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5.命の教育は事実から

2017年11月30日 | お釈迦様

>国のために死ぬとか、会社のために死ぬとか、宗教のために死ぬとかいうのは、ぜんぶごまかしです。誰かが目的を達するために洗脳しているのです。人間は、他者のために死ぬ必要はないのです。・・・この場合「自分の命は自分のものだ」と思ってかまいません。しかし同時に「自分の命は、みんなと協力しないと成り立たない」ということです。「みんなで仲良く、人を生かして自分も生きる」というのが正しい道なのです。

>誰かのために死んだら、仏教では失敗です。・・・誰も死なないほうがいいのです。

 

タコはどのように卵を守り育てるか・・・

>タコは二、三ヶ月間、飲まず食わずで卵を守るのです。その間、ずっと新鮮な水を卵に送っているのです。そこに魚がやって来て、大事な卵を食べてしまったりするのです。お母さんが一生懸命子育てをして、やっと孵化する頃には、お母さんのすべての能力と体力を使い果たして、もう、泳げない。そのタコのお母さんの身体を、魚たちがまだ生きているうちから食べ始めるのです。

こういう「事実」を、子供に見せるのが教育。「命を大切に」などの”お説教”からは学べません。子供には理解できません。

「母親が自分を育てるのに必死で、とても苦労している」ということがわかると、子供は(安心して)すくすく成長できなくなります。だから、子供が親の育てる苦しみを知るには、他の一切の生命を観察しなくてはならないのです。(動画DVDなど利用すればいい。けど、自然から学ぶのがいい)

命が何か知らないで、命を大切にすることができるわけがありません。「命とは」というより「生きるとは、どういうことなのか」と教えた方が話が早い。それには「生きること」より「死ぬこと」を教えるのが理解しやすい。

自然観察をすれば、、、生き物はちょっとしたことで死ぬ。「ちょっと間違ったら死にますよ」ということを知れば、「命がいかにもろいか」ということがわかるのです。人間も同じ。

ちょっとしたことで生命は死ぬのです。

このことを教えてあげれば、子供は危機から身を守ることを学ぶ。「どうすれば私は生きていられるのか」を考える。

死んでないから生きている。命があるとは死んでないということ。でも、生命はちょっとしたことで死んでしまうもろいもの・・・。

「自分の命は自分の勝手」にはならないという事実。
知らないうちに自分の管理できないところで生まれ、身体や社会に縛られて生きている。口に入れる物も勝手にはならない(飲み食いしないでいるわけにも、勝手に窒素だけ吸って生きるってわけにもいかない)

「お互い様でなんとか生きている」という事実。「生きることは大変なことだ」という事実。大変だ、と”言う”のではなくただ「事実」を見せてあげればいい。

>人間は、嘘を言わず、インチキをせず、現実に即して具体的に育てるべきです。

「生きることは大変だ」という事実を教え、勇気と忍耐を教えなくてはいけない。大人は自分が楽をするために子供を「管理」する。管理するから抑えられたエネルギーがいじめになって出てくる。管理ではなく、教育をしなくてはいけないのです。

子供の自殺の原因のほとんどが「いじめ」。大人は、日本社会は、子供に事実をなにも教えてない。まともに教えられる社会でもないのです(いじめ社会・妄想社会ですからね)。子供のことはみんなの責任なのに、先生をいじめたり、誰かに責任を押しつけたり。こんなおかしな社会だから、環境が悪すぎなのです。

 

では、どうやって「いじめ」を乗り越えていけばいいのか・・・。

次回へ続く。   (「自殺と『いじめ』の仏教カウンセリング」より) 

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