先日友人と東京・目白にある「切手の博物館」を見に行ったことから切手についての興味が再燃しています。
そんな訳で、以前市立図書館のリサイクル図書に出されていた切手雑誌『郵趣』の古い号を徒然に読んでいるのですが…
どーにも内容が左派くさい。というより、明らかに寄稿者・編集者に社会主義シンパがいる。
一例を挙げます。『郵趣』の1960年8月号を見てみましょう。
表紙をめくりますと、まず「日本―ハワイ,虹のかけ橋 ―ハワイ官約移住75年切手、8月20日発行」という記事が目に入ります。
題名だけならいかにも中立的に切手の背景や内容を取り上げているような印象ですが、ところがさにあらず。内容は当時の郵政省で切手係を務めていた中村宗文氏に対する批判が大部分で、図案や形式などについての説明は僅か7行半に過ぎません。横書き3段組みでの7行半ですから、如何に少ないかが分かろうというものです。
で、問題なのはその批判部分。少し引用してみましょう。
「かれは日本の切手収集家の間ではきわめて評判が悪い。ところがアメリカの連中に対してのサービスぶりなど、まるで主人につかえる犬のようで、ちょうど戦犯・岸首相とそっくりである」
なんでここで岸首相を引き合いに出す必要があるんですかねえ…?
この記事、最後の方では同じく中村氏の企画によって発行されたと思われる「《日米修好》100年切手」についても「悪評ふんぷんたる」ものだと書き、「アイクの訪日に対する答礼として皇太子が訪米することを記念し」て発行する小型シートについて「大衆的な反対によってアイクの訪日が無期延期され、岸政府が崩壊したいま、なぜまだこのような小型シートを出さなければならないのか、ますます評判が悪い」としています。
政治的な偏りのない切手収集家にとってはわりとどーでもいいことだと思うというか、寧ろ収集対象が増えて宜しいんじゃないかと思うんですけどね。
そしてページをめくると、今度は「朝鮮切手への招待 ―1946~59年の完全なチェック・リスト」という記事が載っています。筆者は小柴谷吉。
これも記事自体は良いでしょう。社会主義諸国が(概ね外貨獲得を目的として)様々な記念切手を発行していたことは周知の事実ですし、北朝鮮の切手を収集すること自体は政治的立場や思想に拠らず面白いことだと思います。
でもこの記事、やっぱり書き方があれなんですよねぇ…。
「15年前の8月、朝鮮人民が永い間まちのぞんだ、解放の日が訪れた。だがそれは、38度線による南北朝鮮の分割という悲しい形で実現されたのである」
これがはしがき。解放って…ま、まあいいでしょう。でもこれが「Ⅱ 解放戦争期(50~53年)の発行」になるとどうでしょうか。
「朝鮮の首都ソウルは、英雄的な人民軍によって、6月28日11時30分に解放された。それを記念して国会議事堂を描いた切手が発行されている。そのご戦争の性格は「国連軍」の派遣によって、一変し内戦から祖国解放戦争となっていった」
…あの、これ切手雑誌の記事ですよね? 北朝鮮の対外プロパガンダ雑誌じゃないんですよね???
