書の歴史を臨書する

古今の名磧を臨書、最近は米フツ。
時折、気の向くままに漢詩や詩、俳句などを勝手気侭に書いております。

相模

2010-06-27 08:38:02 | Weblog
恨みわびほさぬ袖だにあるものを恋にくちなん名こそ惜しけれ

あの人はつれなく去っていってしまったのに浮名だけがだんだん広まってきてしまってとっても口惜しいわ 

相模(?~?)
中古三十六歌仙の一人。実父は不詳、母は能登守慶滋保章の娘。継父の摂津源氏・但馬守頼光の養女。
相模守大江公資に嫁ぎ、相模と呼ばれるが後にと離別。その後、歌人として名高い中納言藤原定頼との恋愛が伝わっている。
歌人としての彼女の名声が高く、
和歌六人党と呼ばれる藤原範永・平棟仲・藤原経衡・源頼実・源頼家・源兼長などのリーダー格であったという。 また能因法師・和泉式部・源経信などとも交流があった。
代々の勅撰集に多くの歌が選ばれている。