前回に引き続き、安東文化協会編『決戦我等の歌』より「眠れ英霊(忠霊塔参拝)」です。歌詞から察するところ、どうやら「眠れ英霊」で「ねむれみたま」と訓ませる様子。
作詞者の水田詩仙は本名を黒澤隆朝といい、秋田県出身の音楽家です。1921(大正10)年に東京音楽学校を卒業した後、童謡作曲や音楽教科書編纂に貢献し、また1939(昭和14)年以降アジア各地の音楽調査を行い音楽起源論を提唱しました。一般にもよく知られた業績としては、「わたしゃ音楽家、山の小りす…」で始まる「山の音楽家」の訳詩を水田名義で手がけています。
眠れ英霊(忠霊塔参拝)
水田詩仙 作歌
一 草むす屍(かばね) 水漬(みづ)く屍
君が御楯(みたて)と いさぎよく
散りて馨(かぐは)し 桜花(さくらばな)
勲(いさを)は千代に 輝かん
二 昨日は敵を 追ひ討(う)ちし
猛(たけ)き英霊(みたま)よ けふよりは
聖代(みよ)の栄(さかえ)と この国を
護りたまへや とこ永久(とは)に
三 国を挙(こぞ)りて 諸人(もろびと)の
ぬかづく状(さま)を みそなはし
聖代(みよ)の鎮(しづ)めと この庭に
眠れ英霊(みたま)よ 安らかに
作詞者の水田詩仙は本名を黒澤隆朝といい、秋田県出身の音楽家です。1921(大正10)年に東京音楽学校を卒業した後、童謡作曲や音楽教科書編纂に貢献し、また1939(昭和14)年以降アジア各地の音楽調査を行い音楽起源論を提唱しました。一般にもよく知られた業績としては、「わたしゃ音楽家、山の小りす…」で始まる「山の音楽家」の訳詩を水田名義で手がけています。
眠れ英霊(忠霊塔参拝)
水田詩仙 作歌
一 草むす屍(かばね) 水漬(みづ)く屍
君が御楯(みたて)と いさぎよく
散りて馨(かぐは)し 桜花(さくらばな)
勲(いさを)は千代に 輝かん
二 昨日は敵を 追ひ討(う)ちし
猛(たけ)き英霊(みたま)よ けふよりは
聖代(みよ)の栄(さかえ)と この国を
護りたまへや とこ永久(とは)に
三 国を挙(こぞ)りて 諸人(もろびと)の
ぬかづく状(さま)を みそなはし
聖代(みよ)の鎮(しづ)めと この庭に
眠れ英霊(みたま)よ 安らかに