この記事についてはもうこの辺で置いておくとして、しばらくページをめくっていくと物凄い記事にぶつかりました。
その題も「反動的な《世界難民年》切手 ―アメリカ帝国主義の冷戦政策に反対する」。筆者は前田邦博。
この記事は2/3ページくらいの分量なので、思い切って全文を引用してみましょう。
「本誌6月号のトピカル・カラー・ページの見開きページをみたとき、わたくしは、まったくあぜんとして、しばらくは声も出ませんでした。わが国において、もっとも信頼できる「郵趣」が、アメリカ帝国主義の冷戦政策のお先き棒をかつぎ、2ページにもわたる大きなスペースをさき、いわゆる《世界難民年》切手について、このような記事をのせるとは、いったいどうしたということでしょう。
この《世界難民年》切手は、どのようにして生れたのか、それについてはほとんど説明がなされていませんが、この《世界難民年》という仕事は、さる1958年12月5日の国連総会において、アメリカ帝国主義者がその傘下にある諸国をあやつり、社会主義諸国の代表の厳正な反論をしりぞけ、一気に通過させた反動的なものです。かれらは1959年7月1日から、60年6月30日までを《世界難民年》とよび、そのなかの重要な政策として、この《世界難民年》切手の発行を推進したのです。
いわゆる《難民》を助けるためといえば、ていさいは良いが、その実態は切手の販売によって得た利益を、反革命分子の反共活動の資金にしょうとするものです。
“アメリカン・フィラテリスト”の編集者は、その誌上において、いわゆる《難民年》切手の発行は、“収集家に対して反共の意識を高め、共産主義を根絶する上に有意義なものである」と書いています。これこそアメリカ帝国主義の野望を赤裸に暴露したものであり、この切手が、いかに反動的な内容をもっているかの、正しい証拠となるものであります。
いわゆる《難民》とは、どのような人びとを指すのか。これについてアメリカ帝国主義者たちは、“共産諸国の圧政を逃れて、自由の天地を求めてきた人びと”のことだと説明していますが、これほどひどいギマンはありません。逃れた人間は、いわゆる地主とか、貴族とか、いままで人民を搾取して富を積み上げていた階級と、反革命の分子であり、かれらは、もう人間が人間を搾取することができなくなった社会主義の下では、生活ができなくなったからこそ逃げ出したのです。
このような連中に、さらに資金を与えるために、なぜわれわれ収集家が、財布のひもをゆるめなければならないのでしょうか。
救済されなければならないのは、このような反共の分子ではなく、もっとほかに多数の苦しい人びとがいます。例をアメリカにとるならば、いまもなお貧民窟に住む2,200万以上の人びとを救うことであり、450万以上にのぼる失業者の救済こそ重要であります。あるいはわたくしたちの近くに目を転ずるなら、朝鮮戦争のときアメリカ帝国主義者の無差別爆撃によって、家を焼かれ、すべを失った1,000万人以上の朝鮮の人びとがおります。またキューバにおいては、アメリカ帝国主義者の圧力によって多くの人びとが、苦しい生活をつづけています。
いわゆる《世界難民年》切手の発行は、アメリカ帝国主義者の冷戦を激化し、反共活動をさらに高めるための方策の現われであることは、いまや明明白白の事実です。
わたくしたちは、この切手のもつ反動的な内容をつかみ、反人民的なこの切手に反対し、その収集を、だんことして行わないことが大切であります」
うん、くらくらしますね。
この記事では《世界難民年》切手の発行が「アメリカ帝国主義の野望」による「反動的」なものであると言い、「このような連中に、さらに資金を与えるために、なぜわれわれ収集家が、財布のひもをゆるめなければならないのでしょうか」と言っている訳ですが、一方で共産主義諸国が外貨獲得のために様々な社会主義的記念切手を発行して世界の収集家に販売していたことについてはどう考えているんでしょうか。多分「革命的」で「人民的」な切手に対しては何にも文句言わなかったんでしょうね。
