すれっからし手帖

「気づき」とともに私を生きる。

自分を苦しめる、頑な何か。

2013-02-11 11:19:38 | ひとりごと

辛い、力が湧いてこない。

自分の中の、頑な何か。崩せない何か。
私は、その何かが憎い。恨めしい。
でも、どうやっても、その何かを追い出すことができない。

その何かとは、おそらく、思い込みとか価値観とか。
心理学では、思考が感情をつくる、というけれど、
私を、無駄にいらだたせている正体は、
それに尽きる。

思い込みや価値観は、
私がこの人生の中で、周囲の人々やいわゆる社会から、
学んできたもの。
結局、私の外側で示されてきたものを、
まるで自分のものであるかのように、私が持ち続けてきたもの。
押し付けられたわけでもないから、自分が選びとってきた、ともいえる。

困難な現実問題に挑もうとするとき、そうしたものが、自分を苦しくさせる。
それなら、現実の方を変えるんじゃなくて(というより変えられない)、
そっちの方を捨ててしまった方がいいに決まってる。
だって、自分を苦しめるものは、
本当は、自分にとって善くないもの、のはずだから。

思い込みや価値観は私の一体どこにあるんだろう。
脳?ということになるんんだろうか。
脳に蓄積されて、硬直してしまっているんだろうか。
それが、私自身でないのは確かだ。
私自身だったら、苦しくなんてないはずだから。
苦しいと感じている側のものこそ、私自身のはずだから。

それを変えるものは、どんな力だろう。
それを捨てられるのは、いったい誰だろう。
少なくとも、私の外側にあるものでない。

純粋精神とか、魂とか、そんなもののような気がする。
そこにある無限の力を信じて、精神が、魂が考えること、考え続けることからしか、
始まらないはずだ。

特効薬はない。それも、よく知っている。
昨日までの自分を苦しめていたものが、今日、突然なくなるはずはない。
時々、何か人々の名言や所作に触れて、影響されて、
瞬く間に、消えてしまった、という錯覚に陥ることはある。
でも、すぐに元の木阿弥だ。

覚悟、かな。
時間はかかる。それを自分の中に住まわせていた時間と同じくらいは。そう覚悟を決めること。
自分自身が考えることをやめなければ、
自分の中の要らないものは、ゆっくりと溶けていくはず。
そう信じて、やけを起こさず、あきらめず、ひとつひとつを、やっていくんだ。