書の歴史を臨書する

古今の名磧を臨書、最近は米フツ。
時折、気の向くままに漢詩や詩、俳句などを勝手気侭に書いております。

小式部内侍

2010-06-22 08:30:46 | Weblog
大江山いくのの道の遠ければまだふみもみず天の橋立

あの大江山や生野の向こう、母の住んでる天の橋立へは行ったことも無いし、母からの手紙さえも貰ったことも無いのよ

小式部内侍(?~1025)
橘道貞と和泉式部の娘。 母と共に中宮彰子に仕えた。
母同様恋多き女流歌人で、藤原教通・藤原定頼・藤原範永など多く貴族男性との恋で知られる。教通との間には静円、範永との間には娘をもうけている。 
この歌は、当時、小式部内侍の歌の余りの見事さに母和泉式部が代作しているのではという噂があり、四条中納言がこれを種にからかった際の返歌とされる、
当意即妙な巧みな返歌に対し四条中納言は狼狽し返歌も出来ず大恥を掻いたという。
20代の若さで死去した。 この際に母の和泉式部が詠んだ悲痛な歌が残っている。

とどめおきて誰をあはれと思ふらむ 子はまさるらむ子はまさりけり 和泉式部