鮎川玲治の閑話休題。

趣味人と書いてオタクと読む鮎川が自分の好きな歴史や軍事やサブカルチャーなどに関してあれこれ下らない事を書き綴ります。

埋もれた軍歌・その14 「呼倫貝爾小唄」

2012-12-24 00:30:38 | 軍歌
本日ご紹介するのは『東邦時論』第十巻第十二号に掲載された「呼倫貝爾小唄」です。
作詞は「橋本中佐」で、「熊本火の国小唄の節」に乗せて歌うとされています。
で、この「熊本火の国小唄」の音源が…またね、無いんですよね(嘆息)
「熊本火の国小唄」は山口白陽作詞、中山晋平作曲で1931年にビクターレコードから発売されています。一応楽譜はこちら

呼倫貝爾(コロンバイル)小唄
                橋本中佐作
                熊本火の国小唄の節

一、東は興安、南は外蒙、西はソベート
  呼倫貝爾、広い雪野に、御旗が進み
  昇る朝日に、明けて行く、
        国の稜威(みいづ)は、弥や栄へ

二、「ラマ」の彼方に、朝日は昇る、蒙古ユルクに
  夜は明けて、馬や羊や、駱駝の群が
  広い野原に、散つて行く
        呼倫貝爾は、平和郷

三、グレート海拉爾、蒙古の町よ、松の緑の
  砂の丘、色とりどりの、蒙古の娘
  大和なでしこコキ交ぜて
        朝日の御旗ひるがへる

四、呼倫貝爾は荒野ぢやないよ、千里の
  広野、青々と、続き続いて「ウラル」に至る
  やまと男の子の、住むところ
        桜植ゆれば花も咲く


この「呼倫貝爾小唄」、実は当時そこそこ有名だったのではないかと思われる節があります。
というのも、この歌の一番、二番、四番の歌詞が印刷された絵葉書があることが確認されているんですね。
また、偕行社発行の軍歌集『雄叫』には「ホロンバイル小唄」と題する歌が二種類収載されていますが、そのうち二つ目の歌の歌詞に今回掲載の橋本中佐作「呼倫貝爾小唄」に酷似している部分があります。ちょっと引いてみましょう。


  ホロンバイルは荒野じゃないよ
  果てない広野青々と
  続くその涯ウラルの山よ
  大和男子の住む所
  桜も植えりゃ花が咲く



ところどころ言葉が変わっていますが、全体としてはほぼそのまま同じと言っていいでしょう。
但し、『雄叫』収載の「ホロンバイル小唄(2)」はこれを一番の歌詞とし、二番から四番までは全く別の歌詞となっています。
改作なのか何なのか分かりませんが、橋本中佐作「呼倫貝爾小唄」と何らかの関係があることは間違いないでしょう。

埋もれた軍歌・その13 「米英撃滅の歌」

2012-12-22 22:05:48 | 軍歌
今回ご紹介するのは「米英撃滅の歌」。といっても、昭和19年に映画の主題歌として山田耕筰の作曲で作られた歌の方ではありません。
「朝日新聞満洲版」昭和18年1月16日付の記事に載っていたものです。


米英撃滅の歌 姜中校の宣伝歌

【海拉爾】第○軍管区宣伝隊長姜中校は去る八日開戦記念日の感激をつゝ゛つて行進曲をものし、
     早速全蒙古軍に普及せしめつゝあるが、歌詞は――

『去年のこの日日本を先登に恨み重なる米英を懲らしめようと宣戦した
 どんよくな米英は搾取した土地を棄てゝ永久に来ぬまでに逃げ去つた、
 亜細亜の諸民族は日本のお蔭で楽しい国を樹てつゝある』



記事中に「全蒙古軍に普及せしめゝつある」との言葉がありますし、また「歌詞」として掲載されている文章も特に語調が整っているわけではないので、恐らく原文はモンゴル語であったと思われます。
メロディなども分からないので歌自体については何とも言えませんが、「米英撃滅の歌」の名前がこの頃の軍歌に既に使われているのは興味深いですね。

