鮎川玲治の閑話休題。

趣味人と書いてオタクと読む鮎川が自分の好きな歴史や軍事やサブカルチャーなどに関してあれこれ下らない事を書き綴ります。

埋もれた軍歌・その35 眠れ英霊(忠霊塔参拝)

2016-01-30 23:08:25 | 軍歌
前回に引き続き、安東文化協会編『決戦我等の歌』より「眠れ英霊(忠霊塔参拝)」です。歌詞から察するところ、どうやら「眠れ英霊」で「ねむれみたま」と訓ませる様子。
作詞者の水田詩仙は本名を黒澤隆朝といい、秋田県出身の音楽家です。1921(大正10)年に東京音楽学校を卒業した後、童謡作曲や音楽教科書編纂に貢献し、また1939(昭和14)年以降アジア各地の音楽調査を行い音楽起源論を提唱しました。一般にもよく知られた業績としては、「わたしゃ音楽家、山の小りす…」で始まる「山の音楽家」の訳詩を水田名義で手がけています。


眠れ英霊(忠霊塔参拝)
                  水田詩仙 作歌
      
一 草むす屍(かばね) 水漬(みづ)く屍
  君が御楯(みたて)と いさぎよく
  散りて馨(かぐは)し 桜花(さくらばな)
  勲(いさを)は千代に 輝かん

二 昨日は敵を 追ひ討(う)ちし
  猛(たけ)き英霊(みたま)よ けふよりは
  聖代(みよ)の栄(さかえ)と この国を
  護りたまへや とこ永久(とは)に

三 国を挙(こぞ)りて 諸人(もろびと)の
  ぬかづく状(さま)を みそなはし
  聖代(みよ)の鎮(しづ)めと この庭に
  眠れ英霊(みたま)よ 安らかに

埋もれた軍歌・その34 満洲隣組の歌

2016-01-29 19:34:45 | 軍歌
久しぶりの軍歌紹介、今回からしばらく満洲国関連の歌になります。
いや、実はこの度1943(康徳10)年発行の安東文化協会編『決戦我等の歌』という本を入手したんですが、なかなかこれまであまりネット上で紹介されていない歌が多いようでして。

そんな訳で、今回ご紹介するのは「満洲隣組の歌」です。「とんとんとんからりと…」で始まる「隣組の歌」の満洲バージョンですな。
日本では1939年~40年ごろに制度化が進められた隣組ですが、実は満洲国においても1940年以降、満洲国協和会の下で同様の制度が作られていました。
ちょっと細かく説明すると、1940年12月20日に「国民隣保組織確立要綱」が発表され、それを受けて協和会の各地方支部が隣組(国民隣保組織)の設置を進めていったわけです。
この隣組はその性質上、協和会の地方組織と密接に関連しながら満洲国の国家総動員体制の確立に協力していきました(参考)。

さて、そんな満洲国の隣組のために作られた「満洲隣組の歌」ですが、実は決してこれまで知られていない存在だったわけではありません。
軍歌研究で有名な辻田真佐憲氏のサイトや、星河青魚の『満洲良男の旅』という著作などでその存在と歌詞は紹介されてきました。
ただし、辻田氏のサイトにある歌詞は聞き取りによるものであり、欠落部分が少なくありませんし、『満洲良男の旅』も一番までしか載っていません。また、双方の歌詞には異同が見られます。
さらに、どちらにも作詞者、作曲者の名前は記されていません。
今回の資料『決戦我等の歌』は当時発行された資料として作詞・作曲者や歌詞の細部が明らかになっており、その点において今回の紹介は意義があると言えるでしょう。


満洲隣組の歌
           板垣守正 作詞
           永尾 巌 作曲

一 隣近所は皆朋友(ポンユウ)
  揚げる日の丸五色旗
  笑顔で廻はす回覧板
  嬉し協和の隣組

二 隣近所は皆朋友
  勤め商売違っても
  配給買出し町の世話
  扶(たす)け合いませう隣組

三 隣近所は皆朋友
  主婦も娘も寄合つて
  入営安産御婚礼
  祝ひ合いませう隣組

四 隣近所は皆朋友
  僕らも大人に負けないで
  勉強お遊戯お手伝ひ
  伸びる子供の隣組