すれっからし手帖

「気づき」とともに私を生きる。

希望を叶えるプチテクニック。

2016-02-10 22:18:40 | My メソッド
今日は、ちょっぴり息抜き的なお話しを♡


休みの日の夕方になると、私、無性に眠くなります。幼稚園児の子どもと二人でいても、ガマンできなくなることしばしば。それで、子どもに声をかけます。

「お母さん、すごい眠いよぉ。30分くらい寝ていいかなぁ」

でも、子どもって言うんです。

「ダメー。ゼッタイダメー」

って。

それで、無理やり居眠り強行作戦に出ると、即座に揺り起こされます。ホント、辛いです。

ところが、私めげません。

ある時、子どもにかける言葉を変えたんです。

そしたら、なんと、子どもの返答も、

よくすると、

「うん、わかったー!」


悪くても

「えー、できるかなー。もぉ、しかたないなぁ」


に変化!

たったこれだけ、言葉を変えただけで、眠い時にはほぼ100%眠りにありつけるようになりました。

子どもにかけた言葉の内容は、












「今から30分、お母さん寝るからさ、
5時に必ず起こしてね。
ゴハン作んなきゃならないから、絶対だよ。よろしくー」






違い、わかります???

後者は、寝ることに対して子どもに許可を取っていないんですよ。寝ることは、すでに既成事実にしてしまっている。

さらに、子どもに起こすことを依頼しているので、彼の意識は、そこにがっちりフォーカスされます。私の寝る、寝ない、は、彼のタッチするところじゃないわけです。

あざとい母です…ね。

有難いことに、きちんと時間通りに起こしてくれます。しかも、起こされてもすぐに起きないと、しっかり叱られます(笑)。あと、もちろん依頼を遂行してもらったので、「ありがとうっ!助かったぁ」は欠かしません。

🔸🔸🔸

もしかしたら、やりたいことを目一杯やって、さらに周囲からも厚いサポートを受けている人っていうのは、常にこんな意識で、こんな風な言葉を周囲に掛けているのかもしれませんねー。もちろん、無意識にでしょうけど。


◯◯してもいい?

じゃなくて、

◯◯するから、△△してもらっていい?


ピンときた方、ハードルの低い相手、ハードルの低い内容から、ぜひぜひ試してみてください!




うまくできない自分。

2016-02-09 10:43:42 | My メソッド
マインドフルネスも、あまたの心理療法も、自己啓発も、おそらくそうなんですけどね、

ハマればハマるほど、
一生懸命になればなるほど、
真面目に取り組もうとすればするほど、

やがて、うまくできない自分というのが、浮き彫りになります。

最初に物凄くうまくやれた場合なんかは、特にその反動も大きかったりする。

自分を変えよう、
自分を大切にしよう、
自分の意思に耳を傾けよう、って、

言葉で言うのは簡単ですが、この実践は、大きな勇気と根性が試されること。こうした世界を知らなかった人からすると、ある意味、清水の舞台から飛び降りるようなものですもん。

たとえ結果的に自分に良いことでも、大きな勇気を出すってことは、それはそれは大量のエネルギーを消費します。端的にいうと、物凄く疲れるんです。

つまり、それを小休止なくやり続けるなんて事は、ほぼ不可能。

たとえば、このブログでも書いた「人の機嫌を取りに行かない」も、うまくできない時があります。今日は、他人にどう思われてるかが気になって気になって仕方ないぞ、って時がある。で、ついつい人の機嫌を取ってしまう(笑)。

もちろん、それで全然オーケー、オーケー。

「苦手な人の機嫌取り。私ってば、小市民でおっちゃめ~」

気分が楽になる思考で援護射撃です♡

こんな時、

「やっぱり私は私を大事にできないんだー」

と、自分をいじめるたくなる気持ち、よおくわかるんですが、これが実は1番よくない。

できない自分を責めること=究極の自己否定です。これも、物凄くエネルギーを消費します。減ってしまったエネルギーを、さらに無駄遣いして枯渇させます。

🔸🔸🔸

だから、できない時は小休止タイムと割り切ります。エネルギーを蓄える時。エネルギーがこれ以上減らないように温存する時。こっちも、勇気を奮う時と同じく、かけがえのない時間ですよ。

