Already 三丁目は夕日

徒然なるままの些細なブログ

夫婦喧嘩は犬も喰わず

2011-05-31 22:44:16 | 日記

画像のエビネもそろそろ終わる季節となった。
今日も、オフクロからオヤジと喧嘩したとケータイに電話あり。確かに、オヤジは脳卒中を患ってからは精神が不安定。確かに職人で60年強頑張った体の一部が不自由になったのだから。もう8年くらいになるのかな。リハビリは続けており、日常の身の回りのことは殆ど出来るが、キモチ的にはダークブルーのままである。時々、私たち娘夫婦、孫の顔を見れば少しは気がブルーまでは戻るらしいが、スカイブルーには程遠い。毎日、オフクロが家から離れることを拒み続けているとの愚痴の電話だった。これでは、オフクロも参ってしまいそうだ。オフクロもクモ膜下出血から復活して看病をしている事情もある。年を重ねれば子供に戻るということをそのまま目の当たりにしている。ホントは同居していれば、いくらかは和らげることができたのかもしれないが、二人の病人を看なければいけない、カミさんを考えれば、今の状態となってしまった。世間のデータどおり、大きな病気を患ってからネガティブなキモチに陥る状態は夫婦のうち、夫が高いという値を実感する。
翻って、自分がそのような事態に陥ればどうだろうか?こんなオヤジみたいになりたくないと思うのだが、最近、オヤジに似てきた自分がつくづく嫌になる今日この頃である。あさってあたり実家にいかなくちゃなぁー。オフクロのガス抜きでもしてやんなきゃな、と思いながら床に就く。
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禁じ手ってあるのかな?

2011-05-30 21:43:18 | 日記

その昔、労働組合の機関紙の編集をしていたことがあった。毎週水曜日発行で2年間×2で、延べ4年間殆ど毎週発行していた。編集委員とは名ばかりで、殆ど一人で編集していた。メイン記事の内容は責任者が書いたものを校正しながら、編集していた。機関紙の編集には「ハラキリ」「泣き別れ」等のレイアウト上の禁則処理があったが、ついつい急いで作成するとやってしまったこともしばしば。それが、印刷してから気付くことが多かった。ところで、ブログというものは禁則処理があるのかな?とふと思ったりした。レイアウトは殆ど決まりきっているから無いのだろう。当時、良く言われたのは「見出しが勝負」といわれた。東スポを見る限り、このことが一番重要であると思う。だから、手書き+ワープロで作成している時は、見出しだけは手書きでやっていたりした。手書きの方が柔らかなインパクトがあったような気がする。パソコン化してからは、ある程度、字体が決まっているので、よほどのインパクトがある言葉を並べなくてはいけない。しかし、機関紙クラスではそれをやりすぎれば、うそつきな紙面に近づいてしまう。確かにブログの見出しも、時事にあったものにすればランキングアップするようだが、あくまでもブログなんで、そこまでは考えないようにした。その昔、春闘妥結の金額のコンマの位置を間違えたまま5,000円(正)→50,00円(誤)で見出しを間違ったまま発行したころもあったなぁ。
春闘時は毎日妥結まで、A4版でありながら毎日発行していた。サービス残業問題、パワハラ問題等のダブルスタンダードの狭間で苦しむのは末端の組合員である。ある程度のポストについた役員は外郭団体へ再就職できるスキームがある。そう、それは階級闘争をしていた時代は一番嫌っていた上流組織構成員になることが、日常茶飯事となっている。今、労使協議の環境がある組織は、就業規則もきちんとしているところが殆どだと思う。バブルが弾けた時点で、賃金闘争から条件闘争に政策転換をした方が、結果論ではあるが、非正規社員組織化、底辺拡大を図ることが出来たのではと思う。上部ポストに就くほど勘違いしやすい。いや、麻痺なのか。ま、いいかそんなこと。人間出来ることしかできないのだから。そして、分岐点に差し掛かったら、進める道しか人間は選ばないものだと。
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スポーツ少年団?クラブチーム?

2011-05-29 22:22:05 | 日記

相変らず、毎週土日は娘のスポーツ少年団、略してスポ少の練習試合が組まれる。子供が好きなこと故、親は自分の時間を削ってでも協力する。自分が子供の頃もそうしてもらったのだから。自分のころは小学校でも部活動と称して、学校の名誉のため、生徒、センセが一致団結して頑張っていたような記憶があるが、今では、センセがノータッチなのだな。確かにロードー条件の低下等の理屈もあるだろうがね。それに代わって、スポーツ大好きなオッサン、オバサンに頼りっぱなしの「スポ少」が躍進してきた。監督、コーチは自分の仕事を持ちながら、子供たちの教えているわけで、ボランティア以外の何者でも無く、試合会場への送迎、土日の練習の手配は保護者が行わなければならくなった。これが結構キツく、「金」さえ預ければある程度のレベルまで引き上げてくれる「クラブチーム」に親たちは流れていく。
そして、試合である程度の成績を残さなければならない「クラブチーム」の経営者!は、他の「スポ少」から引き抜きにかかったりする。これが監督等を含めた指導者間で軋轢を生む。
昨日のウチのチームの監督と酒を酌み交わす機会があったが、基本的には学校単位で進めている「スポ少」よりこれからは地域に関係が少ない「クラブチーム」で進めなければ、全体的な向上には繋がらない、と話してくれた。しかし、地域の連帯を考えれば、学校単位の方が理解しやすいような面もある。金になる、ならないは別として、熱い情熱を継続していかなければ出来ないことなのだなぁと思った。仕事以外で熱くなれることがあるということは、サラリーマンとして退職後を考えれば重要なことだな、と思う今日この頃である。
来週も大きな試合がある。弱小チームではあるが、他のチームから油断ならないチームに育ちつつある。娘も今年は最終学年なので、親の好きなことは我慢をしなければならないなと。
来週の今頃は嬉しい日記になることを祈りたい。
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生命・運命って・・・

