【「この小説の主な構想は――あくまでも、心の美しい人間を描くことにあるのです。」(ドストエフスキー)
善良で純粋な「白痴」として描かれたムィシキン公爵を取り巻く、愛のドラマ。 】
「本を読み終わるまで20時間30分」という長編。やっと読み終わりました~。
ロシアの小説は名前が長くて覚えにくい、登場人物が多い
しかも、レフ・ニコラエヴィチ・ムイシュキン(ムイシュキン公爵)は、公爵だったりムイシュキンだったりレフ・ニコライヴィチだったり彼だったり、またガブリーラ・アルダリオノヴィチ・イヴォルギンはガーニャだったりガブリーラだったり、呼び方が色々変わるので誰のこと?どういう関係?とわけが分からなくなります。登場人物名は正式名と愛称と人間関係を記録しておいたほうがいいですね。
でも、面白かった
一人一人の性格や心情が本当に細かく描かれている。
19世紀のロシアの社会、中~上流階級(貴族)、ロシア人の宗教に対する考えなど、現代の日本とはまったく違うのでかなりの違和感がある。しかも善良で純粋な(キリストをモデルにしたという)ムイシュキンとの対比で、彼を取り巻くほとんどの人々はプライドが高くものすごく感情的な人間。しょっちゅう怒ってるしわめいてるし、にやにや薄ら笑いしてたり議論好きでバカ騒ぎしたり、、、病気?どっちがバカ?ムイシュキンの方がずっとまともに見えます。
ムイシュキンはプライドもエゴもなく人を疑わず正直。あるのは憐憫の情。ただ、無垢でいい人ではあるが、人間というものを知らなすぎる。何でも信じすぎ。簡単にだまされる(だますよりマシ?)。話をしてるとみんないつの間にか彼を好きになる。(結婚となると親が世間体や見栄を気にするのは今も?)
で、彼はアグラーヤを好きなのにナスターシャが可哀想で放っておけない(ラゴージンと結婚したら不幸になる)という理由で、結婚直前のアグラーヤを捨ててナスターシャのもとへ行ってしまう。
善良で無垢なだけではこの世は生き辛い(善良でなければもっと生きづらいけど)のです。賢くならなければ。この世(社会)はどんなところで、人間とはどんな生きものか、よく見て知って理性的に判断できなければ。
本当は、ムイシュキンは”自分がナスターシャと一緒になることで”彼女を救ってやるなどと思ってはいけなかった。で、一度ナスターシャを選んだ?彼はアグラーヤとも一緒になってはいけない。二人の女性はエゴが強くて可哀想に自滅している感があるけれど、ムイシュキンも結局ふらふらしてみんなを不幸にしている。そして実は彼も二人に”執着”しているのではと思う。彼も人間だということか。いい人だけど。
う~ん、出家したほうがいいと思うな(キリストがモデルらしいけど^^;)。結局、病気がぶり返して施設へと戻ることになるんだけど。
まあ、人間だからね、こんなドラマが生まれるのでしょうね。
死を前にしたイポリットの「告白」は読む価値がある。死を目の前にすると人間はこうも悟れるのか。(で、回復したら戻ったみたいだけど)
エヴゲニイさんはまともでバランスの取れた人みたいでした。でも、善いだけの人も、悪いだけの人もいないのです。
人間とは・・・と考えさせられる、名作ですね。
星4つ
>「本を読み終わるまで20時間30分」という長編。やっと読み終わりました~。
今の私には無理です。
若い頃ロマン・ローランの「ジャン・クリストフ」を
読みましたが、この頃は読む元気がありました。(笑)
>ロシアの小説は名前が長くて覚えにくい、登場人物が多い
これだけで私はだめです。(苦笑)
カタカナの名前はどうしても誤読してしまいます。
昔「カモノハシ」というオーストラリアの動物を「カモノアシ」と思いこんで、友達に笑われたこともあります。
>彼はアグラーヤを好きなのにナスターシャが可哀想で放っておけない(ラゴージンと結婚したら不幸になる)という理由で、結婚直前のアグラーヤを捨ててナスターシャのもとへ行ってしまう。
このような過ちは現代にも通じると思います。人間の業?かも知れないですが、やってはいけないことだと思います。
3人ともが不幸になるのでは。
>ロマン・ローランの「ジャン・クリストフ」
そうそう、これも読みたいと思ってたんでした。ちょっと休んでから読もうかな。ああ、その前に読みたい本があった・・・
読みたい本、読みかけの本が山積みで大変です^^;
「宮本武蔵」もかなりの長編でしたが、日本の話なので読みやすかったです。
そういえば高校時代、人名が覚えられないので「世界史」が苦手でした^^;
いつか読んでみようと想います^^
良い人であることは、とてもいい事ですよね。
ただ、自分の能力も体も時間も無限大ではないから、どこでどうバランスをとるのかが難しいですね。
西欧的、キリスト教的な文化の違いもあって、善良ではあるけど完成された人ではないところがドラマになってるなあ、と思いました。
キリストをモデルにして徹底して善良な人を描いたらしいけど、完成された人格ではない。
私の好きなお釈迦様は人格の完成を目指して苦しみを乗り越えようと言われている。で、人間は不完全であることが大前提としてあるので、明るくぼちぼち、マイペースで努力できる。
この辺りのちがいが、面白かったです。