ちなみに、かつて、勇気を奮って獲得した成功体験、自信、は帳消しにはなりません。ちゃんと確かな実感として心の無意識のところに貯金されています。心配ご無用です。できない自分を責めなければ、エネルギーが戻ってきた時にちゃんと蘇ってくれます。

次なる勇気は、そこで使えばいい。前よりも、もっとラクーにできるようになっていますから、エネルギーも減りにくくなります。

この小休止タイム、ネガティヴな自分を受け入れると、本当に生きることが楽になります。

そのためにも、普段から自分を俯瞰する癖をつけるといいと思います。

自分を見つめる大きな自分を強く意識できるようになると、落ち込んだ自分にも優しく「よしよし」ができるようになりますよ。







選ぶ力。

2016-02-07 10:41:53 | 育児・母稼業
少し前に、息子を幼稚園に迎えに行って、こんなことがありました。

「B君に僕の家に来てもらいたい!」と息子。

すでに約束していたようで、OKをだすと、2人とも大喜びで手をつないで仲良くスキップをしています。

そこへ、これまた息子と仲良しのC君がやってきて、2人に絡みます。

「だったら、C君も誘って2人に来てもらえば?」と私。

息子は聞こえないふりをしたり、C君から逃げたりするので、仲間外れになってしまったC君に申し訳ない気持ちになって、

「聞いてるのっ?」

と大きい声をだすと、息子も大きい声をあげました。涙まじりに。

「今日は、どうしてもB君と2人で遊びたいのっ!!」

C君の気持ちを考えなさい、とか、仲間外れにされたらどんな気持ちになるの?、とか言いかけようとしてハッとする私。私、息子に何かを押し付けようとしてる。

C君には「また今度遊びに来てね」とホローして、ザワザワした気持ちを引きずりながら息子の意思・欲求を尊重しました。

🔹🔹🔹

この時、ある場面が私の脳裏に浮かんでました。

しばらく前に、息子がこのC君のような立場になったことがありました。息子に優しかったA君が、手をつなぎたがる息子の手を払い、別の数名のお友達に抱きつきにいく。

「どうして?」と悲しげに言う息子に、A君はただ「あっち行ってよ」と逃げ回るだけ。

その場面を偶然みた私、猛烈に悲しくなりました。A君に怒りすら湧いた。そんな目に遭っても、仲間外れにされても、物凄く落ち込むわけでもない息子にも苛立ちを感じました。

子どもは気まぐれだから、とか、男の子はそんなものだから、とか、頭ではわかるけど、そんな言葉で心底自分を納得させることなんてできなかった。

その日から、A君に対して、あの場面に対して、ずっとモヤモヤしたものが残り、私の心に小さな小骨が刺さったままでした。

そして、今、息子はあの日のA君と同じことをしている。でも、私は、それを体験してみたいと思ったんです。

心屋仁之助さんのブログのかつてのこの記事を思い出して、それに背中を押されたのもあります。


🔹🔹🔹

でね、
自宅でB君と夕食の時間ギリギリまで楽しそうに生き生き遊ぶ息子を見ていて、気づいたんです。やっと腹に落ちました。

息子も、あの日のA君も、その日、その時の意思に従って、遊ぶ人を選んでいるんだ、ってこと。私は、過去の経験や傷から「仲間外れ」に反応しているだけなんだってこと。

彼らの行為を、「選ぶ力」と呼ぶのか、「仲間外れ」と呼ぶのか。大人が仲間外れと認定すれば加害者と被害者を作り、何かを選ぶことは悪だと思わせ、たまたまその日選ばれなかっただけの人を、「選ばれない人」に認定してしまう。

もともと、子どもたちは、自分が自由に選んでもいいことを知っているから、他人が選ぶことにも実は寛容なんです。

だから、今日選ばれなくて一時的に淋しさを味わっても、明日も選ばれないなんて思っていない、もし選ばれなかったら、自分の方が別の子と遊べばいいことも感覚的に知っている。1人で遊ぶということを含めて。

