鮎川玲治の閑話休題。

趣味人と書いてオタクと読む鮎川が自分の好きな歴史や軍事やサブカルチャーなどに関してあれこれ下らない事を書き綴ります。

九州金ぴか文化圏の存在について。

2020-12-08 18:21:43 | 旅行
時間の流れるのは早いもので、もう2020年も残すところあと一か月足らずとなってしまいました。
COVID-19のせいでほとんど遠出できないのもあって、なんとなく今年一年虚無のままに過ごしてきてしまったような錯覚に陥りますね。
え、錯覚じゃない? またまたそんなぁ。

さて、先ほど「ほとんど遠出できない」と言いましたが、言い換えると全く一切遠出できない、というわけでもありません。ちゃんと感染対策をすれば大丈夫…というのが建前であれ真実であれ言われているところでありまして、実際そんな感じで行われているのがいわゆるGoToキャンペーンですね(まあ第三波やらで今後どうなるかわかりませんが)。
そんな訳で私も9月の連休、いわゆるシルバーウィークにCOVID-19に負けず熊本~博多~下関と勝手にGoToキャンペーンをしてきたのですが(特にキャンペーンの恩恵に与ってはいないような気がします。あと9月の話をいまさら記事にするのは単に私がだらけてただけです)、そこで従来全く認識していなかった九州の文化的特徴に気づきました。


九州の石碑類、文字をめっちゃ金ぴかにしますね?


私がこの九州金ぴか文化(仮称)に気付いたのは、熊本城のすぐそばに位置する熊本県護国神社に参拝した時のことです。このブログを見てらっしゃる方はよくご存じだと思うんですが、護国神社の境内にはたいてい戦友会による記念碑とか慰霊碑とかの石碑、石造物が少なからず建立されています。こういう石造物をチェックするのも護国神社参拝の醍醐味の一つですね(不謹慎)







で、熊本県護国神社にある石碑(一部)の写真がこちら。
はい、めっちゃ金ぴかです。
流石に建立されているものすべてが金ぴかなわけではないのですが、それでも結構な数の石碑の文字が金ぴかに彩られています。他の地域でここまで金ぴかな石碑群というのは見たことがなかったので非常に印象深かったですね。

なんでこんなに金ぴかなのか? と護国神社の方にお伺いしたのですが、境内地の石碑については場所を提供しているだけで建立についてはノータッチだとのこと。
ただ、どうやら昭和50年代くらいから一気に金ぴか文字が増えてきたらしいことはお話の中で分かりました。

で、同様の石碑金ぴか文化は熊本のみにとどまりません。
今回の旅行だけでも直方、大宰府、志賀島などで金ぴか文字の石碑が確認できました。内容も史跡を示すもの(「五卿遺跡」碑)や歌の発祥地を示すもの(「炭坑節発祥の地」碑)といったプラス方面のものから、元寇の際に死んだ元軍将兵の慰霊碑(蒙古塚)といったマイナス方面(?)のものまで多岐に渡ります。
面白いことに、関門海峡を渡った下関では金ぴか石碑は一見したところ確認できませんでした。


大宰府の「五卿遺跡」碑


直方の「炭坑節発祥の地」碑


志賀島の「蒙古塚」碑

ネットで「九州 石碑 金色」などと検索すると結構な数のサイトがヒットするのですが、その内容の多くは「九州ではお墓の文字を金色にする」といったもの。ただ、熊本における学校・史跡関係の石碑の金文字を紹介しているサイトもありました(リンク先)。

お墓を金文字にする理由については現状でもよくわかっていないようですが(実態としては「周りが金色だからうちも金色に」という感じが多いようです)、一説には金ぴか文字が多くみられる長崎については中国の風習に由来するものではないかとも考えられるとのこと(リンク先)。
ただ、これだと長崎以外の九州における石碑金ぴか文字の理由がいまひとつよくわからないんですよね。
蒙古塚なんか、昭和2年に建碑された旧碑の方は彩色痕はぱっと見では確認できないのに、平成17年の地震による被害の後に再建された碑の方は金ぴか文字になってますし。なんなんだろいったい。

いずれにしても、九州にはほかの地方では及びもつかないような謎の「石碑金ぴか文化圏」が存在しています。旅行などで訪問される際にはぜひ石碑の金ぴか文字にも注目してみてください(強引に終わる

大阪旅行に行ってきたり。

2012-05-09 02:17:12 | 旅行


今年のGWは大学の日程上9連休ということで、その最後の3日間を使って家人と旅行なぞに行ってきました。
…ええ、まあコミックシティのついでなんですけどね。観光できたのは中1日だけですよ。うん。

