫁姑問題」を、お得意様視聴者の団塊世代向けか?核家族化を先導をしてきた故に、団塊世代以前が経験した「嫁イビリ」をデフォルメして、組み込み、それを乗り越えて、明るい家族生活をして、その明るさが他にも自然と伝播してゆく、みたいな朝ドラのポリシーが見え隠れする。朝から「嫁イビリ」のシーンの連続を見ても、元気にならない。
それとも、今の日本は「おしん」がもてはやされた、経済成長期に戻ったと、NHKは思ってしまったのか?
有り得ない展開なのだけれど、馬鹿ばかしさは抑え目にしたストーリー方が元気になると思う。
「純と愛」みたいに、息切れしてしまうのも後免だが、朝から「これでもか!」という「嫁イビリ」を見て、元気になるのは、団塊世代の自由気ままな婦女だけだろう。自分でも嫁には知らずのうちに施しているんだからな。
「人からされて、いやだったことは人にしてはいけない。」と道徳の授業で習ったはずだが、悲しいことに「人にされて嫌だったから、他人にも経験させたい。」みたいな部分もある。うーん、それが伝統というコトバのダークな部分なのか。ただ、「耐えて耐えて耐えまくった後の幸せ」みたいな根性論はきらいなだけなんだが。
オープニングの曲も、有名ミュージシャン、旬の歌い手を持ってきて、お茶を濁しているところも「なんだかなぁ?」って思ってしまう。
NHKなんだから、シチョーリツとか、かたよった取材をかき集める「物質的な二次元ホードー」を意識しないでほしいな。
もしかすると、太平洋戦争と東日本大震災を同じ扱いにしているのか。本当は辛い思い、暮らしを強いられている人びとが、まだ居るのに「禍は去りました。もう、新しくて楽しい時代を歩んでいるのです!」とでも考えているのだろうか。
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クダランオヤヂノヒトリゴト

2013-11-14 22:39:08 | 日記
相変わらず、くだらん会議、打ち合わせがスケジュールを埋めている。何も答えが出ない会議なんて、成熟出来ない組織がする作業なんだよな。会議の段取り上手、所謂仕切り屋というのが組織という枠を越えても、世の中で重宝される。しかし、仕切り屋が活躍する会議ほど重要事項を決定する会議ではない。 企業文化と片付ければそれだけなんだよな。モチベーションの低い同僚、上司に囲まれていれば、正常な意識は清浄ではなくなり、フラストレーションだけが鬱屈する。
東日本大震災以降、叫ばれ続けている「繋ぐ」「繋がる」という名のもとに組織運営を続けようとしてもいいのだろうか。繋がるというにも、上っ面だけなのか、心の奥からなのか。
繋がりの面からすると、広域で組織運営する企業は、人員流動も規模が大きくなる。大きく広くなるから、企業という組織の中では活性化を図ることは出来る。企業である故、各々の土地から利益を得ることは必須である。その土地から利益を得るためには、最低の人脈というものは必要なのだが、今の交通事情を考えてみれば、単身赴任でも週末は自宅で過ごすことが可能。ということは、企業という組織で過ごすだけでいいのである。 赴任先の文化、人びとと接することもないので、人脈の作製、強化なんて出来るはずはない。そして、成果の可否を地域のせいにする。という変な企業文化が生成されていく。
そんな既成の文化を打ち破ってきたのがイノベーションなんだが、そのイノベーションを企てる企業の殆どが、そんな内情であることは明るい明日への規制かもしれない。一部の犠牲は必要といえば簡単なのだが、本当の「繋がり」ってなんだろうって、考えてしまう。
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多数決、時代、真実、公正って

2013-11-13 19:48:53 | 日記
地方新聞の読者の声みたいな、記事が目にふ止まった。もう、いまの時代は地方新聞が痴呆新聞になりかけている感じもする。「ネット使用を前提に疑問」という見出し。年齢は80代だったような気がする。「詳しくはウェブで。」「自治体の手続きもホームページから」「ネットでしか買えないものがある」とか書いてあった。うーん、確かにそんなコピーは溢れかえっている。「自治体の手続きもホームページでしかできないのなら、無料で貸し出して教えてほしいものだ。」というところが、少し気にかかった。年齢的にいって役所の手続きとかは、余程本人が直接出向かなくても、関係を明らかにすれば、殆ど子供、孫とかが出来るのではないのかなと。マーケット的には、確かに年齢構成からすると彼らの割合は少ない訳で。こんなところで、悲しい「タスウケツ」の論理が働き、公正、真実のシーソーの均衡がこわれる。そして、少ない方の先細りの速度が早いとくりゃ、変な横文字、ウェブ重視のコピーは、バンバン世の中を駆け巡る。
人間の身の回りに有るものは、己を含めて年を重ねればしらずのうちに劣化する。それに比べて知識というものは習得してから劣化する速度は遅い。しかし、時代というものは容赦なく習得しなければならないものは増え続けさせる。習得することが、体力的にダメなのか、経済的にダメなのか、受容というコトバを棄てたのか、死ぬまでの時間の過ごし方は変わってくるのだろう。人間主体のつまらない時代の繰り返しなんだと思う。
ホントの80代で こんな解りやすい投稿が出来るのであれば、少し頑張れば手続きなんてすぐに出来るず。まぁことを並べるなんて、オレも釣られたもんだなと。
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