何を書いても正しく表現できないような気がするのだが一応。
91歳を迎えた指揮者を聴きにサントリーホールへ。
この指揮者はもっともっと厳しい音がしていたと思う。この日指揮者は急速に齢を重ねた印象があり、左右のバランスが悪く、指揮台までが遠い印象。心なしか指揮が小さく肩から上に腕が上がらないようにも思われた。
7番の第1楽章からの指揮台に左手を置く仕草や2楽章で1度だけだと思うが咳き込む姿・・・。このあたりから音楽は飛躍的に生気を帯び始める。
ベト7はなんとなくあざといというのは言い過ぎか?
秋のジーンズ開始9月9日でハイドンとブルックナーの9番。
ブルックナー最後の交響曲は組み合わせが難しいであろうから語呂合わせ的ではあるが興味深いプロではあった。
ハイドンだけを聴いていられたらどれだけ幸福だろうと思う事があるが、チェンバロを加えた演奏は残念ながら幸福感や愉悦感は薄くハイドン演奏の難しさが残った。
一方のブルックナー。
このところ演奏頻度があがっているのか聴く機会が多い。
読響定期も9月、10月と続くことには苦言を呈しておく。
一頃の拒絶反応なものが薄れたのは慣れなのかもしれない。
ここのブログがサービスを停止するらしいので近いうちにお引越。
サントリーホールについてまず目に留まったのは、ブルゴスの訃報。
ブルゴスは何度か聴いているが最も印象的だったのは、80年代の「カルミナ・ブラーナ」。面白さでブルゴス上回ることはないのだろうか。。。
この日も新国合唱団は見事な演奏を聴かせてくれたが、一部ソリストが不調で大変残念。重唱部ではほとんどアンサンブルになっていないことも。カリニャーニは歌手に自由に歌わせてもよかったのではないか。やや窮屈そうだった。グランカッサは違和感あり。
「アトランティダ」を聴いて寝ます。
古楽系の演奏会は極力避けてきた。
敢えていうなら、研究により音楽学的に正しいと考えられる事の実践が演奏会という場には相応しくないといったことだろうか。某ピアニストは怨我苦と表記していたと記憶するが、コンサートホールに響く古楽は楽しいと感じることが少なく、いつしか古楽は聴衆を必要としないと考えるようになっていた。
しかし、結成記念演奏会を迎えたこの合唱団の演奏は大げさに言えば、日本の古楽がここまで来たという印象を強く受けた。イタリア・バロックに特化したというのも有難い(個人的にイタリア音楽史は初期バロックのあとは、プッチーニとなっているので)。
苦言を呈しておくとすれば、Cb椅子の軋み。
プレーヤーがあれだけノイズを出しては・・・。
30日はオペラシティーへ。
注目のソプラノではあったが、残念ながら出来はあまりよろしくない。
声はよくコントロールされていたのだが、小さく纏まりすぎたのか、
リートを聴かせる域にはないように思われた。
これは、伴奏が巧すぎる、饒舌すぎるというのも一因であろう。
メストレと互角に渡り合うというにはまだまだといったところか。
次回は、オペラに期待しよう。