白いノート~アラフィフ南天の備忘録

50代半ばを過ぎました。日々気づいた事を忘れないよう書き留めていきます。

入院中の支援

2017-12-28 21:46:08 | 介護の仕事

気がつけば28日。大掃除もほとんど手をつけていません(-_-;)

やったのは換気扇とトイレくらい。←コラ!

8月から関わっていた利用者さん。

その頃は、歩くこともできたし、『よろしくお願いします』という外向けの言葉も言えた。

認知症進行の予防、機能低下予防の為、デイサービスを体験するも

本人、ご家族共に乗り気ではなく、介護保険サービス利用には繋がらなかった。

『お父さんはまだ若い。あんな年寄りの行く所はかわいそう』と。(77歳)

それでも毎月顔は出していて、デイ利用を勧めるわけではないのだけど

行くたびにご本人さんに嫌な顔をされた。

11月になって、どんどん歩けなくなって行き心配されたご家族から相談を受けた。

通っている整形の看護師さんから『訪問リハビリを勧められた。うけさせてみたい』と。

訪問リハを週2回、30分ずつ受けても、残りの週5日を寝て過ごし、リハの日も残りの時間を寝て過ごしていては歩けるようにはならない。

そんな話もしたのだけど、やはりデイは本人が嫌がるので・・・と。

では、訪問リハの方向で・・・と動き出した矢先、救急搬送。

11月下旬から、救急搬送⇒自宅帰りを3回繰り返すようになり・・・

とうとう入院となった。年末年始は病院で過ごされる。

娘さんがおっしゃる『あの時・・・・デイに行っていればここまで悪くならなかったかな』と。

全ては結果論。

こうなる事は誰もわからない。予測はしていても。

あの時、もっと強くデイを勧めていればよかったのだろうか・・・・

上司や先輩は言う。

『本人も家族も困らなければわからない。

上手く行けばいいけれど、上手く行かなかったらケアマネが無理やりデイを勧めた!となる。

だから、これはこれでいい。打つべき手は全て打ち、最後に決めるのは本人、家族』と。

退院は1月。日程は未定。

要介護4.認知症の症状も進んでいる。

医師は在宅で看るのは大変と言っているが、家族は在宅を希望している。

今日は上司に同行してもらい、その辺りの話をした。

上司はきっぱり『家で介護したい!と思っているなら、やり方はいくらでもあります。

正直お金はかかります。でも施設に入るよりはかからない。退院が決まったら、考えましょう』

上司の説明は説得力があり、愛情もあり、信頼もおける話だった。

 

 


風邪薬とか・・・

2017-11-23 21:14:14 | 日記

春先から喉のつかえを感じていて

胃?

それとも

食道?

と疑い、胃カメラまで挑戦したけれど

おそらく、これは自律神経の乱れだろう、との事で心療内科で漢方薬を処方してもらった。

母の認知症は進行しており

時間の見当識はすっかり損なわれている。

こちらが言った事を理解する事も困難な時があり、曲解して受け取る事も多い。

仕事は薄皮を剥ぐようなレベルで慣れてきているが

やはり、人生の最終コーナーを支援するケアマネ業は、精神的に負担の大きい仕事だと思う。

事業所に恵まれ、丁寧に教えていただいているのだけど

自分の頭と身体がついて行かない。

自律神経の乱れは、きっと・・・・

その辺りが原因なんだろう。

今日は、母はデイに出かけ

私も久しぶりに予定がひとつもなかったので

一日中家の中でゴロゴロしていた。

風邪の引きかけの身にはありがたい、曇り空の休日。。。

 


思わず笑ってしまった

2017-09-21 22:36:57 | 認知症の母

先週、

、デイサービスでコーヒーをこぼしてしまい、ズボンをお借りして帰宅した。

今日、母のデイサービスの荷物を見たら、お借りしたズボンが入っていた。

そしてこんな添え書きをしたメモも。

『先日はありがとうございました。お恥ずかしい品ですがどうぞ』と・・・・

 

 

母がお礼として渡そうとした品物は・・・・・

 

 

 

洗濯ネット。

 

 

『貸してくれたのは、個人ではなくデイサービスだから、こんな事しなくていいんだよ』と

話し、お手紙も洗濯ネットも荷物カバンから出した。

 

認知症の母にとって大切な物?は

ビニール袋、割り箸、洗濯ハサミ、S字フック、そして洗濯ネットなのだ。

私が買っても買っても・・・・買っても・・・・・

なくなってしまう。

母が、見つけた都度押し入れや自分の箪笥にしまいこむせいだ。

大事な物なんだね。


実はね

2017-09-01 22:14:29 | 認知症の母

見慣れない番号からの着信。

?????

大抵はとらないのだけど、とってみたら・・・・

今は亡き実家のお隣のおばさんからだった。

実家の裏には、甥っ子が所有している家があって

おばさんは、甥っ子と連絡を取りたがっていた。

甥っ子とは、実家のお墓の事で私の姉が喧嘩を吹っかけて以来音信不通。

それより、アンタお母さん元気?と聞かれ・・・・

私『はい。身体はね。でも認知症になってしまいました。

きっとおばさんの事は覚えていると思うけど、同じ話を何回もすると思う。』

おばさん『あーそう。。○○さんはね、一人暮らしができなくなって老人ホームに入ったよ。お母さんは?家でみとるの?』

私『はい、家にいます。』

聞けば、おばさんは今一人暮らし。おじさんは4年前に亡くなったのだそうだ。

物心つく頃から、おばさんには本当に世話になった。

同級生の幼馴染がいたので、朝早くから夜遅くまで、よく遊ばせてもらった。

幼馴染が小学校へ庭のお花を持って行く時は必ず私の分の花束も用意してくれた。

おばさんの家には、おじさんの妹で知的障害の子がいた。私より20歳くらい上。

おばさんは、旅行も遊びもできなかった。

毎日、その子のお世話をしていた。

『自分しかできない事。』おばさんは誇りを持ってそう話していた。

でも、今のように支援する施設もなかった時代、大変だったと思う。。

実家を人手に渡し引っ越して20年。

懐かしさでいっぱいになって、『おばさん!今度会いに行っていい?』と聞いた。

おばさんも、『おいで。おいで。誰もいないから』と。でも・・・・

20年間で初めて連絡をしてきた理由は多分・・・

老朽化した甥っ子の家が何か近所迷惑になるような事になっているのだと思う。

首を突っ込むなよ!という点滅信号。

嫌な歳のとり方をしたな、私。

 


行く夏

2017-09-01 22:08:23 | 認知症の母

9月になりました。

この夏、一番の・・・というか唯一の思い出。

母が認知症になって、旅行ができなくなりました。

母を残して出かけるのは仕事の時だけ。

花火大会の日、思い切ってショートに預け、かつての仕事仲間と一緒に花火見物。

その後、深夜まで話し込み。楽しかったです。

4人がそれぞれ違う職場になり、昔話などを。。。

翌朝、朝食を食べた後、皆それぞれに薬を飲む。。。

歳です(-_-;)