さらに数ページめくりますと、「世界新切手ニュース」という記事が載っています。これは当時世界で新たにどんな切手が発行されたかを紹介するページなんですが、それぞれ地域が分かれています。その区分は「アジア・アフリカ諸国」「東欧民主諸国」「その他の諸国」の三つ。ちなみにアメリカは「その他の諸国」に分類されています。うん、すんげえ露骨。
そして最後、「編集通信」のところには「あの解放の日から、もう15年という歳月が流れた」と書いてあります。もうやだこの雑誌。
この時代の切手収集家たち、及びその組織の思想的方向性などについては郵便学者の内藤陽介氏のブログで寄せられたコメントに返信する形で「駒長」氏という方が詳しく述べられていますが、この切手雑誌『郵趣』を見るだけでもかなりこう、イヤーンな感じが伝わってきます。
趣味は趣味、思想は思想。しっかり峻別する事って大事ですよね。
そんな訳で、以前市立図書館のリサイクル図書に出されていた切手雑誌『郵趣』の古い号を徒然に読んでいるのですが…
どーにも内容が左派くさい。というより、明らかに寄稿者・編集者に社会主義シンパがいる。
一例を挙げます。『郵趣』の1960年8月号を見てみましょう。
表紙をめくりますと、まず「日本―ハワイ,虹のかけ橋 ―ハワイ官約移住75年切手、8月20日発行」という記事が目に入ります。
題名だけならいかにも中立的に切手の背景や内容を取り上げているような印象ですが、ところがさにあらず。内容は当時の郵政省で切手係を務めていた中村宗文氏に対する批判が大部分で、図案や形式などについての説明は僅か7行半に過ぎません。横書き3段組みでの7行半ですから、如何に少ないかが分かろうというものです。
で、問題なのはその批判部分。少し引用してみましょう。
「かれは日本の切手収集家の間ではきわめて評判が悪い。ところがアメリカの連中に対してのサービスぶりなど、まるで主人につかえる犬のようで、ちょうど戦犯・岸首相とそっくりである」
なんでここで岸首相を引き合いに出す必要があるんですかねえ…?
この記事、最後の方では同じく中村氏の企画によって発行されたと思われる「《日米修好》100年切手」についても「悪評ふんぷんたる」ものだと書き、「アイクの訪日に対する答礼として皇太子が訪米することを記念し」て発行する小型シートについて「大衆的な反対によってアイクの訪日が無期延期され、岸政府が崩壊したいま、なぜまだこのような小型シートを出さなければならないのか、ますます評判が悪い」としています。
政治的な偏りのない切手収集家にとってはわりとどーでもいいことだと思うというか、寧ろ収集対象が増えて宜しいんじゃないかと思うんですけどね。
そしてページをめくると、今度は「朝鮮切手への招待 ―1946~59年の完全なチェック・リスト」という記事が載っています。筆者は小柴谷吉。
これも記事自体は良いでしょう。社会主義諸国が(概ね外貨獲得を目的として)様々な記念切手を発行していたことは周知の事実ですし、北朝鮮の切手を収集すること自体は政治的立場や思想に拠らず面白いことだと思います。
でもこの記事、やっぱり書き方があれなんですよねぇ…。
「15年前の8月、朝鮮人民が永い間まちのぞんだ、解放の日が訪れた。だがそれは、38度線による南北朝鮮の分割という悲しい形で実現されたのである」
これがはしがき。解放って…ま、まあいいでしょう。でもこれが「Ⅱ 解放戦争期(50~53年)の発行」になるとどうでしょうか。
「朝鮮の首都ソウルは、英雄的な人民軍によって、6月28日11時30分に解放された。それを記念して国会議事堂を描いた切手が発行されている。そのご戦争の性格は「国連軍」の派遣によって、一変し内戦から祖国解放戦争となっていった」
…あの、これ切手雑誌の記事ですよね? 北朝鮮の対外プロパガンダ雑誌じゃないんですよね???
