2014年2月22日にウクライナではビクトル・ヤヌコビッチ大統領がクーデターで排除されている。このクーデターが始動したのは2013年11月。
ウクライナのオレグ・ツァロフ議員が議会で行った演説によると、クーデター計画は11月14日と15日に話し合われ、NGOがその手先として動くことになっていたという。ソーシャル・ネットワーキングを使って世論を誘導し、組織的な政権打倒運動を展開しようと目論んでいると同議員は主張していた。
実際、ツァロフ議員が議会で演説した翌日にユーロマイダン(ユーロ広場、元の独立広場)で抗議活動は始まるが、当初はカーニバル的なもの。EUは話し合いで解決しようとするが、そうした方針に怒ったのがアメリカのジェオフリー・パイアット大使やビクトリア・ヌランド国務次官補。ヌランドはEUの遣り方が手ぬるいと不満で、「EUなんかくそくらえ」と口にしたわけだ。そして、パイアット大使やヌランド次官補を中心に、抗議活動は暴力的な方向へ誘導されていく。ヌランドはヒラリー・クリントンと親しい。
ヌランドがEUを愚弄する言葉を口にした会話の音声は2014年2月4日にインターネット上へアップロードされている。合法的に選ばれた大統領を暴力で排除した後に作られる次期政権の人事がその会話では語られている。その中でヌランドが強く推していた人物がアルセニー・ヤツェニュクで、クーデター後、首相に選ばれた。
その音声が公開された頃からキエフでは暴力が激しくなるが、その中心にいた集団はネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)で、2月18日頃から棍棒、ナイフ、チェーンなどを手にしながら、石や火炎瓶を投げ、ピストルやライフルで銃撃を始める。ネオ・ナチは広場へ2500丁以上の銃を持ち込んでいたともいう。
当時、広場をコントロールしていたのはネオ・ナチの幹部として知られているアンドレイ・パルビー。この人物はソ連が消滅した1991年にオレフ・チャフニボクと「ウクライナ社会ナショナル党(後のスボボダ)」というネオ・ナチ系の政党を創設、クーデター後には国家安全保障国防会議(国防省や軍を統括する)の議長に就任、2014年8月までその職にあった。
広場では無差別の狙撃があり、少なからぬ犠牲者が出ているが、スナイパーはパルビーの管理下にあったビル。西側の政府やメディアは狙撃をヤヌコビッチ政府側によるものだと宣伝したが、2月25日にキエフ入りしたエストニアのウルマス・パエト外相は事実が逆だと報告している。反大統領派で医師団のリーダー格だったオルガ・ボルゴメツなどから聞き取り調査をした結果だという。狙撃手は反ヤヌコビッチ派の中にいるとする調査結果を26日にEUの外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者)だったキャサリン・アシュトンへ電話で報告する。
「全ての証拠が示していることは、スナイパーに殺された人びと、つまり警官や街に出ていた人たち双方、そうした人びとを同じスナイパーが殺している。同じ筆跡、同じ銃弾。実際に何が起こったかを新連合(暫定政権)が調査したがらないほど、本当に当惑させるものだ。
スナイパーの背後にいるのはヤヌコビッチでなく、新連合(クーデター派)の誰かだというきわめて強い理解がある。」としている。
2014年2月7日から23日にかけてロシアのソチでは冬期オリンピックが開催されていた。この時期を狙ってアメリカの好戦派はウクライナでクーデターを実施したと見られている。オリンピック前、アメリカが何らかの軍事作戦を実行すると推測する人もいた。ウクライナはロシアとEUの中間にある。ロシアとEUの関係を分断し、経済的にロシアを締め上げたいアメリカ支配層はウクライナでのクーデターを準備していたようだが、2014年2月が選ばれたのは、ロシアがオリンピックで動きにくいと考えてのことだと見られている。
このクーデターでEUとロシアとの関係促進を妨害することに成功したが、この後にロシアは中国へ接近、アメリカの本性を見た中国もロシアとの関係を強める方向へ動き出した。今では戦略的パートナーになっている。アメリカの「陰謀」は裏目に出た。
ウクライナではクーデターに反発する人も少なくなかった。特にヤヌコビッチの地盤だった東部や南部ではそうした傾向が強く、クリミアではロシアの構成主体になるかどうかを問う住民投票が3月16日に実施された。投票率は80%以上、そのうち95%以上が加盟に賛成した。国外からの監視団も受け入れ、日米に比べれば遥かに公正なものだったが、西側は今でも「民意」を受け入れようとしていない。
