鮎川玲治の閑話休題。

趣味人と書いてオタクと読む鮎川が自分の好きな歴史や軍事やサブカルチャーなどに関してあれこれ下らない事を書き綴ります。

明治天皇百年祭。

2012-07-30 20:38:23 | 日記


本日、2012年7月30日は明治大帝が崩御あそばされてから丁度100年の節目の年。というわけで、「明治天皇百年祭」が行われた明治神宮へ参拝してまいりました。
まあ、鮎川が着いたのは11時半ごろだったので、既に百年祭の朝の行事は終わっていたのですが。てへぺろ。

夏休みだからというわけでもないでしょうが、月曜の昼間だというのに結構人が来ていました。
まあ、外国人観光客が半分くらいでしたけれども。あとはおいちゃんおばちゃんとか。
あ、でも家族どころか一族郎党引き連れてきたような大人数で鳥居の前で記念写真取ってる一団とかも居ましたね。
色々な人びとが参拝するというのも、ひとえにこれ大帝陛下の御聖徳のなせるわざです(綺麗に纏めてみた)。



この写真だとよく分かりませんが、今日は正面の御扉が開いていたそうです。まあ百年祭ですからね。
本日都合によりご参拝できなかった方はこちらの写真の前で遥拝をどうぞ(何



で、鮎川が本日明治神宮に参拝した大きな理由の一つがこちら。明治神宮宝物殿です。
実は今日は百年祭の一環ということで、通常500円の入館料が無料だったんですねー。ぱちぱちぱち。
そんなわけで初めて入ってみたんですが、まあ建物が凄く・・・なんというか、こう・・・寺院建築です(マテ
いやいやや、だって柱とかエンタシス入ってますし! なんか明らかに奈良時代辺りを思い起こさせるデザインなんですって!
それが本当の証拠に、ほら、




装飾に蘭陵王とかありますし。凄い。
デザインとしては木造建築を石造で忠実に再現したような形で、私は決して嫌いじゃありませんね。ただ、本棟前の芝生(というより背の低い雑草が生い茂ってるように見える場所)がなんとなく寂莫感というか、一種の荒廃感を漂わせているような気がしないでもないですけど。
展示の内容は明治天皇の御物(御机など)・御料や昭憲皇太后の御物・御料、他にも各皇族方の御料などが展示されていてなかなかの見ごたえ。特に圧巻だったのは六頭曳儀装車ですね。冷房設備が扇風機くらいしかないので暑かったですけど。

もう一つ、本日無料だった文化館の「明治天皇と乃木大将」展は冷房が効いていて生き返りました。こちらでは明治天皇御着用の陸軍御服や、乃木大将が自刃の際に用いた刀などが展示されています。9月くらいまでやっているので興味がおありの方は是非見に行くとよろしいかと。因みに入場料は通常500円です。



おまけということで、本日代々木駅への帰り道で見つけた石碑。
「皇紀二千六百年 明治神宮参拝道貫通記念」と書いてある碑で、代々木駅からの北参道が完成したことを記念するものなんですが、これを揮毫したのがなんとあの林銑十郎陸軍大将。満洲事変の際の「越境将軍」です。
いやー、まさか明治神宮に来て林大将ゆかりの物を目にすることになろうとは。

蒐集品を晒してみる・その⑨ アルバニア・アルバニア労働党創建40周年記念記章

2012-07-29 00:34:17 | 蒐集品
以前eBayで落札したアルバニア関係品のセットが届きましたので、今日はとりあえずこれをご紹介。



アルバニア労働党の創建40周年を記念して作られた記章、「アルバニア労働党創建40周年記念メダル(Urdhëri 40 Vjëtori i Partia Punës e Shqipërisë )」です。制定されたのは1981年で、活動的・精力的な党員に対して授与されました。かなり高位の記章であったようで、1985年にエンヴェル・ホッジャ第一書記の葬儀が行われた際にも参列した党員が佩用していたのが確認されているのだとか。
表にはアルバニア労働党を表す「PPSH」の字を書いた赤旗、交叉する鎚と鎌、光芒などが描かれていますね。下のリボンには「40VJETORI(40周年)」と刻印されています。



裏面にはなーんにもありません。地味です。
上部のリボンが金属板に巻きつけてあるタイプのものだと確認できますね。この辺、ブルガリア辺りだともっとしっかり作ってあるんですが、まあ流石はアルバニアクオリティーというべきか。