埋もれた軍歌・その12 五来欣造教授作詞の歌

2012-12-17 21:29:01 | 軍歌
今回ご紹介するのは、「早稲田大学新聞」昭和13年1月1日付のコラムに掲載された歌です。
早稲田大学新聞は大正11年創刊の由緒ある学生新聞ですが、現在は革マル派に乗っ取られて…ま、そんなことは宜しい。
短いコラムなので歌詞を含めて全文ご紹介することにします。


(一)インド鉄鎖にうめき
 支那搾取に悩む
 聞けや人の子が
 天地に喚く声

(二)西に伊太利怒り
 東に日本立つ
 おのれ吸血鬼
 打倒さでをくべきか

(三)誇る紳士の仮面
 はぎとりや偽善国
 抜けやこの剣
 かざせや破邪の剣

(四)見かけ倒しの民よ
 そろばん玉の国
 鉄のこのこぶし
 振へば一すくみ

(五)西に月蔭消えて
 東に日は昇る
 植ゑよ桜花
 世界のすみずみに

「兎に角英国の行動は怪しからん 僕はネ、あの…四百四州…の節に合はせて五万の学生に歌はせるために」と五来教授が頃日御披露に及んだのがこれ
 早速外務省に持参に及ぶと「飛んでもない」との一言、それではといふのでポリドールへ持ち込み東海林太郎にでも歌はせようと意気ごんでゐるが
この一詩果たしてレコード会社の陥落に成功したかどうか



文中に「五来教授」として登場するのがこの歌の作詞者である五来欣造教授。大正7年から昭和19年に亡くなるまで早稲田大学で政治学教授を務めた人物です。また文学者と言う一面も持っており、五来素川や斬馬剣禅といったペンネームで本を出しているほか、昭和11年に作詞した『黒羽小唄』は作曲大村能章、歌手美ち奴、振り付け石坂呉峯でテイチクレコードから実際に発売されました。作詞家としては一応実績がある訳です。一方でこの先生、昭和13年にはヒットラー総統の『我が闘争』を完成させたり、翌昭和14年に勝野金政と共同で『滅共読本』を著わしたり…と、かなりオモシロイ人物でもあります。特に昭和13年11月23日付「早稲田大学新聞」の記事「ヒツトラー『我が闘争』の翻譯 五来教授感激の労作」では

「この書は単に政治、経済、外交の方針を打ちたてたばかりでなく、民族理論を究めドイツ民族の理念を喝破したもので独逸では各戸に一冊づつ必ず備へられてをり英米でも三万部から出版されてゐます、この書は理論的な精密さとか何とかといふ前にまづ燃ゆるが如きヒ総統の情熱がそのまゝ行間にあふれてゐて僕はこれを読んでひどく感激し是非とも自分の手で訳したいと思ひ立つたものでした」

という非常にアツい言葉を寄せています。五来教授が情熱を注いだ『我が闘争』の翻譯は現在どこで見ることができるんでしょうか。私、気になります!

それはさておき、この歌の話ですね。
ぶっちゃけ、あまりいい詞には見えません。内容も過激だし、そりゃ外務省も「飛んでもない」と言うはずです。
ポリドールからレコードが出された様子もありませんし、多分そのままお蔵入りになってしまったんじゃないでしょうか。
ただし「元寇」のメロディーに合わせて歌うことが想定されていることはこのコラムから読み取れるので、これは立派な歌です。
元々の文章にはルビは振ってありませんが、メロディに合わせることを考えれば「打倒さで」は「たおさで」、「桜花」は「さくらばな」と読むべきでしょう。

埋もれた軍歌・その11 「更生アジアの歌」

2012-12-15 15:21:27 | 軍歌
今回ご紹介するのは、雑誌『満洲評論』の第4巻第5号(昭和8年2月4日発行)に掲載されていた「更生アジアの歌」です。
掲載情報によるとこの歌は昭和8年1月10日に伏臥居士によって作詞されたとの事。
伏臥居士の著作としては昭和7年3月に同じく満洲評論社から発行された『更生滿蒙の展望 : 附 陣中記録渦巻く滿洲事變』があります。
また同年には小山貞知編『天業・満洲国の建設: 伏臥居士はかく叫ぶ』というパンフレットも出版されており、この序文から伏臥居士は満洲事変当時関東軍参謀であった片倉衷であることが判明しています。
メロディは藤原義江作曲の討匪行の歌譜を使うとの事です。


