毎年、五月中旬から末にかけて庭の「エビネ」が可憐な花を咲かせる。
この花を見ていると、五月病とか、中弛みみたいに印象が悪いような月に良く頑張って咲いているのだなぁと思う。自分としては子供が誕生したり、新居への引っ越しをした月だったり、かなり重要な出来事があった月である。数年前はメンタルになって休み始めた月も五月であった。最近は「ナニかやり残したような気分」を鬱屈させるのが五月である。この世に産まれおちてから40年以上過ぎ、過ぎ行く時間にココロ惑わせられることなんて、微塵も考えなかった20代が嘘のような気がする。そして今になって「今日一番の宝は、明日は粗大ゴミになるかも知れない。」という思いが段々強くなってきた。20代の頃に良く思っていたことそれは自分に嘘をつきながら流されることが真実なのかという疑問の答えが、朧気ながら見えてきたような気がする。若い頃は「真実」と「事実」の違いが解らなかったということを。そう「事実」はそれ以上のものでもなく、それ以下でもない。一方、「真実」はそれ以外ではなく、時には残酷であり、異常なものにもなりうるものである。だから人は悩み、傷つくものなのだなと。人を産むのも人であるし、殺してしまうのも人である。ココロは片方では人を愛し、片方では人を憎む。鏡の中みたいな空間が人生なのかなと思うが、映す中身が段々薄くなってしまってきている。「エビネ」のように冬はじっと葉を枯らすことなく、春一番に新芽を出し、桜等の春の花々が散り果てた季節に咲くような、人生でもありなのかなと思う、金環日食で日本全国が俄か天文マニアが増えていた5月の週に。
この花を見ていると、五月病とか、中弛みみたいに印象が悪いような月に良く頑張って咲いているのだなぁと思う。自分としては子供が誕生したり、新居への引っ越しをした月だったり、かなり重要な出来事があった月である。数年前はメンタルになって休み始めた月も五月であった。最近は「ナニかやり残したような気分」を鬱屈させるのが五月である。この世に産まれおちてから40年以上過ぎ、過ぎ行く時間にココロ惑わせられることなんて、微塵も考えなかった20代が嘘のような気がする。そして今になって「今日一番の宝は、明日は粗大ゴミになるかも知れない。」という思いが段々強くなってきた。20代の頃に良く思っていたことそれは自分に嘘をつきながら流されることが真実なのかという疑問の答えが、朧気ながら見えてきたような気がする。若い頃は「真実」と「事実」の違いが解らなかったということを。そう「事実」はそれ以上のものでもなく、それ以下でもない。一方、「真実」はそれ以外ではなく、時には残酷であり、異常なものにもなりうるものである。だから人は悩み、傷つくものなのだなと。人を産むのも人であるし、殺してしまうのも人である。ココロは片方では人を愛し、片方では人を憎む。鏡の中みたいな空間が人生なのかなと思うが、映す中身が段々薄くなってしまってきている。「エビネ」のように冬はじっと葉を枯らすことなく、春一番に新芽を出し、桜等の春の花々が散り果てた季節に咲くような、人生でもありなのかなと思う、金環日食で日本全国が俄か天文マニアが増えていた5月の週に。