クリミアを制圧しそこなったことはアメリカの支配層にとって大きな痛手。ここは黒海に突き出た半島で、セバストポリは黒海艦隊の拠点になっているからだ。クーデター後、西側の政府やメディアはロシア軍が侵攻したと宣伝したが、そうした事実はなかった。ソ連消滅後の1997年にロシアはウクライナと条約を結び、基地の使用と2万5000名までの駐留がロシア軍に認められていたのだが、これを侵略部隊だと主張したのだ。この条約は1999年に発効、その当時から1万6000名のロシア軍が実際に駐留していた。
2014年4月10日にアメリカ海軍はロシアを威嚇するために黒海へイージス艦のドナルド・クックを入れ、ロシアの領海近くを航行させた。それに対してロシア軍のSu-24が近くを飛行したのだが、その際にジャミングで米艦のイージス・システムを機能不全にしたと言われている。その直後にドナルド・クックはルーマニアへ緊急寄港、それ以降はロシアの領海にアメリカ軍は近づかなくなった。
アメリカはウクライナでの戦乱を拡大、ロシア軍を引き込もうとした可能性もある。クーデター後に西側の有力メディアはロシア軍が侵攻してきたという事実に反する「報道」を展開するが、これは「予定稿」だったのではないだろうか。ロシア政府が自重したため、西側の「報道」は単なる嘘になった。
そのロシア政府は2015年9月30日、シリア政府の要請を受けて空爆を開始、アメリカ軍とは違い、ダーイッシュやアル・カイダ系武装勢力を本当に攻撃して戦況を一変させた。空爆だけでなく、早い段階にカスピ海の艦船から26基の巡航ミサイルを発射、全てのミサイルが約1500キロメートル離れた場所にあるターゲットに2.5メートル以内の誤差で命中したとされている。その後、地中海に配置されている潜水艦からもミサイル攻撃を実施したという。こうした巡航ミサイルをロシアが保有していることを知り、アメリカ側は震撼したという。ロシアが供給したT90戦車も威力を発揮している。潜水艦から発射され、海底1万メートルを時速185キロメートルで航行、射程距離は1万キロに達する遠隔操作が可能な魚雷の存在をリークして警告するということもロシアは行った。
CFR/外交問題評議会が発行しているフォーリン・アフェアーズ誌の2006年3/4月号に掲載されたキール・リーバーとダリル・プレスの論文では、
アメリカ軍の先制第1撃でロシアと中国の長距離核兵器を破壊できるようになる日は近いと主張されている。アメリカはロシアと中国との核戦争で一方的に勝てると見通している。
これはネオコンの考え方と同じだが、これが間違っていることをシリアでロシア軍は明確に示した。アメリカは意外と弱い、昔の表現を使うと「張り子の虎」だという見方が政界に広がっている。こうした現実を見てヘンリー・キッシンジャーは2016年2月10日にロシアを訪問したのだろう。そこでロシアとの関係修復を訴えるドナルド・トランプの勝機が生じた。
そうした流れをアメリカの好戦派は引き戻そうとしている。情報と資金を独占し、国という機関が巨大資本に対抗できないシステム、つまりファシズム体制を構築しようとしているのだ。そうした流れの中、TPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、TiSA(新サービス貿易協定)を復活させようという計画が動き出しても不思議ではない。
トランプが当選した後、アメリカではCIA、司法省、FBIなど情報機関や治安機関、あるいは有力メディアを使って選挙結果をひっくり返し、戦争体制へ入ろうとする動きが本格化した。そうした動きの内幕を明らかにする電子メールの存在が明らかになっているが、民主党だけでなく共和党の議員も動きは鈍い。好戦派に楯突く度胸はないのだろう。
かつて、ソ連のミハイル・ゴルバチョフはアメリカの脅しに屈し、ソ連を消滅させる道筋を作ったが、ウラジミル・プーチンに同じことを期待することはできない。21世紀に入り、アメリカの好戦派は1992年2月に作成された予定を実行するため、成功体験にすがり、全てが裏目に出ている。ロシアに対する脅しは核戦争を誘発させかねない。そうした展開を回避しようとしたのがトランプだったが、今ではクリントンやオバマと似た方向へ動き始めている。FBIゲートは破滅への道から抜け出すチャンス。まだチャンスが残っているかどうかはわからない。(了)