仏教に「自灯明法灯明」という言葉があります。
「自らを灯とし 法を灯とせよ」
”他者に頼らず、自己を拠りどころとし、法を拠りどころとして生きなさい”ということ。そういうことなんだと思います。(法とは自然法則、真理つまり無常無我などのお釈迦様の教え)
”幸せになりたい、幸せがほしい”と言ってる人は、つまり”私は不幸だ”と言い続けていることになります。不幸だと言い続けているかぎり、幸せにはなりません。気がついたらなっていた、それが幸せ。本来、幸せとは探し求めたり手に入れたりするものではないのです。
自分の芯(幹)がしっかりしてないから、何かに寄りかかりたくなる。その何かが宗教、信仰であったりする。芸能人の追っかけもグルメに走るのも快楽に溺れるのも流行を追っかけるのも、宗教のようなものなのかもね。”鰯の頭も信心から”てどんな意味だっけ?サトラコヲモンサマも同じだったね。
誰が何を信じてもいいんです。それで救われ苦しみがなくなるのなら、それでいいんです。他人が(変な妄想して勝手に)どうこう言うことじゃない。
生きとし生けるものが幸せでありますように・・・と願うだけです。
まあ、私たち弱い人間は、自立(解脱?悟りを開く?)までには、その過程でいろいろとあるわけですね。(一生弱っちい”子ども”のままで終わる人もいますが、だんだんと、又は何かのきっかけで強くなる。目指すところは自立なんだと気がつけば幸いです。)
仏教、でしたね~
>「あなたも、信じるものを見つけなさい。あなただけが信じられるものを。他の誰かと比べてはだめ。もちろん私とも、家族とも、友達ともよ。あなたはあなたなの。あなたは、あなたでしかないのよ」
>「あなたが信じるものを、誰かに決めさせてはいけないわ」
自分の人生は自分しか生きられない。
他人の人生を生きることも、他人が自分の人生を生きることもできない。
だから、人と比べたり、人の言いなりになったり、人のせいにしたり、人に頼ったりしていてはいけない。できない。
自分の人生なんだということ、それはたった一度きりの人生なんだということを考えて、もっと自分の人生を大事にしなさい、そして思い切り生きなさい、ということなんだと思います。
このことが、歩とその家族、友人を通して語られていました。(…と思う)
大変読みやすく、最後まで一気に読んでしまいました。すばらしい!直木賞にふさわしい作品だと思います。
須ぐ君が読んでた『ホテル・ニューハンプシャー』(ジョン・アーヴィング)も読んでみたいと思います。
新しい世界が始まる
最高の気分よ
星5つ
>自分の芯(幹)がしっかりしてないから、何かに寄りかかりたくなる。その何かが宗教、信仰であったりする
私も苦しい時の神頼みをよくします。
反省しなければ。(苦笑)
>人と比べたり、人の言いなりになったり、人のせいにしたり、人に頼ったりしていてはいけない。できない。
自分の考えだと思っていても、人の受け売りということが多いです。
反省!
NINA SIMONEさんの歌を初めて聴きました。魅力的な声ですね。
「自分の考え」というものは、外(自分以外)から入ってきたもので出来てるもので、純粋に100%自分だけの考えなんてありえないのだから、そういうものなんだと気にしないことですね。
一応、自分で納得することができればいいんじゃないでしょうかね~。私の話してることだって人から学んだことですからね。^^
ただ頼るのではなく学ぶ。
人の意見を聞いて、そこから学んで自分の栄養としてきちんと消化して、自分の人生を生きる。…て感じで、いければいいですね。
(ごちゃごちゃ書いてしまって、、、めんどくさくてすみません^^;)
それで後悔してもしょうがないじゃない。
他人の言うことを聞いて実行して後悔するよりましです。
自分で考える、それが経験になる。
人の意見に耳に傾けるのも大切ですが、決定は自分の意思で・・・。
いま、生きていることが幸せなんだと思います^^
したっけ。
「自分で考え自分で判断する」ということが大事なんですね。
すっきり、シンプルです^^
↑学ぶんです一応、栄養としてきちんと消化してないんです。すぐ忘れるんです わし。
だから、学び続けるわけで・・・。(繰り返し学習、復習ね。)
そのうちいくらか身につくかもねってくらいで気楽に学べばいいんじゃないかと。^^
そうか~!こういうことか~!て”気づく”。なるほど~!おお~!ええ~!って”感動”する。心の動きが大きい方が忘れにくいそうですよ。(能動的であること、あと五感を使うといいそうです)
復習 感動 五感を使う、ですね。
はい!