その貴重な中1日、心斎橋で開かれている大阪市立近代美術館(仮称)の「佐伯祐三とパリ-ポスターのある街角-」展や、天神橋筋六丁目(通称「天六」)にある「大阪くらしの今昔館」を見に行ってきたわけですが、これらとは別に私だけで見に行った場所があります。

「日本一低い山」こと、天保山。

これまで何度も大阪には行ってますし、すぐ近くにある海遊館も見たことがあるのに、何故かここには行っていなかったという場所。
大阪市営地下鉄中央線に乗り、大阪港駅へ。そこから10分ほど歩くと「天保山公園」が見えてきます。
規模的にはさほど大きな公園ではありません。中規模程度ですね。

公園の入り口付近に、「天保山登山の方はこのまままっすぐお進みください」とか書いてあります。
それを信じてそのまま前進。
右手の方に展望台があるので、ああ、あれが天保山か…と思いつつ砂地のような場所へ。
そこで見た文字は、

「登頂お疲れ様でした」

…は!?
いやいやいや、登ったのってせいぜいそこの入り口の階段くらいですけど!?

後から確認したところ、天保山の「標高」はなんと4.53m。
なるほど、そら確かに登った気もしませんわ。因みに「山頂」にはご大層な三角点があります。

ところで、天保山にはこの記事の冒頭に貼った「明治天皇観艦之所」という大きな碑が建っています。
これは1868(慶応4)年明治天皇が天保山においてに日本初の観艦式を行ったことを記念する碑です。天保山は一応海軍史跡でもあるんですね。私は陸軍派なんですが、何故か偶然海軍史跡に足を運ぶことになる傾向があります。何故だ。



で、これが「天保山登頂証明書」(トイカメラで撮影)。天保山商店会の所定のお店に行けば無料で発行してもらえます。
ぶっちゃけこれが欲しくて天保山に行ったようなものです(何

伊勢は今日も雨だった・その2

2012-02-07 23:54:41 | 旅行
今朝は6時20分に神宮会館のロビーに集合して早朝参宮です。
しかし、雨の勢いが強い! 傘にあたる雨の音でガイドさんの声も良く聞こえません。
宇治橋を渡って手水屋でお清めをし、御手洗を見に行きます。ここまでは普段と同じルート。
…しかし、今回は雨のために五十鈴川はまるでガンジス川の如く濁っており、しかも増水により御手洗の一部が水没。危ないため、川の近くには近寄れませんでした。
その後滝祭神に参った後、御正宮へ向かいました。昨日と同じく、石段の下で傘を閉じて拝します。
木で組まれたスロープを降りて、隣の御敷地へ。ガイドさんの説明によると、伊勢地方には式年遷宮と景気動向が関連しているとの考えがあるそうで、現在の御正宮の位置は景気が停滞する位置。一方、来年秋に大御神が遷御される隣の御敷地は景気が良くなる位置、なのだそうで。因みに前回の御遷宮は平成5(1993)年。ちょうどバブルがはじけた頃ですね。
…まあ、高度経済成長時代やその前の戦前・戦中のことを考えるとかなり眉唾な話なんですが。

会館へ戻った後、朝食を食べてから送迎バスで近鉄五十鈴川駅へ。そこから名古屋駅へ向かい、新幹線で東京へ帰って在来線で帰宅しました。さらっと書きましたが、まあ大して書くような内容もありませんで(おい

伊勢は今日も雨だった。

2012-02-06 20:58:03 | 旅行
そんな訳で、いま鮎川は伊勢に来ています。伊勢参宮はかれこれ3、4回目でしょうか。まあ「お伊勢七度熊野へ三度」と云いますから、まだまだですけどね。

昨夜、池袋で高速バスに搭乗。揺られ揺られて、ほとんど一睡もできないまま伊勢へ到着しました。
コンビニ弁当の朝食をとったのち、豊受大神宮(外宮)と月夜見宮に参宮。外宮では危うく団体さんに巻き込まれそうになりました(笑)。平日で、しかも雨なのに、意外と人出があるんですね。
そこからバスで皇太神宮(内宮)へ。外宮でもそうだったんですが、うっそうとした杜と参道が雨で煙って神々しさが普段より増していた気がします。
参宮の後はいつものように、おはらい町で伊勢うどんと手こねずしの昼食。
午後は猿田彦神社と月読宮に参ったのち、おはらい町とおかげ横丁を散策。萬金丹やら伊勢うどんのたれやらを買い込みました。伊勢と言えば生姜糖も名物なんですが、あれは毎回味見はするものの買わないんですよね。何故なんだろう。
3時過ぎに今夜の宿である神宮会館にチェックイン。その後夕食に舌鼓を打ったり、売店を覗いたりして現在に至っています。

明日は6時半から早朝の参宮。予報では明日も朝から雨のようで…。大丈夫かな?