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東京市養育院巣鴨分院での児童の遊戯~渋沢史料館所蔵
熊本へ帰る前、卓は民報社の住込みをやめて近くに家を借りていた。
異母弟の覚之助と利鎌らを呼び寄せ、一緒に暮らすためだ。
清国の革命も支援し家族も守る、どちらも卓にとっては大切なこと。
卓が弟らを連れて東京に戻った時、すでに民報社は解散していた。
父の遺産は、革命や槌一家の生計支援に底を尽きかけている。
新しい仕事口を探して働かなければ・・・。
【卓 保母さんになる~1910/M43年】
東京市養育院巣鴨分院・・・卓42歳の新しい勤め先で、仕事は保母。
養育院の設立者は渋沢栄一。彼は私財を投じて福祉施設の充実に取組んだ。
分院内には幼稚園・小学校も併設されていた。
この分院で8年間 卓は母親代わりになって孤児たちの世話をする。
孤児たちは小学校を卒え丁稚奉公に出て、休みの1月の藪入りだけ帰院。
分院では藪入り会を行って盛大に子供たちを歓迎したという。
孤児らは大人になっても院を訪れ 母親と同じように慕われたと卓は語る。
【辛亥革命~1911/M44年】
秋、清国各地の中国同盟会が武装蜂起、民主政府の独立宣言が相次ぐ。
清王朝が崩壊、翌年1月、孫文が臨時大統領となって中華民国成立を宣言。
記念の式典に卓も招待されたが、行くことができなかった。
仕事と日々の暮らしのため 旅費が工面できなかったからである。
【利鎌を養子にする~1915/T04年】
利鎌が一高入学 それを機に卓は彼を養子とする。
革命会で最も親しかった黄興の助言に従ったという。
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前田利鎌(とがま) 黄興(こうこう)
翌年、利鎌が縁となって卓は漱石に再会、話は長くなるので明日に回す。
それでは明日またお会いしましょう。
[Rosey]