だから、わが家の息子も、ある時お友達に遊んでもらえなくても、私みたいに傷ついたり、落ち込んだりしないのでしょう。

「うちの子が仲間外れにされた」とか「うちの子がいじめられた」とか「いつも1人で遊んでいるのは何かある」と親が先走れば、子どもは、自分をそうされる子、可哀想な子なんだと認定してしまう。一人遊びはダメなんだと考えてしまう。

親の中にある反応点、傷って、結果として、まっさらの子どもの心に反応点や傷を与えてしまう。

だから、親は、自分のその反応点や傷に自覚的であることが大切なんだと思います。

ちなみに、息子は、「C君には、いつ来てもらおうかなー」と話してますから、彼はC君を排除したかったのではなくて、「家遊びは一対一がいい」という今現在の彼の好みを行使したかっただけのようでした。あの日自分を選ばなかったA君も、相変わらず好きなお友達なんだと教えてくれました。

その日たまたま自分が選ばなかった人への最低限の配慮は、少しずつ洗練されていくのかなって思ってます。

🔹🔹🔹

さて、私たち、大人はどうでしょう。

自分を選ばなかった恋人、自分を選ばなかった友だち、自分を選ばなかった学校、自分を選ばなかった会社にこだわっているのは、「選ばれなかった」という傷がそうさせます。

選ばれない側にばかり立とうとするのも、その心情にばかり同情するのも、「選ばれなかった自分は惨め」「選ばなかった自分は非道」という傷がそうさせます。

「選ばれない」に焦点を当てる前に、そもそも私たちは、自分のために、自分の気持ちに従って、何かを自由に選んできたでしょうか。「選ぶ力」を育て、行使してきたでしょうか。

「選ばれなかった対象」「選ばなかった対象」を傷つけないことばかりに焦点を置いて、自分の選ぶ力を台無しにする。それは、「選ばれない自分」を際だたせるだけなのかもしれません。

人生、選ばれないこともあります。でも、それはたまたまだったり、他からは選ばれる可能性であったり、自分の方が違う何かを選ぶ機会ととらえることもできます。

もっといえば、選ばれなかったということは、自分もそれを選んでないということです。

大人が選ぶ事を自分に許していなければ、子どもにそれを許せるわけがない。人は自分を許せる範囲でしか、他人の事も許せない、そんな存在だからです。

私は、この自分が選ぶということに、今更ながら自覚的でありたいと思っています。

息子とその小さく、自由な友人たちに、大切なことを教えてもらいました。

欲求の扱い方。

2016-02-05 10:53:08 | My メソッド
前回、気分について書きましたが、補足です。

気分の中にある、欲求。

自分の欲求に気づきにくい人は、自分の欲求に気づいてシンプルに叶えていくという習慣がまずはとても大切です。

ただ、ある程度までいくと壁がやってきます。

食べたいまま食べて
見たいまま見て、
買いたいまま買って、
寝たいまま寝る。

やりすぎた時に、かえって気分が悪くなっている、体調が悪化しているという矛盾。アルコールなんかの嗜癖行為も、まさにこれが激しい形で現れたものです。

私の場合、胃が弱いせいもあって、「食べたい」に無意識に従っていると、後にひどい目にあいます。(昨日も、ラーメンに具を入れ過ぎて、全部食べて、丸一日苦しみました💦)。

ほかには、興味のあるニュース、たとえば川崎の中1殺害事件の裁判員裁判の詳細記事を気の向くまま見てたら、とてつもなく落ち込みました。

食べたい、見たい、を無意識に続けていたら、自分をかえって苛めてしまったのです。

仏教のお坊さんが禁欲的な事を説いたりするのは、まさに、こういうことが起きるからなんです。

人間は弱い面もある、という前提に立って、あまねく教えに汎用性を持たせるために、何事においても腹八分目的な事を説くわけです。

でも、自分の気分・感覚に敏感になっていくと、自分でその分岐点がわかるものなんです。

🔸🔸🔸

私のラーメンでいうと、明らかに自分の中で満腹サインが来てました。でも、それを軽くふり払ってしまいました。

「残すのもったいないしな」とか、「野菜だから大丈夫」とか、「まだ、もうちょっと食べれそう」とか、そんな気分や感覚以外の声(脳の暴走)に従ってしまったのですよ!

