【いじめを受け、ひきこもりだった麻生人生。蓼科でひとりぐらしを続ける人生の祖母、中村真麻。対人恐怖症の中村つぼみ。田んぼから三人は前をむいて歩み始めた―。収穫のとき、それぞれの心に温もりが実る。山本周五郎賞作家が描く感動の成長小説。】
農業青年の話かと思っていたら、まったくちがった。
まさに、感動!! すばらしいお話。青少年課題図書に推薦します。(ちょっとほめすぎ?)
両親が離婚し、高校でいじめに合い、引きこもりになり、母親も家を出てひとりになってしまった人生(24才)は蓼科へ行く。そこには、認知症になった(なりかけた)父方の祖母マーサがいた。それと、もうひとり。
母子家庭に育ち、母が再婚、義理の父(人生の父)が病死、母も続けて事故死しひとりになってしまったつぼみ(21才)も。
祖母は“特殊なやり方”で米作りをしていた。“常識的ではない米作り”。
田んぼを耕さない、肥料を施さない、農薬を撒かない。
・・・これは、
・・・・・・そう!「自然農法」ではないか。
耕さない田んぼはほとんど野原のようで、雑草がぼうぼうに伸びている。稲を枯らしてしまうような雑草は取り除くけれど、それ以外の草は放っておけばやがて朽ち、肥料になるのだ。耕さなければ、そこにはミミズや微生物がたくさん棲みついて、土壌が豊かになるのだ。
「雑草」などとばあちゃんは呼ばない。春の草、夏の草と呼ぶ。「害虫」とも言わない。この田んぼに来る虫同士、食物連鎖して生きているのだから。草も虫も、彼らはみんな土を肥やしてくれるお客様よ。・・・うんうん
認知症になった祖母のために、人生とつぼみは、地元の祖母を慕う人々(「カッコイイ大人」「大きな人」たち)と一緒に米作りをする。ばあちゃんの“自然の田んぼ”で。
人生が働くようになった施設で介護士をしている田淵さんも仲間の一人。その息子は、「シューカツのデフレスパイラルにハマった」思いきりイマドキの軽い(ちゃらんぽらんな)大学生。夢のようなことばかり言って思うようにならないとふてくされている息子に活を入れるため(?)、米作りを手伝わせることにする。
「自然農法」というのは、農業のやり方の一つではあるが、それは「生き方」でもあるんだなあ。
マーサばあちゃんは言う
「そうね。ひょっとするとたくさんとれないかもしれない。でも、そのときはそのとき。まずは信じてあげましょうよ。お米が成長する力を」
「お米の力を信じて、とことんつき合ってあげなさい。」
自然に備わっている生き物としての本能。その力を信じること。すなわち、生きる力、生きることをやめない力を信じること。
「お米の力」という言葉を「人間の力」に置き換えてみよう。「子どもの力」「自分の力」に。
こんなことも・・・
「誰にだって『最初』があるでしょう。だから、今日を『最初』の日にしたらいいのよ。遠慮しないでやってごらん」
自然農法での米作りの仕方や田植えの描写の瑞々しさ! 目の前にその光景が広がるようだ。
そして、自然を愛おしむ気持ちが伝わってきて、感動を覚える!(ウルウル・・・)
認知症が進むおばあちゃん。おばあちゃんにとっても介護する家族にとっても、大切なのは・・・
「もうもとには戻らない、とは決して考えずに、具体的で、現実的な希望をひとつ持つこと・・・どんな小さなことでもいい。・・・」
人生の希望は「おばあちゃんのおにぎりが食べたい」ということ。
そしておばあちゃんにとっては「おにぎりを食べさせたい」ということだった。
「お米は特別だね。生きてる証っていうか。自然と、命と、自分たちと。みんな引っくるめて、生きるぼくら。そんな気分になるんだ」 ・・・うんうん
「みんなで生きてる。・・・耕さないし農薬も使わないから、ミミズやカエルやゲンゴロウとか、生き物がたくさん棲息してる・・・ちゃーんと食物連鎖が起こって、命のリサイクルがあってね。みんなで手を結び合って生きてる感じが、いっそうするのよね」 ・・・うんうん
「冬のあいだも生き物たち、がんばってくれてたんだ」
「がんばってないよ。自然のまんま、そのまんまなだけ」
自然のまんま、そのまんま。がんばらなくても、みんな一緒に生きてるのよ。私たち、繋がり合って生きているのよ・・・うんうん
・・・付箋だらけになってしまった。そして最後は、涙涙で文字がみえなくなってしまった。
・・と、長くなってしまいました
とことん前向きな(前向きに元気になれる)すばらしい作品だとわたしは思う。
現実はきびしいよ・・・そう、うまくはいかないよって?
でも、いいの。
読む価値 大!
大変だけど、米作りもいいなあ。土地がないのが残念。
野菜づくり、がんばろー。モチベーション上がるなあ
星5つ
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