この記事についてはもうこの辺で置いておくとして、しばらくページをめくっていくと物凄い記事にぶつかりました。
その題も「反動的な《世界難民年》切手 ―アメリカ帝国主義の冷戦政策に反対する」。筆者は前田邦博。
この記事は2/3ページくらいの分量なので、思い切って全文を引用してみましょう。
「本誌6月号のトピカル・カラー・ページの見開きページをみたとき、わたくしは、まったくあぜんとして、しばらくは声も出ませんでした。わが国において、もっとも信頼できる「郵趣」が、アメリカ帝国主義の冷戦政策のお先き棒をかつぎ、2ページにもわたる大きなスペースをさき、いわゆる《世界難民年》切手について、このような記事をのせるとは、いったいどうしたということでしょう。
この《世界難民年》切手は、どのようにして生れたのか、それについてはほとんど説明がなされていませんが、この《世界難民年》という仕事は、さる1958年12月5日の国連総会において、アメリカ帝国主義者がその傘下にある諸国をあやつり、社会主義諸国の代表の厳正な反論をしりぞけ、一気に通過させた反動的なものです。かれらは1959年7月1日から、60年6月30日までを《世界難民年》とよび、そのなかの重要な政策として、この《世界難民年》切手の発行を推進したのです。
いわゆる《難民》を助けるためといえば、ていさいは良いが、その実態は切手の販売によって得た利益を、反革命分子の反共活動の資金にしょうとするものです。
“アメリカン・フィラテリスト”の編集者は、その誌上において、いわゆる《難民年》切手の発行は、“収集家に対して反共の意識を高め、共産主義を根絶する上に有意義なものである」と書いています。これこそアメリカ帝国主義の野望を赤裸に暴露したものであり、この切手が、いかに反動的な内容をもっているかの、正しい証拠となるものであります。
いわゆる《難民》とは、どのような人びとを指すのか。これについてアメリカ帝国主義者たちは、“共産諸国の圧政を逃れて、自由の天地を求めてきた人びと”のことだと説明していますが、これほどひどいギマンはありません。逃れた人間は、いわゆる地主とか、貴族とか、いままで人民を搾取して富を積み上げていた階級と、反革命の分子であり、かれらは、もう人間が人間を搾取することができなくなった社会主義の下では、生活ができなくなったからこそ逃げ出したのです。
このような連中に、さらに資金を与えるために、なぜわれわれ収集家が、財布のひもをゆるめなければならないのでしょうか。
救済されなければならないのは、このような反共の分子ではなく、もっとほかに多数の苦しい人びとがいます。例をアメリカにとるならば、いまもなお貧民窟に住む2,200万以上の人びとを救うことであり、450万以上にのぼる失業者の救済こそ重要であります。あるいはわたくしたちの近くに目を転ずるなら、朝鮮戦争のときアメリカ帝国主義者の無差別爆撃によって、家を焼かれ、すべを失った1,000万人以上の朝鮮の人びとがおります。またキューバにおいては、アメリカ帝国主義者の圧力によって多くの人びとが、苦しい生活をつづけています。
いわゆる《世界難民年》切手の発行は、アメリカ帝国主義者の冷戦を激化し、反共活動をさらに高めるための方策の現われであることは、いまや明明白白の事実です。
わたくしたちは、この切手のもつ反動的な内容をつかみ、反人民的なこの切手に反対し、その収集を、だんことして行わないことが大切であります」
うん、くらくらしますね。
この記事では《世界難民年》切手の発行が「アメリカ帝国主義の野望」による「反動的」なものであると言い、「このような連中に、さらに資金を与えるために、なぜわれわれ収集家が、財布のひもをゆるめなければならないのでしょうか」と言っている訳ですが、一方で共産主義諸国が外貨獲得のために様々な社会主義的記念切手を発行して世界の収集家に販売していたことについてはどう考えているんでしょうか。多分「革命的」で「人民的」な切手に対しては何にも文句言わなかったんでしょうね。
さらに数ページめくりますと、「世界新切手ニュース」という記事が載っています。これは当時世界で新たにどんな切手が発行されたかを紹介するページなんですが、それぞれ地域が分かれています。その区分は「アジア・アフリカ諸国」「東欧民主諸国」「その他の諸国」の三つ。ちなみにアメリカは「その他の諸国」に分類されています。うん、すんげえ露骨。
そして最後、「編集通信」のところには「あの解放の日から、もう15年という歳月が流れた」と書いてあります。もうやだこの雑誌。
この時代の切手収集家たち、及びその組織の思想的方向性などについては郵便学者の内藤陽介氏のブログで寄せられたコメントに返信する形で「駒長」氏という方が詳しく述べられていますが、この切手雑誌『郵趣』を見るだけでもかなりこう、イヤーンな感じが伝わってきます。
趣味は趣味、思想は思想。しっかり峻別する事って大事ですよね。