1928/S03年 講談社から「婦人倶楽部」2月号が発売された。(上掲画像)
漱石の没後12年ほど経った頃である。
目次に、名作「草枕」に絡はる文豪漱石の初戀物語、の赤文字。(下記画像)
この記事内容を入手できなかったので、安住恭子著書から超要約摘記する。
”漱石先生の一生に一度の秘められたロマンスがあった。
相手は「草枕」那美さんのモデルとされる前田おつなさん。
先生は艶やかなおつなさんを訪ねて何度も湯の浦に通い、
奔放なおつなさんを一途に慕った・・・”
「草枕」の内容を引用して、その殆どが雑誌記者の興味本位の創作だった。
事前取材に来た雑誌記者に卓はこう話したという。卓すでに60歳。
"そんな若い頃のことなど覚えてません。先生と会ったのは数えるほど。
それに小説は小説、那美は那美、私は私。古い話を出されても困ります。"
卓は、雑誌の予告を見て不安を感じ、掲載を見合わすよう申入れた。
にも関わらず雑誌発売・・・漱石夫人(鏡子)も「迷惑千万」だと怒った。
怒るだけで済まさないのが卓、周囲の反対を押し切り出版社を訴える。
同じような被害を出さない為、というところが卓らしい。
結果、双方の弁護士で示談、雑誌に謝罪記事を載せることで決着。
その後、「婦人倶楽部」から同種記事が殆ど消えたという・・・卓さん、流石!
余談だが、漱石没後も卓は夏目家へ出入りした。
上記雑誌の事件後、鏡子夫人と娘婿松岡は「漱石の想い出」をまとめる為に、
熊本と松山を旅行・・・熊本では、小天や市内の旧居・五高を訪ねた。
それを知って、卓が知り会いに連絡、小天での案内を頼んだという。
上掲の本には、「草枕」には無い関係者の話も載っていて興味深い。
が、それらは改めて書くこととして、今日はここまで。
それでは明日またお会いしましょう。
[Rosey]