子どもって、1番大好きですよね。うちの息子も、1番が大大大好きです。
かけっこ、ゲームから、幼稚園の登園順位、お迎えの順番(最後の1番)、お着替えまで、ホント何でも1番が好き。
これ、どうしてだろ、って考えてみたんです。別に子どもだから、ってわけじゃないんじゃないかって。
大人も本当は1番が好き。自分は1番になれないから、とか、1番になれなかったらダメージが大きい、とか、の自動思考が働いて、1番に意識が向かわなくなっている。向かわないように仕向けている。
でも、子どもに現れている欲求や願望って、人間の本質そのものです。人間の本質、本能、心理学的に言えば、心の無意識からの声です。
じゃあ、どうして人間は、1番になりたいのか。息子に聞いたら、
「1番になりたいから!理由はありませんっ」
ですって。笑
まあ、そんなんでしょうね。
でね、私はこんな風に感じました。
人の無意識は、極みを見たい、体験したいと切望しているんじゃないかなって。
金メダルの人から見える風景、東大の人が手にする快感、営業成績1位の人が醸し出すオーラ。極みを知った人にしかわからない、その「感じ」をね。見栄とか、他者評価とか、快楽とか、それよりも、ホントのホントはここじゃないかって。
ゼロの、マイナスの自分が、プラスの極みを知る、というのは、その間にある全てを知るということだから。その全てになれるということだから。
1番に真摯に向き合うと、銀メダルの価値もわかるし、学歴が全てじゃないと言えることもあるだろうし、2番も、3番も、それぞれの価値が腑に落ちる。
アイドルのNo. 1のSMAPが、「No. 1にならなくてもいい」と歌うから、説得力が生まれるんですよね。
でも、1番って、ずっと1番ではいられない。2番に必ず落ちる。誰かに1番を譲る時がくる。その落差、一つ落ちたというレベルではなくて、実感としてはゼロを通り越して、一気にマイナスまでいきます。
でも、人間の無意識は、そっちの極み、マイナスの極地も知りたいんですね、きっと。両方を知って始めてバランスが取れるし、より広い世界を知ることになるから。
ここを拒絶して1番に固執すると、ホントの転落が待っているのだと思います。転落してる人は、マイナスに必死で抗っている人です。
もちろんマイナスの極みから始まる人生もあると思います。どん底を知っている人は、高みを知っても道を踏み外すことが少ないのは、もうマイナスを知っているから経験する必要がないんですね。
🔸🔸🔸
息子がかけっこで1番を取れずに悔しそうにしていた時、甥っ子が第一志望の高校に合格できなった時、「2番でもすごいんだよ~」と慰めで言った私ですが、多分彼らの心に響いてなかったろうな。
彼らは、1番を知りたかったのだから。1番を味わう自分を体験したかったのだから。2番じゃ、ダメなんだから。
でも、その不全感を捨てなければ、また違うステージがやってくる。必ず1番を体験させてくれるステージがある。何度も何度も自分の1番を追い求めればいいと思うのです。
ある分野で、「1番になりたい!」と自分の心が叫ぶなら、それは、そのポテンシャルが自分の中にあるのでしょう。
私も、自分の中に眠っている「1番になりたい!」という声をちゃんと受け取りたいです。自分が、そうなると、息子にも甥っ子にもまっすぐ言えそうな気がします。
1番をめざせ!
1番行きたいところに行きなさい!
ってね。
かけっこ、ゲームから、幼稚園の登園順位、お迎えの順番(最後の1番)、お着替えまで、ホント何でも1番が好き。
これ、どうしてだろ、って考えてみたんです。別に子どもだから、ってわけじゃないんじゃないかって。
大人も本当は1番が好き。自分は1番になれないから、とか、1番になれなかったらダメージが大きい、とか、の自動思考が働いて、1番に意識が向かわなくなっている。向かわないように仕向けている。
でも、子どもに現れている欲求や願望って、人間の本質そのものです。人間の本質、本能、心理学的に言えば、心の無意識からの声です。
じゃあ、どうして人間は、1番になりたいのか。息子に聞いたら、
「1番になりたいから!理由はありませんっ」
ですって。笑
まあ、そんなんでしょうね。
でね、私はこんな風に感じました。
人の無意識は、極みを見たい、体験したいと切望しているんじゃないかなって。
金メダルの人から見える風景、東大の人が手にする快感、営業成績1位の人が醸し出すオーラ。極みを知った人にしかわからない、その「感じ」をね。見栄とか、他者評価とか、快楽とか、それよりも、ホントのホントはここじゃないかって。
ゼロの、マイナスの自分が、プラスの極みを知る、というのは、その間にある全てを知るということだから。その全てになれるということだから。
1番に真摯に向き合うと、銀メダルの価値もわかるし、学歴が全てじゃないと言えることもあるだろうし、2番も、3番も、それぞれの価値が腑に落ちる。
アイドルのNo. 1のSMAPが、「No. 1にならなくてもいい」と歌うから、説得力が生まれるんですよね。
でも、1番って、ずっと1番ではいられない。2番に必ず落ちる。誰かに1番を譲る時がくる。その落差、一つ落ちたというレベルではなくて、実感としてはゼロを通り越して、一気にマイナスまでいきます。
でも、人間の無意識は、そっちの極み、マイナスの極地も知りたいんですね、きっと。両方を知って始めてバランスが取れるし、より広い世界を知ることになるから。
ここを拒絶して1番に固執すると、ホントの転落が待っているのだと思います。転落してる人は、マイナスに必死で抗っている人です。
もちろんマイナスの極みから始まる人生もあると思います。どん底を知っている人は、高みを知っても道を踏み外すことが少ないのは、もうマイナスを知っているから経験する必要がないんですね。
🔸🔸🔸
息子がかけっこで1番を取れずに悔しそうにしていた時、甥っ子が第一志望の高校に合格できなった時、「2番でもすごいんだよ~」と慰めで言った私ですが、多分彼らの心に響いてなかったろうな。
彼らは、1番を知りたかったのだから。1番を味わう自分を体験したかったのだから。2番じゃ、ダメなんだから。
でも、その不全感を捨てなければ、また違うステージがやってくる。必ず1番を体験させてくれるステージがある。何度も何度も自分の1番を追い求めればいいと思うのです。
ある分野で、「1番になりたい!」と自分の心が叫ぶなら、それは、そのポテンシャルが自分の中にあるのでしょう。
私も、自分の中に眠っている「1番になりたい!」という声をちゃんと受け取りたいです。自分が、そうなると、息子にも甥っ子にもまっすぐ言えそうな気がします。
1番をめざせ!
1番行きたいところに行きなさい!
ってね。