アルコールも、ネットサーフィンも、寝すぎもね、身体の小さな声、気分・感覚の声に丁寧に耳を傾ければ、「これ以上はなし!」になるはずなんですよね。

それは禁欲的になれとか、欲求を持ってはいけない、我満しろ、ということでは全然ないのです。

欲求を、正しく充しましょう、ということです。

今を感じる感覚がまだ掴めないうちは、これをやり続けたら、どんな気分になっているだろう、という未来予測の判断で物事を選択するのがコツです。

その判断にすら従えないときは、なんらかの代償行為、単なる依存行為ですから、すでに自分だけでは手に負えない状態かもしれませんね。

欲求は、自分の全部が調和のとれる形で充したときに、初めて「気持ちよさ」を与えてくれます。その加減を知っていくことが、自分を本当に大切にすることにつながるんですね。






気分が現実を作る。

2016-02-04 10:44:46 | My メソッド
思考が現実を作る。
これ、正しいんだけど、実感として弱い。

気分が現実を作る。


私には、こっちの方がしっくりきます。

気分と感情は似たような意味ですが、気分は感情よりももっと広範囲なもののように捉えています。

感情は、思考(ジャッジ)から作られますが、気分は思考だけじゃなくて、天候、体調、欲求、感覚から影響を受けるもの。

語感としては、感情よりも軽い印象で、より繊細なイメージがあります。

この気分がね、私はとてもとても大事なんだと最近常々思うのです。この気分に気づいて手当をしてあげること。その繰り返しが日常に小さな変化をもたらして、自己肯定感を高め、現実を変えていくのです。

🔸🔸🔸

例えば、朝起きた時、出勤の時、気持ちが動いた時に、
自分に問いかけてみます。

わたし、今、何を感じてるかな?


その「感じ」が小さくても、一所懸命にキャッチします。

体の「感じ」ならば、肩が重い、関節が痛い、喉が詰まった感じ。

気持ちとして生じている「感じ」ならば、緊張してる、気が重い、面倒くさい、悲しい。

欲求として現れている「感じ」ならば、行きたくない、食べたい、伝えたい、聞いてもらいたい、逃げたい、泣きたい。

多分1番わかりやすいのは「欲求」。しっかりと認めて、できる限り叶えてあげれば、気分は確実に変わります。

「体」と「気持ち」にあらわれたものは、これはどっから来てるかな、と考えてみます。睡眠不足なのか、お天気なのか、大事なプレゼンがあるからなのか、嫌な上司がいるからなのか、保育園の送りで子どもに泣かれたからなのか。

体だけの問題ならば、それに気づいてあげるだけでホッと落ち着く場合もありますし、具体的な対処法(休む、寝る)が取れたら解決します。

1番やっかいなのが気持ちの場合ですが、それがどこから来てるのかがわかっただけで楽になることもあります。

ただし、これは、思考が絡んでいる場合が多く、気づいただけでは気分は変わらないのが普通です。

そこで、自分にイヤな気分を味あわせている思考(失敗したらどうしよう、など)に対して自分の中でホッとできる言葉(プレゼンを例に取ると、「あれだけ準備したのだから大丈夫」「プレゼンで緊張するのは当たり前」「足りない点は先輩にフォローしてもらおう」等)を対抗させます。それがうまくやれると、気分は確実に変わります。

普段からマイナス思考に偏りがちな人は、自分の思考の癖を把握して、どんな言葉を自分にかければ自分がホッとできるか、場面場面に応じた言葉をストックしておくのがコツです。

もちろん、自己完結ではなく、自分をホッとさせてくれる言葉をかけてくれる人に助けを求めるのも効果的です。

🔸🔸🔸

こうした気分(特にマイナス)に気づかないでいると、何やら訳のわからない不快さがたまり、その塊にずっと自分が支配されるようになります。結果、大きな失敗や、病気に結びつくことになったりします。

最初は、おおざっぱにしか捉えられなかった気分も、常に「何を感じてる?」を癖にしていくと、より繊細なところまで感じていくことでき、より確実な対処ができるようになります。

たとえば

朝、夫を見送った時イヤな気分(気分の気づき)

「最近、お弁当作ってくれないよね」(気分の原因:夫の発言)

