書の歴史を臨書する

古今の名磧を臨書、最近は米フツ。
時折、気の向くままに漢詩や詩、俳句などを勝手気侭に書いております。

百人一首 文屋康秀

2010-06-05 07:37:47 | Weblog
吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風をあらしといふらむ

珍しく恋気の無い歌が出てきた。

文屋康秀(?~?)
六歌仙の一人。
中年になるまで地方廻りの身分の低い役人だったと言う。
二条后の元で小野小町や紀貫之などと交流があり歌人としては著名だったようだ。
子の朝康も歌人として知られ、親子共に百人一首に撰がある。
貫之は彼の作風を「商人の衣着たらむがごとし」と評してる。
康秀が三河国赴任の際に小野小町に「一緒に三河まで行きませんか」と誘ったが小町は、
「わびぬれば身を浮草の根をたえて誘う水あらばいなむとぞ思う」と答えている。
これは好意的な意なのか、やんわりと断ったのか。
当時、この歌のように嵐という文字を山と風に分離させたて歌に読み込む離合詩が流行していたようだ。