2011-05-28 15:09:06 | 日記
最近、結婚披露宴に招待されていない。5年くらいたつのかな。職場には若いもんが入ってこないし、イトコたちは済んでいるし、甥、姪はあと一息といったところか。一息については年齢もあるが、20代後半になるものの経済状態がイマイチという現実から、踏み切ることが出来ないでいるのかも知れない。
代わって、増えているのは葬式ばかりである。確かにある程度の年齢になると、周りも同じく年を重ねているわけだけだから、各々の寿命に近づいているという決定的な事象があるのだけれど。ある程度の年齢で亡くなられた場合と、病気、不慮の事故等で亡くなれた場合は、出席する時の気持ちも全然違うんだよな。幸い、両親は一部分不自由な箇所が発生しているものの、元気でいる。年齢構成からいけば、子供が親を看取るというのが自然の流れであろうが、順番が逆になる場合だって考えられる。まして、こんな余震が続いている時代であれば。
出会いは偶然、別れは必然。いつかは愛する人を送らなければいけない。人は三度死ぬと聞いたことがある。一度目は肉体がなくなること、二度目は知り合いの記憶から無くなること。三度目は愛された人の記憶から無くなること。三度目を経て、やっと死に辿り着くといった話であった。命を考えた場合、生まれたその瞬間から、命の砂時計って動き始めているんだよな。もしかすると自分が思っている砂時計の速さより早い場合だってある。そんな時は誰しも「運命」ってコトバで簡単に片付ける。しかし、受け止めるには、結構時間がかかってしまうものだ。
カミさんの母の従妹が亡くなられ、月曜日に葬式となった。長い間、癌と闘病の末だった。お子さんもいなく、両親は3年くらい前に亡くなられた。旦那さんはマスオさんだったので、これから一人で暮らしていくにはかなり大変なんだろうなと思う。「運命」ってコトバで片付けるには、どうなんだろうかな。
そして、カミさんの父はなぜか死亡届等の提出やら、葬儀のお知らせやらで忙しく動きまわっているようだ。本人とは血縁的には関係ないのだけれど、身近な人の死というものには、そんな理屈は通じない。あまり若くもないから、逆に心配である。一昨日、横浜の弟を見舞に行ってきたらしいしね。
運命は受け止めるものでもあるし切り拓くものでもある。自分の予想が外れた時にだけ使うことは止めなければいけないと思う今日この頃。
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Readerを購入して2ヶ月

2011-05-27 21:53:41 | 日記

SONYの電子書籍を購入してから2ヶ月たった。ホントはGALAPAGOSが欲しかったのだが、懐具合と購入できる書籍数で判断してReaderにした。震災の後だったので、手元にすぐ入ることも条件の一つであったけれど。
前の職場では出張が多くて移動時間が長く、読書をする機会が多かったのだが、今の職場に移ってからは読書の回数もめっきり減ってしまった。Reader購入後は、前の読書をする時間があった時より、読んでいるような気がする。オプションのブックカバーではあまりにも無機的なので、アジア雑貨店から購入したブックカバーにしてみた。
まだまだ、電子書籍市場は縛りが多いような気がする。規則というものは、人間が作るものであるので、人間のライフスタイルが変わっていくのであれば、規則というものはそれに則り、変わっていくものが規則ではないものかと思う。
読んでいるものはというと歴史物くらいだが、気持ちが滅入ったときは、ニーチェを読んで少し慰める。そんな気軽さがいい。しかし、ずっしりと読み応えがある本はちゃんと購入はしている。全てデジタル化には抵抗がある。自炊はしてみたいが、二の足を踏んでいる状態かな。

九州地方では梅雨入りしたよう。震災前の、日本海側の東北地方の大雪は天災としてかなり住民にダメージを与えたわけだが、住民でさえもあのダメージを忘れてしまっている。一晩で2mも積もったことなんて。「人知を超える」ことは、通常、起こっているのである。それをどう捉えるかで対策は変わってくると思う。所詮、人間は自然の中で生かされているのだから、過去を踏まえて対策を考えていかなくてはいけない。個人的には、日本海側活断層空白地帯の動向が気になる。震災3ヵ月後.....という情報が気になるところだ。何も無ければそれにこしたことは無いがねぇ。
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