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サッレーカ・スッタ(戒め)ー「自己」の取り扱い説明書ー A.スマナサーラ

2017年04月09日 | お釈迦様

>「みんながやっているから私もやります」と、悪いことを正当化します。「誰もやってないんだから私もやりません」と、善いことをしないために言い訳をします。これが世の中の普通の生き方です。こうなると世界は一向に善くならないのです。人間のこの弱みを理解したお釈迦様は、「ほとんどの人々がやっていないからこそ正しい戒めをしなさい」と説かれているのです。

私の教えこそ正しい、あなた方の教えは間違っていると思い込んで、他人を悪人に仕立てて戦いに挑んで人類の平和をなくし、苦難のみを増大させるような生き方をしている人間に、お釈迦様は端的に正しい道を示しているのです。(A.スマナサーラ)

まったくです。一般人はともかく、影響力の大きい権力をもつ人などが自らを戒めず、好き勝手にしてしまうと社会は生きにくくなるばかりです。しかし、権力者といえどもただの人間(困ったもんだが仕方がない)他人がどうであれ自分の人生は自分のものですから、自分の人生を生きるしかない。

両方の見解があるということは、どちらも正しいわけではないということです。・・・人の諸々の意見、見解の内容は大したことではありません。人間が主観で作り上げたただの妄想に過ぎません。自分はそれに関わりを持たないで、その見解に対する執着から解放されるのです。

見解(=偏見)を持たないこと、見解がない、というのが正見(正しい見解)ということになりますね。見解に対する”執着”が問題なのです。自分の見解(=偏見)に執着せずみんなが幸福になる(よりよい)方法を見つけること、(正見、ありのままを見て)どう行動するかが大切なのではないでしょうか。どんな小さな悪(不幸)もなさないことです(…ように努力すればするほど生きるのは楽になると思うのですが)

お釈迦様の言葉「サッレーカ・スッタ(戒め)」を見てみましょう。お釈迦様は押しつけるということはされません。仏教は教えであり洗脳ではない。人それぞれの自主性・判断を尊重するのです。見解について、戒めについて、チュンダ長老に尋ねられてお釈迦様は答えます。

 

・・・それではチュンダ(長老)よ、このように戒めるべきです。

1.他人は他者に害を与えるが、我々は加害者にならないようにと戒めましょう。

(まず、いきなりここでコケてますね。相手が悪いんだ、正当な報復だ、圧力だ、指導だ、抑止力だとかなんとか言って、結局自分が加害者になる。加害者という意識もない。自分の悪行為はヤツの悪行為とは違う、などと棚に上げるのです。悪行為は悪行為にちがいないのに。人に偉そうにいう資格はないのです。資格のある人はそもそも偉そうなことを言わないですね。

悪をつぶす(加害者になる)のではなく、聞く耳持たない不幸の元からはなるべく離れる、避難する(助ける、一緒に避難する)のみ。けんかの仲裁はどっち側についても主観的になってよくないし、どっちに対しても慈悲の心で解決方法を提案するのです。どんな相手に対しても慈悲の心をなくせば不幸は終わらない。慈悲=平和。気をつけたいです…)

2.他人は殺生するが、我々は殺生しないようにと戒めましょう。

3.他人は与えられていないものを取るが、我々は与えられてないものを取らないようにと戒めましょう。

4.他人は性的な関係を持つが、我々は性的な関係を持たないようにと戒めましょう。

5.他人は嘘をつくが、我々は嘘をつかないようにと戒めましょう。

6.他人は陰口を言うが、我々は陰口を言わないようにと戒めましょう。

7.他人は暴言を吐くが、我々は暴言を吐かないようにと戒めましょう。

8.他人は無駄話をするが、我々は無駄話をしないようにと戒めましょう。

9.他人は強欲になるが、我々は強欲にならないようにと戒めましょう。

10.他人は激怒するが、我々は激怒しないようにと戒めましょう。

11.他人は邪見をもつが、我々は正見を持てるようにと戒めましょう。

12.他人は邪思惟するが、我々は正思惟を持てるようにと戒めましょう。

13.他人は邪語をするが、我々は正語を持てるようにと戒めましょう。

14.他人は邪業(罪を犯すこと)をするが、我々は正業をするようにと戒めましょう。

15.他人は邪命(罪を犯して生計を立てること)をするが、我々は正命をするようにと戒めましょう。

16.他人は邪精進(罪を犯すために努力)をするが、我々は正精進をするようにと戒めましょう。

17.他人は邪念(精神的な混乱、怒り、落ち込み、引きこもり、などを引き起こす思考、妄想)を持つが、我々は正念を持てるようにと戒めましょう。

18.他人は邪定(悪いことをする時、我を忘れて集中すること)を育むが、我々は正定を育むようにと戒めましょう。

19.他人は邪智者(生命は永遠である、全ては絶対者により創造された、生きることは極楽である、生きることは極苦である、などの本末転倒の考え)であるが、我々は正智者になれるようにと戒めましょう。

20.他人は邪解脱(天国での永遠の命を目指すこと、命は死で終了するので生きている間に手段を選ばず遊びほうけることを目指すこと、ありもしない魂の完全な浄化を目指すことなど)を目指すが、我々は正解脱を目指すようにと戒めましょう。

 

44まであって長くなるので、ここまでにしておきます。これは、長老(出家者)に話されてるので多いけど、一般のふつうの人は5つ(五戒)で大丈夫かと思います。(どんなに悟っている人でもすべて戒めているなどとはいえないと言われれます。しかし努力することが大事なのです。努力してみようかな、試してみようかな、どういうものかと知るだけでも価値があるし、自分が向上することが人のためになるのだし、幸せ・悟りへの道なのですと言われます。幸福への道はすべての生命に開かれているのです)

ワタシはこれを読むと、そうだなあ、まずは自分の人格や徳、能力を高めることだよなあ、できるだけはがんばりたいなあ(人間に生まれたこのチャンスを無駄に過ごすのはもったいない。今のうちにできるだけ…)と思いますが、感じ方は人それぞれでしょうね。

 

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