辛亥革命記念博物館 by cc4.0
今日から宮崎家のシリーズを始める。中心人物はやはり宮崎滔天だろう。
まずは、NDL「近代日本人の肖像」に載っている主な関係人物の紹介から。
その行動や交友の範囲は広いが、まずは若い頃の出会いから始める。
【教会での出会い~1889/M22年 滔天18歳】
この頃、滔天は長崎市大浦の基督教学校に在学中。
或る日、滔天は出島の教会へ礼拝に行く。
そこで、油紙の合羽で裸足の、老齢の「舶来乞食」(滔天の言葉)と出会う。
「パンをくれ」と言う乞食に、宣教師は小銭を与える。
「君はこれを喰うのか。喰えるなら食って見せてくれ」
興味を惹かれた滔天は老人の住む廃屋を訪ねる。
名は「イサク・ベン・アブラヒム」、ヨーロッパから来たアナーキストだった。
「自然の外に宗教なく法律無く道徳無し」
「現社会を破壊して無政府の世界とし、私有権を無くして共有とする」
「通貨・商売を廃し、物々交換の世紀に返し、世界を共夫共妻の一家とする」
「万民を農夫たらしめ太古の民に返す」・・・ほんとに過激!
イサクはスウェーデン生まれ、渡米して事業に成功、財産を貧民に分け、
近代文明に毒されない国を探して世界放浪、長崎に流れつく。
長崎では廃屋に住み、「鏡・鋏研ぎ師」としてその日暮らしを送っていた。
元祖ヒッピーのようなイサクに眼をつけたのが、長崎製糞社。
彼の徹底した思想と実践に感心し、彼を講師とする学校作りを思いつく。
そこで熊本の民権活動家の前田案山子の息子下学に声をかけ、彼も賛同。
滔天が通訳として小天へイサクへ連れて行くことになった。
小天でのイサク、畳敷きの部屋を拒否、家の中も裸足で歩き回る。
そこで、前田家の近くの農家を提供したが、便所の使用も拒否。
畑の一角を彼の野糞のために確保した。
差し当たっては村の子供達に、英語を教えることになった。
物珍しさも手伝い、最初は二十数人の子らが集まる。
その子らにもイサクが野糞を強要し、次第に寄り付かなくなった。
イサクの奇矯な振舞いはさておき、滔天はこの時、大恋愛をする。
その話は既にどこかで載せたが、次回、改めて新しい情報と共に紹介する。
それでは明日またお会いしましょう。
「Rosey]