『ジャン・クリストフ 〈第5巻 広場の市〉』読みました。
やっと半分。やっと5巻終了。どんだけ長いねん。(ま、寄り道しながらゆっくり行きますわ)
あこがれのフランスは、クリストフを失望させる国だった。
彼は、音楽に「魂・本質・深い意味」を求めるが、フランスの利己的で快楽主義的で冷淡で饒舌で見え張りで偽善者で自己崇拝者で・・・(メッタクソに言ってます。国民も政治も文化も、味噌糞言いたい放題?もう、ガッカリだらけや~って。でも、けっこう日本にも当てはまるゾ?…)な人びとを、(やっぱり)攻撃するのです。で、みんなから恨みを買うのです。
クリストフは高い高い理想を持ち続けそれを追求し続ける。音楽は客のためにあるんじゃない、音楽そのものをもっと高め、客も音楽を理解する人間であらにゃいかんのじゃ~てな感じです。ドイツでもフランスでも一緒だった。自分はやっぱりドイツの人間。ドイツの方がマシだったって?
ただ、生活に困ってしまう。こんな仕事ができるかってはねつけるし、ピアノの生徒にも理想が高すぎて悪態ついたりして、そりゃ孤立するだろうし素人の生徒は嫌になる。でも、人に施してもらうのは自尊心が許さない。
理想が高い→ 気位が高い(押しつけ、いらだち) になっちゃってるのね。
で、食べる物も(素直に頂かないものだから)我慢我慢で、病気になってしまう・・・。意識なく臥せってしまった時に同じアパート?のシドニーがやさしく看病してくれる。シドニーは「貴族的な民衆」だった。
>民衆にも貴族がある。他人よりも純潔な本能を、おそらくは血潮をもっていて、それをみずから知り、自分の真価を意識し、頽廃しないという矜持(誇り)をもっている人々こそ、貴族というべきである。
>「・・・あなたは金持ちばかりを御覧なすったんです。金持ちはどこへ行っても同じものですよ。・・・」
彼は「金持ち」ばかりを見ていた!
そして、ジャンヌダルクの本と出会う。(フランス革命?…気になる…)
>「人々の邪悪さと運命の酷薄さとの間にありながら、善良でありいつまでも善良であること・・・多くの苦々しい争いのうちにも温和と親切とを失わず、その内心の宝に触れさせずに経験を通り越すこと・・・」
そして彼はみずからくり返した。
「俺は悪かった。俺は善良ではなかった。親切を欠いていた。あまりに厳酷だった。ーー許してくれ。俺が攻撃してる諸君よ、僕を諸君の敵だと考えてくれるな。僕は善を、諸君にもなしたいのだ・・・。
クリストフの心に変化が・・・
>・・・・「それでもなお、諸君が悪をなすのを防がねばならないのだ・・・。」 そして彼は聖者でなかったから、敵のことを考えるだけで憎悪の念が起こってきた。
あれ?う~ん、惜しい・・・
敵、嫌悪、、、、ねえ、、、、 ジャンの人生はまだまだ大変そうな予感・・・。
<広場の市>
まるちゃんの文章を拝読しましたが、この辺りは覚えていません。
まだ青年期なんでしょうか?
これから佳境に入っていくのでしょうね。
フランスに行って苦労してます。
先が長すぎて、読むペースが落ちてきました。
飽きてくるので寄り道します。
読み終わるのにまだきっと数ヶ月かかるでしょう^^;