更生アジアの歌
        昭和八年一月十日伏臥居士作歌
        藤原義江作曲討匪行の歌譜

一、ウラルヒマラヤ守り失せ
  唐天竺も西伯利亜も
  白人の手に奪はれつ

二、おののくアジアいみぢくも
  やせたる驢馬のしのばれて
  滅ぶる民の声あはれ

三、東亜の庭に咲きほこる
  文化の花も泰西の
  嵐に散りて影もなし

四、奇しくも東 煌々と
  聖火今尚皇道に
  破邪顕正の光照る

五、燃え立つ焔 満蒙に
  邪悪を制し王道の
  桃源の国夢まどか

六、黒龍江の水清く
  陰山の峯雲晴れて
  守りは固し興安嶺

七、仁義の帥(いくさ)駒すすめ
  博愛の風帆に盈(はら)み
  天に轟く自主の声

八、更生アジアの雄叫びに
  支那も目覚めよふりかへれ
  懸崖の下浪荒し

九、アジア救済有色の
  正義はこゝに結ばりて
  十億提携奮ひ起つ

十、東(ひんがし)の方 朝暾(てふとん)は
  共栄の旗に輝きて
  アジアの御空澄み渡る



一番に「ウラル」「西伯利亜」などの言葉が出てきているように、ロシアの極東地域辺りもアジア視されているのが面白いですね。
本来アジアの手にあるべきものが「白人の手に奪はれ」ていると。
「十億提携」や「共栄の旗」といった言葉は後の大東亜共栄圏を想起させますが、作者や時期などを考えると満洲国建国の理想から出てきた発想なんでしょう。

アルバニア国歌『旗への賛歌(Hymni i Flamurit)』訳してみた。

2012-12-05 11:46:47 | 軍歌
一般人にはほぼ無名と言ってもいい程度の知名度でありながら、共産趣味者の間では異常なまでの人気を誇る国、アルバニア。
そんなアルバニアで、社会主義政権成立以前から現在まで国歌として歌われ続けているのが『旗への賛歌(Hymni i Flamurit)』です。

アルバニア共和国国歌 【旗への賛歌 Hymni i Flamurit】



この歌の歌詞の訳が見つからなかったので、(いやまあ、後で探したらあったんですけどね。こことか)、自分で訳を作ってみました。
大量に意訳・誤訳があると思うのであんまり信用しないでください(何

1.我らが旗を囲み、団結して立たん
  一つの願い、一つの志と共に
  神聖なる宣誓を我らそれに授けん
  我らが救いのために戦わんことを
  戦いから一人遠ざかるものあらば
  裏切り者がそこに生まれよう
  真の男に恐れるものは無く
  彼の者は死なん、殉教者として死なん!

2.武器を手に取り、打ち振りて
  我らは我らが祖国を守らん
  我らが権利を誰渡すまじ
  我らが土地に敵の居場所なし!
  戦いから一人遠ざかるものあらば
  裏切り者がそこに生まれよう
  真の男に恐れるものは無く
  彼の者は死なん、殉教者として死なん!

実際に歌われるのはここまでですが、元々の詩には続きがあります。

4.主ご自身が述べておられる
  その国は地より拭い去られると
  されどアルバニアは生き、栄え
  その為にぞ我らは戦う!

5.おお旗よ旗、聖なるしるし
  汝が上に我らは誓う
  アルバニア、愛する祖国のために
  名誉のために、汝が賞賛のために

6.勇敢な男が呼ばれ、栄誉を受ける
  祖国のために我が身を挺した男が
  彼は永遠に記憶されるだろう
  上にある者にも下にある者にも、聖人として!

なお、以上の訳はアルバニア語の原詩と英訳ドイツ語訳を参考にしました。
ここで貼り付けた音源は1番だけで、「戦いから一人…(Prej lufte veç ai largohet)」から先がもう一度歌われてますね。