旅情詩人・川瀬巴水の木版画~本文内容とは関係ありません
1905/M38年 前年 父・案山子を看取った卓は上京する
妹の槌も子供らと少し前に上京 夫・宮崎滔天と共に住む(現・新宿区)
滔天は "アジアの国々が欧米列強の侵略・支配の軛から逃れる為には
もっと強い中国が必要である”と考えていた
そんな時 清王朝打倒を図って失敗 日本に亡命して来た孫文と出会い
"彼こそ革命中国の中心となる人物である"と滔天は確信する
そして彼を自分の家に匿いながら 犬養毅ら政治家を紹介 孫文たちが
日本を拠点に活動できるよう力添えした
当時 日本には清王朝打倒を目論む中国革命派グループが幾つかあった
孫文の「興中会(こうちゅうかい)」 黄興(おうこう)の「華興会(かこうかい)」
章炳麟(しょうへいりん)の「光復会」(こうふくかい)・・・
この年の夏 これらグループにより「中国同盟会」設立 活動拠点となる
同時に「民報社」も設立され 機関誌「民報」を発行することも決まった
ここに至って ようやく卓の出番がやって来る
参考:「中国同盟会」に関する情報 孫文の革命は東京から始まった
上京した卓(37歳)は人からの紹介で民報社」に住込で働く(飯田橋駅近く)
編集室の壁には 「平等居」の額が掲げられていたという
とはいっても仕事は編集作業ではなく、ここに集まる同志たちの世話係
女中3人ほどの指揮をしながら 自らも活動家や学生らの世話を焼く
分け隔てなく平等に接し 「民報のおばさん」として誰からも慕われた
編集長?の宋教仁は 黄興の右腕だった人
その彼が 痛む座骨の摩りや膏薬貼り等々 卓への感謝を書き残している
(彼の日誌には 前田氏 と同士仲間と同じ表記の仕方になっているという)
とにかく卓さん 快活で所作も素早く面倒見がよく
「民報のおばさん」として誰からも慕われたようだ
また おばさんとしてではなく 危険な仕事も引き受けている
商人姿で中国への密航を企てる同士を 卓も商人のおかみさんに変装
神戸港まで送り届けたという
中国同盟会で 革命の旗の柄模様が議論ばかりでなかなか決まらない
卓が身に着けたばかりの腰巻を外し "これを使ったらどうです?”
それで旗色と柄が決まったというエピソードもある
・・・とにかく 「草枕」の奈美さんとはだいぶ違う卓おばさん像
今日はここまで 明日またお会いしましょう
[Rosey]