箱はこんな感じです。サテンの無地ですね。この辺も何も書かないというのがいかにもアルバニア。




箱の中はこんな感じです。ややスペースに空きがありますが、これは副章として作られた同型の記念バッジを収めていた場所です。つまり、これはフルセットじゃないんですね。

大学春学期終了。

2012-07-27 00:27:43 | 日記
日付は変わってしまいましたが、本日7月26日を以て鮎川の早稲田大学春学期は終了いたしました。
いやー、この一週間は辛かった。試験で。
いやまあ、やっぱり勉強は復習が大事ですね。ハイ。

まあ、そんなわけで夏休みに入ったわけですが、色々とやりたいこと、やることは山積してますね。
部屋の片付けはしなくちゃいけないし、満洲研究会関係の色々も進めなくちゃいけない。替え歌もいくつか溜まってますし、戦史研のほうでもイベントの予定があったりなんだり。
その辺も含めて、これから2ヶ月ほどはこのブログの更新の頻度も上がるかと…上がる…上がるといいなあ(何

「中国対米英宣戦を布告す」

2012-07-11 17:49:20 | 歴史
唐突ですが、皆さんは第二次世界大戦時に枢軸国であった国をご存知でしょうか。
日本とドイツとイタリア? 確かに正解です。その三つが主要な枢軸国ですね。
しかし、枢軸国はたった三ヶ国だけではありません。フィンランドやクロアチア、スロバキア、タイ、それからビルマ等、当時は数多くの国が枢軸国側に立っていたのです。
そしてこうした国々と共に、枢軸国側に立ってアメリカ、イギリスに対し宣戦を布告した国がありました。

中華民国です。

今「え?」と思った人、あなたは正しい。中華民国は連合国側だったはずですよね。
しかしながら、当時の中国大陸には後の中華民国(台湾)に繋がる政府以外にも、現在では日本の傀儡とされる様々な政権が作られていたのです。北京の中華民国臨時政府、南京や上海を統括した中華民国維新政府。そしてそれらを統合したのが、汪兆銘を首班として南京に成立した「中華民国南京国民政府」です。



これは鉄道工学会が1943年に発行した『大東亜共栄圏写真大観』の一部ですが、面白いので文章を抜き出してみましょう。

  昭和十八年一月九日、中国は遂ひに対米英宣戦の布告をなした。
  そして大東亜戦完遂への力強い一環を形ち造つた。
  これは反枢軸国家群へ甚だしい影響を及ぼしたことは云ふ迄もないが、
  重慶へ與へた物心両方面への打撃は筆舌に盡せないものがあつた。
  かくして大東亜は文字通り打つて一丸となり大東亜戦の決戦段階突入と相俟つて、
  必勝の信念は愈々鞏固にされたのである。
  この日中国の首都南京の空は一点の雲も無き快晴に恵まれ、
  紫金山上の中山陵はこの日の中国の歴史的巨歩を見護るが如く一層厳然と、
  大いなる黙示を垂れてゐるかの如くに仰がれた。
  米英に桎梏された百年の絆、あゝつひに今日ぞ絶たる!
  この宣戦布告の報道に接した中国国民の感激、そして決意、正に大いなるものがあつた。
  国民政府の大礼堂に於いて、我が重光大使(現外相)と汪主席との間に
  共同宣言は調印され即時全世界へ速報されたのである。
  「参加大東亜戦争」「必勝大東亜戦争」等の文字は南京の町の隅々にあふれた。


いやー、面白いですねー。
ページの左上の写真に写っている布告には「擁護国民政府参戦 民国三十二年一月九日 国民政府対英美両国宣戦了!」となってますね。中国語だと米英じゃなくて英美になるんでしょうか。
「…蒋共蹂躙下之同胞」という語も見えますね。
下の写真で兵が掲げている旗には「歩兵」の文字が見えます。多分歩兵団旗でしょう。
軍装に関しては潰れてしまってよく分かりませんが、国民党軍の特徴ともいえるドイツ式鉄兜のシルエットがよく分かります。

日本では傀儡政権、中国では漢奸と言われるばかりの中華民国南京国民政府ですが、詳しく見ていくと色々と面白い話や同情すべきところもあります。また後ほどそういったエピソードも紹介していけたらなー、と。