この発言の何がイヤなんだろう。(気づきを深める。)

寝坊や手抜き家事を責められたように感じたんだ。(本当の原因の特定)

「また、君のお弁当が食べたいんだよね」て言われたら悪い気分にはならない。(さらなる気づき)

夫に、朝の言い方をされて責められたと感じた。
違う言い方をして欲しいと伝えてみよう。(行動、気分への対処)

自分が自分に気づいてあげられること、それを元に行動を起こせるようになると、高い満足感を得ることができるようになりますし、結果が伴うことも増えてきます。

🔸🔸🔸

ところで私、一年位前から、マインドフルネスに興味を惹かれ、座ったり、歩いたりしながら、呼吸瞑想を毎日ゆるーく実践していますが、やりながら最近やっと気づきました。

マインドフルネスって、まさに、上で書いたことを、より効果的に実践するためのトレーニングなんだって。

悟りや慈悲心を育てるため、そんな抽象的な説明では、全然自分の本心が納得してなかったんですけどね。

自分の気分・感覚に気づくため、自分を知るため、ひいては自分を大切に扱うためのスキルなんだ、と腹に落ちたら、マインドフルネスというのは生き方そのものなんだな、とも思いました。

自分の小さな気分、繊細な感覚に気づくには、毎日の小さな実践が欠かせまん。

集中できる時間を作って、自分の中で起きていることに意識的になるための瞑想。私のマインドフルネス修行は、そんな目的を持っています。

他者、生きとし生きるものへの慈悲は、おそらく、それと同時に、あるいはその先にあるものなんでしょうね。


愛読書の中の一冊です。

人の機嫌を取りに行かない。

2016-02-02 18:18:26 | My メソッド
いつも、自分を、低くして、小さくして、控えめにふるまっている人がやった方がいいのは、

他人の機嫌を取りに行かない

ってこと。

🔸🔸🔸

相手の機嫌を取りに行く時に何を感じてるでしょう。それは、「卑屈さ」です。惨めで、自分を大切にしていない感情です。

職場の上司
かかりつけの医者
ママ集団のリーダー
子どもの担任
そして



自分にとって、自分より立場が上だと思い込んでいる人に対しては特にやった方がいい。

相手が機嫌悪そうにしていても、
高圧的な雰囲気を感じても、

自分からは、機嫌を取りに行かない。
あえて話しかけたりしない。

自分から挨拶した方が、
自分からにこやかに接した方が、
自分からきまずい空気を壊した方が、
楽なんです。

わかります。

むしろそれをしないでいると、
いてもたってもいられない、
恐怖すら感じる。

わかります。

でも、それって、自分を相手よりも下の立場に自ら置きにいってしまう、自尊感情の欠如なんです。そっちに安易な居心地の良さを求めてしまう悲しい性分なんです。

そんな自分を救ってあげなくちゃ。

機嫌を取りに行かない時の、その不安に、恐怖に、耐えてみてください。体中で感じ切るか、客観的に観察してみるか、どうにかして、その感情に耐えてみてください。

勇気がでない時は、相手の姿をイメージして、
「お前なんか、こわくないわー」
って少し乱暴に自分を鼓舞してもいいかもしれません。

恐怖は残る場合もありますが、自分を卑屈さから救い出した満足感は、それを上回ります。その瞬間に、自分の中で相手と自分が対等になります。

そして、相手は自分の事情で機嫌が悪いんだと納得できるかもしれません。高圧的なのもその人のスタイルで、自分がそこに合わせる必要がないということが理解できます。

その上で、つまり、相手と対等になって初めて、相手を思いやる言葉をかけることもできますし、社会の儀礼上、慇懃に振る舞うこともできます。もちろん、そうしなくても、何ら問題ありませんけどね。

最近、この方法で、怖い人、苦手な人が、ことごとく消えていきます。

自分の意識が変わると相手の意識も変わるのか、ただそう見えるようになっただけなのかは検証中ですが(笑)、相手の態度もかなりの確率で変わります。

いきなり恐怖の強い相手だと効果が実感できない場合もあるので、自分にとって、ハードルの低い人から挑戦するのがおすすめですよ。

最初は勇気が要りますが、まずは、やった後の自分の中の変化を実感してください♡