リフレッシュしました~ 久しぶりの読書記録です。
・・・すんごい名人がいたもんだ。
天下一の弓の名人になろうと志を立てた紀昌は、評判の名手飛衛を自分の師と決めその門に入る。
飛衛はまず「瞬きをしないこと」という課題を与える。
紀昌は家に帰り、妻の機織りを一日中、毎日毎日見つめ続ける。
2年後、キリの先で瞼を突かれても、火の粉が目に入っても、夜熟睡している間も目を開けたまま 睫毛の間に蜘蛛の巣がはるまでになる。
次に「見ること。小さいものを見ても大きく見えるように」という課題。
肌着の縫い目から1匹のシラミを探して髪の毛で縛り、窓からつるして一日中見る。毎日毎日見続け、3年目には、シラミが馬のような大きさに見えるようになった。
基礎訓練に5年をかけた紀昌は、師から弓を習い始めたが、驚くほど上達が早かった。
1ヶ月後には、放った1本の矢の端に次の矢がささり、その矢の端に3本目・・・、と 次々に放った100本の矢が1本のようになり、しかもしっかり刺さっているので地面に落ちない、というまでになった。
しかし、紀昌は自分が天下一になるには師を亡き者にしなければ、と命を狙う。二人とも超人的な弓の名手になっていたので、力が均衡しどうしても師を殺すことはできない。
紀昌は自分の行為を恥じ、師も危機を脱し自分の力に満足し紀昌をうらむ気持ちはない。師弟愛に涙を流す。
そこで師は、新たな目標を与えることにする。
「さらにすごい甘蠅老師に学べ。老師に比べればお前は子どものようなものだ」
この老師は弓矢を使わず、高く遠くに飛ぶ鳥を落とすことができる。
9年後。紀昌の家に入ろうとした盗賊が塀に足をかけた途端、すごい殺気が額を打ち転げ落ちてしまう、くらいになっていた。(邪心を抱く者は彼の住居の十町四方は避けて回り道をし、賢い渡り鳥は彼の家の上空を通らなくなった)
紀昌いわく「至為は為す無く、至言は言を去り、至射は射ることなく」
老師に学んでから40年。紀昌は射るということを口にすることも、弓矢を手にすることもなかった。
さらに・・・、弓という名前も、その使い道さえも忘れてしまっていた。
極める、というのはこういうことを言うんだね。執着がなくなる・・・。
悟りの境地。執着がある間はまだまだですな
スッゲー
星4つ
紀昌は天才でしょうね!
天才がこんなに修練を積む、それだから名人になるように思います。
普通の人がこんな修練をできる筈がないと思うのですが。
小説とはいえ、名人になるのは大変な修練があるということを、分からせてくれますね!
悟りの境地とは、こういうものなのか~と思いました。
最後、弓ってなあに??てなるところが、深い・・・^^
漫画のような、あまりにすごい話で面白かったです。